ふたりだけのアクアリウム
触り心地の良さそうな沖田さんの髪の毛は、ちょっとふんわりしている。重めの前髪は、およそ営業職についているとは思えない暗い印象を相手に与えやすい。
一重まぶたで、瞳の色が思ったよりも茶色くて驚いた。
この人って色素が薄いんだ。
あまり近くで彼を見たことがなかったし、ちゃんと話したこともなかった。
「お疲れ様です」くらいは交わしていたけど。
「この荷物はなんなんですか?」
よいしょよいしょ、とよろめきながら重そうな箱を運ぶ沖田さんの後ろを追いながら尋ねてみる。
手伝わなくていいと言われた手前、手は差し伸べられない。
でも、スッテーン!と漫画みたいに転んで箱の中身をぶちまけそうな雰囲気を、彼は持っている。
目が離せないというか、ほっとけないというか。
「シュレッダー行きの書類」
「え?シュレッダー?」
「係長に今すぐ頼むって言われてね」
のほほんと笑っているであろう沖田さんの背中を眺めて、それって綱本係長からの嫌がらせなんじゃ……と思ったけど、寸のところで言うのをやめた。
営業の仕事だってあるだろうし、こんな雑用を任されたんじゃ外回りに行きたくても行けないじゃない。
契約取って来いって言うわりには、その仕事をさせない。
綱本係長のネチっこい嫌がらせだ。
それを、沖田さんは分かってるのかな。
「シュレッダーなんて事務でやりますから。ていうか、事務の仕事ですから。沖田さんは仕事に戻って下さい」
私がそう言ったのに、沖田さんは返事もせずに廊下の奥にある裁断室という名の物置部屋へ向かっていく。
「沖田さん、聞いてます?」
「あ、うん。聞いてるよ。でもいいの、僕がやるから。佐伯さんこそ仕事に戻って」
彼は穏やかな声で「どうもね」と横顔を私に向けて微笑んだ。
━━━━━あ、見えない壁。
感じた私はいそいそと手に持っていた残り2つのチョコレート菓子が入った箱を、沖田さんのスラックスのポケットに無理やりねじ込む。
戸惑いの視線を受けながらも、彼に負けじと笑顔を送った。
「食べかけですみませんが、チョコレートです。甘いの食べるとほんの少し元気になりますから」
「……ありがとう」
お礼の言葉が聞こえてきたところで、踵を返して事務所へ戻る。
途中、振り返ったら沖田さんがやっぱりフラつきながら倉庫へ向かっていくのが見えた。
沖田さんって、見えない壁を作るのが得意な人なのかな。
ここから先は立入禁止って聞こえてきそうな、「佐伯さんこそ仕事に戻って」ってセリフ。
ま、ただの同僚だし。当たり前か。
深読みするほど彼のことを知りたいという思いも無いし、たぶんこれからもそれは変わらないであろう「ただの同僚」という関係。
チョコレートの甘い香りが、なんとなく鼻に残ったまま仕事へと戻った。