memory refusal,memory violence
第零章:私があなたであなたが私。私は私になる。
気になる人
近所の鉄橋から顔を覗かせて、川底を眺めていた。これは学校帰りには毎日行っている日課だ。橋の長さは百メートル弱。高さは二十五メートルといったところだろうか。もう少しくらい高いかもしれない。上から見る川の流れは一見穏やかに見えるが、実際の流れは結構急だ。場所によっては水深もある。この川では稀に事故による死人が出ることがある。数年前の夏にも近くの町に帰省していた小学生が川遊びをしていて亡くなったと聞いた。
ここから落ちたら人は死ぬのだろうか。
ここから飛び降りれば私は死ねるだろうか。
自殺するならここがいいな。
私は橋の高さ、川の深さ、流れの速さを脳内で分析しながらそんなことを毎日考えている。けれど、私はいつものように『四葉』の方向へ足の向きを戻す。今の私には死ぬ勇気がない。自殺するための勇気なんてものは、普通の人からすればいらないものだろうが、今の私の望みは死ぬための勇気、覚悟を得ることだった。
今日もダメだった。結局、私はそういう人間なのだ。死にたいなどと謳いながら中途半端に生に縋っている。そんな自分を心底醜いと思う。自殺するための場所はこの場所、自殺するための手段は飛び降り。そのようにいろいろと条件を付けて自分の死を限定しているのも、そんな醜さの表れだ。最近はそんなことをよく思う。
私はそんな自分に辟易しながら再び帰路に戻る。橋は両サイドに歩道があり、その間には車道が上下に一車線ずつある。ここら一帯の田舎は過疎化が進んでいるため、帰省の時期以外は車がほとんど通らない。たまに通るのは農業用の軽トラックくらいだ。もちろん、この橋を歩いて渡る人もほとんど見ない。ただ一人を除いては――。
あ、今日もいる。
私は、反対側の歩道を見た。そこにはこの町より少し離れた所にある高校の制服を着た女の人がいた。私が唯一、この橋を渡る際によく見る人だ。毎日見かけるわけではないが、私の授業が六時限目まである時は、必ずと言っていい程この人を見かける。中学生である私は五限で帰るときもあるから、この女子高生もきっと毎日のようにこの橋を通っているのだろう。
私が彼女を気にするのには理由がある。反対側の歩道を歩いているのをよく見かける。橋でよく見る。それだけの理由では、私もあの女子高生を気に留めない。
私が女子高生を気にする理由。それは、彼女も鉄橋を渡っている途中、足を止め、手を橋の手摺に置いて、橋からの景色を見ているからだ。
私と似ていて、私とは全然違う。
そんな女子高生を見ているといつもこう思う。橋から景色を見ているところは似ている。だけど、その他の何もかもが違う。私は中学生で彼女は高校生だし、反対方向から橋に入るし、歩道が反対側だから見ている方向が違うし、何より、私がいつも橋の下を見ているのに対し、あの人はいつも夕焼けで染まった空を見ている。真っ赤な太陽を見ている。オレンジ色の太陽を見ている。暗い方と明るい方。黒い方と紅い方。同じ場所というだけで、他は何処までも対照的だ。
俯いて黒く陰っている私の顔と違って、静かに空を眺めているあの人の顔は、いつも紅く色づいていて眩しかった。
私はそんな女子高生を密かに疎ましく思っていた。勝手な想像でしかないのだけど、きっと何事にも大して苦労していないんだろうなと決めつけていた。そうでなければ夕暮れ時の太陽なんて眩しすぎて見ていられない。少なくとも私よりは気楽な人生を歩んでいるに違いない。
私は車道を挟んで女子高生の後ろをいつものように通り過ぎる。この橋でこの女子高生と一緒になるとき、先に橋を出るのはいつも私の方だ。彼女は私の存在に気付いているのだろうか。もう何度も二本の車線越しにすれ違っているのにも関わらず、私は一度も女子高生と目が合ったことがない。
あの女子高生を見かけた後の帰り道は、大体彼女のことを考えている。
性格はどんなだろう。一人で夕焼けを毎日眺めるくらいだから、ロマンチストなのだろか。それとも不思議ちゃんなのかな。車線越しの横顔しか見たことないけど、多分綺麗な顔立ちしてるんだろうな。あの制服の高校、ここら辺じゃ結構偏差値高いよな。彼氏とかいるのかな。毎日夕焼け眺めてるくらいだし、いないのかな。あ、もしかして元カレが忘れられなくてノスタルジックになってるのかも。それなら少しくらい同情してあげてもいいかな。私、彼氏いないし、いらないけど。家族はどんな人なんだろう。てか、なんでわざわざあの橋で私と同じようなことするかな。他の人に見られたら恥ずいじゃん。わざとあんなことしてるのかな。だったらやっぱりウザい。
疎ましいはずなのに、気付けばあの女子高生の事ばかり考えている。あの女子高生がどこか気になってしまう。気分は悪いはずなのに、公民館から流れている童謡の『夕焼け小焼け』を聞きながら彼女の事を考える帰り道は、彼女に会わずに通る帰り道よりも、四葉に着くのが早く感じた。