ふたりだけのアクアリウム
心臓が痛いくらいにドキドキしていた。
期待と不安と、沖田さんを助けられるかもしれないという希望が降り混ざって、少しだけ興奮していた。
思いつきで保管していた契約書だけど、役に立てる可能性がある。
どうしてこのことをもっと早くに思い出せなかったんだろう!
足早に事務所を出て、廊下を歩きながらスマホで沖田さんの名前を探す。
電話帳の中から彼の番号を引っ張り出して、耳にあてた。
社員用の通用口から外へ出て、誰の耳にも聞こえないように注意を払った。
事務所には沖田さんはいなかったし、いつものごとく外回りなのは間違いない。
余裕があれば電話に出てくれるはずだ。
一刻も早くこの事実を伝えたくて、コール音だけが響く電話にじれったさを感じた。
機密文書を持ち出した、スパイみたいな気分だ。
『もしもし、沖田です』
会社用じゃなくて私用の携帯にかけたので、電話に出た沖田さんの声は少しだけ不思議そうなものだった。
食い気味に「逸美です!」と名乗った。
『逸美ちゃん、どうしたの?今仕事中じゃないの?』
「すみません!外回りしてる時に電話しちゃって……」
『今ちょうど会社に帰ろうと思って車に乗り込んだところだから大丈夫だよ。━━━━━何かあったの?』
最近ろくに言葉を交わしてなかったから、本当はこの低くて優しい声をずっと聞いていたかった。
でも、そんな悠長なことを言ってる時間はない。
「あ、あの…………。係長の件、どうなりましたか?」
『えっ?』
契約書のことを伝える前に、確認しておきたかった。
元の契約書があったとしても必要ないかもしれないし、存在していて迷惑になるものになっても困るからだ。
電話の向こうの沖田さんは、僅かに声を潜めて答えた。
『ごめんね。期待に添えられないんだけど、まだなんの成果も出せてないよ』