memory refusal,memory violence
お兄ちゃんはそんな私を見て「まぁ、いっか」とだけ言うと机の引き出しを開けた。そして、明らかに前よりも多い手紙を両手一杯に掴んで私の横に置く。そこには、前に私が破った手紙まで含まれており、丁寧にテープで張り合わせてあった。
「馬鹿じゃないの……」
そんな手紙を見て、自然とそんな言葉が零れた。自分が抱いていたお兄ちゃんの偶像が物凄い勢いで崩れていく。ずっと一緒にいたのにも関わらず、私は全然お兄ちゃんを理解できていなかったらしいと再び痛感する。人というものは、たとえ血が繋がっていても、そう簡単に理解し合えるものではないらしい。
「別に否定はしないよ。お前の言う通り、俺は馬鹿なのかもしれない」
「かもじゃない。間違いなく馬鹿だよ」
「でも、お前に何と言われようと、俺はもう自分のしたいことをするよ」
「勝手にすればなんて言わないよ。ねぇ、今までどうやって手紙のやりとりしてたの? 私、ポストとか結構確認してたんだけど」
「直接会ってた」
お兄ちゃんはさらっとそう言ったが、予想以上に元母親とお兄ちゃんの交流が深いことを知り、私は頭を抱えざるを得なかった。
「いつ?」
「二週間に一回、学校帰りに」
「何曜日? どこで?」
「それはお前が母さんに会う気がないのなら教えられない」
「会うわけないじゃん」
「じゃあ教えられない」
「前にここを出ていくって言ったよね。それって……」
「うん、母さんの所に行こうと思う」
「あの人だってもう自分の家庭があるんでしょ。何のために今更おにいちゃんを連れ戻そうとしてるの」
「母さん、別れたらしい。籍は入れてないから離婚ではないらしいけど。子供もいない。一人なんだ」
「あの人が一人になったからお兄ちゃんが行くの?」
「母さんは一人で生きていけない人だと思う。ここ最近、すごくやつれてきてる」
「そんなの自業自得じゃん。ざまぁみろじゃん」
「俺だけじゃないよ。お前も一緒に来ればそれが一番いい。前にも言ったけど、一度は俺たちを捨てたかもしれない。けど、母さんも俺たちの今の生活を心配してるんだ。嫌いになったわけじゃない。苦渋の選択だったんだ」
「悩んだとしても最後には子供をとるのが母親ってものじゃないの? あの人は結局私たちを捨てたんだよ? そんな人の所に私が行くわけがないじゃん」
「なら、俺は一人でも母さんの所に行くよ」
「またいなくなるかもしれないよ」
「もうそんなことないと思う」
「そんなの分かんないじゃん。高校生のくせにお母さんっ子なんだね。お母さんじゃないけど」
「そう言われると痛いな……」
「わざと痛いとこ突いてるんだよ」
「そっか」
「私は止めるよ。そんなことをしたところでお兄ちゃんが幸せになれるとは思えない。私たちはもう、昔の事なんて忘れて、決別して、これから幸せになる権利があるんだから」
「幸せなんて人それぞれだよ。俺は自分の幸せのために生きてるつもり」
「感覚がおかしいとしか思えない」
「感覚がおかしいなら、幸せの感じ方も狂ってる。だから問題ない」
「気付いた時にはもう遅いよ」
「気付かなければいい」
「昔みたいに家族ってだけで全部を信用できる関係にはなれないんだよ! 常に疑いながら生活しなきゃいけない! そんなことをした人だよ!」
「急に大声出すなよ」
「お兄ちゃんが分からず屋だからじゃん!」
私はついに我慢の限界になり、結局声を荒げてしまった。今日は話をするためにここに来たのに、お兄ちゃんは私の言葉をするりと躱す。それがとても煩わしい。これでは話にならない。
「話をしようよ……」
「話してるじゃないか。話が通じないように感じるのは俺もお前も意見を変えるつもりがないからだよ」
「なんでそこまで頑固なの」
「頑固なのはお前もだよ。人の事なんて放っておけばいい」
