ふたりだけのアクアリウム


私がなかなか車から降りないので、沖田さんは不思議そうに首をかしげていた。


「どうかしたの?」

「あ、…………あの……」


どうしよう、という言葉だけが私の頭の中をぐるぐる回る。
言いようのない不安と、どろりとした黒い塊が体の真ん中あたりを包み込む。

暑くなんかないのに、冷や汗まで。


急いで降りて、ダッシュでアパートまで行けば見られないで済むかもしれない。


「それじゃ、また明日。失礼します!」


ドアを素早く開けて、駆け足でアパートへ向かう。
チラリと見やると、先ほどの黒い車から滑り出るように降りてくる人影が見えた。
まずい、バレてる。


踏み出す足に力を入れようとしたら、後ろから沖田さんの声が聞こえた。


「逸美ちゃん!スマホ忘れてるよ」


振り返ると、沖田さんが車から降りて私のスマホを手にしてこちらへ来るところだった。
同時に、視界に映る人影が大きくなる。


ドクン、と心臓が強く鳴って、思わず目をつぶった。




「こんばんは、佐伯逸美さん」




私の名前を呼んだその声は、思っていた人とは違っていた。


ハッと目を開いてすぐさま声がした方に向き直ると、髪の長いスタイルのいい綺麗な女性が立っていた。


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