ふたりだけのアクアリウム


わざわざ営業部に行って、沖田さんを名指しして呼び出して声をかけるのもおかしいし、ここは黙って身を引いておくことにした。


キレイさっぱり就業前のデスクへ戻した私は、帰り支度を始めている他のみんなに「お先に失礼しまーす」と挨拶して事務所をあとにする。

この後は山口とファミレスだし、製造部はこちらよりも定時が30分早い。
待たせるのも悪いので駆け足で更衣室に入った。


ちゃっちゃと私服に着替え、ものの5分で更衣室を出て廊下を歩いていたら、向こうから沖田さんが歩いてくるのが見えた。


「お疲れ様です、沖田さん」


今度は躊躇うことなく声をかけられた。
私が話しかけるまで、こちらの存在には気づいていなかったらしく。

沖田さんは少し驚いたように目を丸くして立ち止まった。


「お疲れ様。もう終わったの?」

「はい。事務が忙しいのは月末くらいなので……。沖田さんは残業ですか?」

「少しだけ」


うなずく彼を見て、大変だなぁと尊敬する。
営業部の人たちで、定時に帰ってる人なんか見たことない。みんなたいてい残業して帰っている。


「あのー、沖田さん。今日何かありましたか?」

「どうして?」


ただの、素朴な疑問だった。
あの時の笑顔と、さっきの笑顔が違っていたから。

普段の会社での沖田さんを、今まであまり気にしたことがなかった。
だけど彼と水草水槽を鑑賞してから、関係性は「無」から「少し知っている仲」に変化したような気がしていた。


思った以上に、沖田さんは過剰な反応を示した。
何も無いよ、とのほほんと笑うのかと思っていたのに、そうじゃなかった。

うまく言えないけど、動揺しているような、そんな感じ。


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