「家族なんだよ、そんなこと出来るわけないじゃん。そんな事出来ないから私たちの事を捨てた人の所に行こうとしてるお兄ちゃんを止めようとてるんだよ」
「家族は放っておけない。それは俺だって同じだよ。だから行くんだ」
「家族じゃないよ、あんな人」
「救いはあってもいいと思う」
「私たちが救う必要はないよ。そもそもあの人は救われるようなことなんて一つもしてないじゃん。そんな気でいるなら尚更(なおさら)行かせられない。きっと、あの人がお兄ちゃんを救った気になるだけだよ」
「お前は母さんを分かってないよ。家族ってのはそんな簡単に壊しちゃいけない」
「だから!」
「だから私たちはもうあの女と家族じゃない。そう言いたいんだろ」
お兄ちゃんは私の言おうとしたことをそのまま私より先に口に出した。
「分かってるなら聞き入れてよ」
「分かっていても聞き入れられない」
「妹からのお願い……」
「一つくらい兄のわがままも聞いてくれよ」
私はまた、前回と同様に何も言えなくなってしまう。もう何を言っても無駄なのだろう。お兄ちゃんの決意は固い。なにも理解出来ることはないけれど、それだけは分かってしまった。そして、それはつまり、お兄ちゃんにとって私はそこまでの価値がないことということを意味するような気がしてやるせない。ここでまた、お兄ちゃんに罵声を浴びせて部屋から出ていくこともできたが、それすらお兄ちゃんの気を引くには物足りないものだと思えば、叫ぶ気力など湧かない。
「もういい」
私は力なくベッドから立ち上がり、お兄ちゃんの部屋から退室する。呼び止められることはなかった。だからといって前みたいに振り返るようなことはしない。私の後ろにどんな顔があるかは振り返らずとも容易に思い浮かぶ。
全ての気力が削がれた。ドアを閉めることすら億劫に感じてしまい、開けたまま出てきてしまった。そのまま自室に向かい、ベッドに倒れこむ。
もう全部がどうでもいい。
もちろん、そんな気の持ちようではいけないことなど頭では分かっていたが、その時はどうしようもなく、そんな気分だった。
「馬鹿じゃないの……」
そんな手紙を見て、自然とそんな言葉が零れた。自分が抱いていたお兄ちゃんの偶像が物凄い勢いで崩れていく。ずっと一緒にいたのにも関わらず、私は全然お兄ちゃんを理解できていなかったらしいと再び痛感する。人というものは、たとえ血が繋がっていても、そう簡単に理解し合えるものではないらしい。
「別に否定はしないよ。お前の言う通り、俺は馬鹿なのかもしれない」
「かもじゃない。間違いなく馬鹿だよ」
「でも、お前に何と言われようと、俺はもう自分のしたいことをするよ」
「勝手にすればなんて言わないよ。ねぇ、今までどうやって手紙のやりとりしてたの? 私、ポストとか結構確認してたんだけど」
「直接会ってた」
お兄ちゃんはさらっとそう言ったが、予想以上に元母親とお兄ちゃんの交流が深いことを知り、私は頭を抱えざるを得なかった。
「いつ?」
「二週間に一回、学校帰りに」
「何曜日? どこで?」
「それはお前が母さんに会う気がないのなら教えられない」
「会うわけないじゃん」
「じゃあ教えられない」
「前にここを出ていくって言ったよね。それって……」
「うん、母さんの所に行こうと思う」
「あの人だってもう自分の家庭があるんでしょ。何のために今更おにいちゃんを連れ戻そうとしてるの」
「母さん、別れたらしい。籍は入れてないから離婚ではないらしいけど。子供もいない。一人なんだ」
「あの人が一人になったからお兄ちゃんが行くの?」
「母さんは一人で生きていけない人だと思う。ここ最近、すごくやつれてきてる」
「そんなの自業自得じゃん。ざまぁみろじゃん」
「俺だけじゃないよ。お前も一緒に来ればそれが一番いい。前にも言ったけど、一度は俺たちを捨てたかもしれない。けど、母さんも俺たちの今の生活を心配してるんだ。嫌いになったわけじゃない。苦渋の選択だったんだ」
「悩んだとしても最後には子供をとるのが母親ってものじゃないの? あの人は結局私たちを捨てたんだよ? そんな人の所に私が行くわけがないじゃん」
「なら、俺は一人でも母さんの所に行くよ」
「またいなくなるかもしれないよ」
「もうそんなことないと思う」
「そんなの分かんないじゃん。高校生のくせにお母さんっ子なんだね。お母さんじゃないけど」
「そう言われると痛いな……」
「わざと痛いとこ突いてるんだよ」
「そっか」
「私は止めるよ。そんなことをしたところでお兄ちゃんが幸せになれるとは思えない。私たちはもう、昔の事なんて忘れて、決別して、これから幸せになる権利があるんだから」
「幸せなんて人それぞれだよ。俺は自分の幸せのために生きてるつもり」
「感覚がおかしいとしか思えない」
「感覚がおかしいなら、幸せの感じ方も狂ってる。だから問題ない」
「気付いた時にはもう遅いよ」
「気付かなければいい」
「昔みたいに家族ってだけで全部を信用できる関係にはなれないんだよ! 常に疑いながら生活しなきゃいけない! そんなことをした人だよ!」
「急に大声出すなよ」
「お兄ちゃんが分からず屋だからじゃん!」
私はついに我慢の限界になり、結局声を荒げてしまった。今日は話をするためにここに来たのに、お兄ちゃんは私の言葉をするりと躱す。それがとても煩わしい。これでは話にならない。
「話をしようよ……」
「話してるじゃないか。話が通じないように感じるのは俺もお前も意見を変えるつもりがないからだよ」
「なんでそこまで頑固なの」
「頑固なのはお前もだよ。人の事なんて放っておけばいい」
「家族なんだよ、そんなこと出来るわけないじゃん。そんな事出来ないから私たちの事を捨てた人の所に行こうとしてるお兄ちゃんを止めようとてるんだよ」
「家族は放っておけない。それは俺だって同じだよ。だから行くんだ」
「家族じゃないよ、あんな人」
「救いはあってもいいと思う」
「私たちが救う必要はないよ。そもそもあの人は救われるようなことなんて一つもしてないじゃん。そんな気でいるなら尚更(なおさら)行かせられない。きっと、あの人がお兄ちゃんを救った気になるだけだよ」
「お前は母さんを分かってないよ。家族ってのはそんな簡単に壊しちゃいけない」
「だから!」
「だから私たちはもうあの女と家族じゃない。そう言いたいんだろ」
お兄ちゃんは私の言おうとしたことをそのまま私より先に口に出した。
「分かってるなら聞き入れてよ」
「分かっていても聞き入れられない」
「妹からのお願い……」
「一つくらい兄のわがままも聞いてくれよ」
私はまた、前回と同様に何も言えなくなってしまう。もう何を言っても無駄なのだろう。お兄ちゃんの決意は固い。なにも理解出来ることはないけれど、それだけは分かってしまった。そして、それはつまり、お兄ちゃんにとって私はそこまでの価値がないことということを意味するような気がしてやるせない。ここでまた、お兄ちゃんに罵声を浴びせて部屋から出ていくこともできたが、それすらお兄ちゃんの気を引くには物足りないものだと思えば、叫ぶ気力など湧かない。
「もういい」
私は力なくベッドから立ち上がり、お兄ちゃんの部屋から退室する。呼び止められることはなかった。だからといって前みたいに振り返るようなことはしない。私の後ろにどんな顔があるかは振り返らずとも容易に思い浮かぶ。
全ての気力が削がれた。ドアを閉めることすら億劫に感じてしまい、開けたまま出てきてしまった。そのまま自室に向かい、ベッドに倒れこむ。
もう全部がどうでもいい。
もちろん、そんな気の持ちようではいけないことなど頭では分かっていたが、その時はどうしようもなく、そんな気分だった。