memory refusal,memory violence
遺品
お兄ちゃんが死んで数ヶ月、警察の取り調べ、四葉の人間だけで行われた葬儀など諸々(もろもろ)を終え、四葉がやっと落ち着きを取り戻してきたころ、お兄ちゃんの部屋を片付けることになった。今村さんは嫌ならしないでもいいと気を遣ったようだったが、私も兄妹という建前上しておくことにした。今村さんは私が屍となった兄に対して「ざまあみろ」といって以降、どこか私によそよそしい。まぁ仕方のないことだ。客観的に見れば血の繋がった兄の屍にそんな言葉を投げかける妹は怖い。
欲しいものがあれば持っていっていいと今村さんは言ったが、今更お兄ちゃんを連想させるようなものは欲しいと思わなかった。いい思い出だとかそういったものは裏切りに気付いた瞬間から黒く染まり、恨めしく、自分を惨めにさせるものに変わる。
それでも、今村さんをあまり心配させたくなかったため、少しは寂しがっているように見えるよう、お兄ちゃんが写った写真を一枚だけ貰うことにした。自分の部屋に長く置くようなことはしたくなかったから、どこか四葉の人に見つからないところに捨てようと思った。自分が元から持っていたものは既に学校の焼却炉に捨てた。ちょっと前まではお兄ちゃんお兄ちゃんと兄に依存し、兄がいなければ生きていけないと思っていたくらいなのに、我ながら切り替えの早さに感心さえする。
「ねぇ、これ」
作業を始めて一時間が経った頃だろうか、今村さんが私に声を掛けてきた。それまでお互いほとんど無言で作業をしていたため、少し驚きながら今村さんの方を向く。今村さんは何かを見つけたらしく、それを私に手渡してきた。私はそれを受け取る。
手紙だった。
どうせ元母親からの手紙だろう。私はまだあったのかと内心で呆れつつ、とりあえずそれを受け取る。手紙は封筒にしまわれており、封筒には何も書かれていない。兄は元母親の所に行く際、元母親から貰った手紙を持って行ったか処分したのか分からないが、部屋から手紙を持ちだしていたらしく、前に探した時は、手紙は見当たらなかった。
「どこにあったんですか?」
以前探した時は部屋の隅々まで探したつもりだった。見落としはしていないつもりだったが、今思うとあったかもしれない。自分でも気付いていなかったが、今思えば、あの時には既にお兄ちゃんに対する嫌悪感が少なからずあったような気がしないでもない。私の前から中途半端な予兆だけ見せて消えたのだ。いなくなったその時点で私の中に憎しみが生まれていてもおかしなことではないだろう。そこから隙が出来たと考えれば見落としがあっても不思議ではない。いなくてもいいと思っている人を探すのは面倒だ。
「机の中にあったんだけど、前見たはずなんだけどな~」
「真剣に探さなかったんじゃないですか?」
「馬鹿なこと言わないで」
どうだろう。私でさえそう思うのだから私から見れば所詮他人の今村さんだって自覚がないだけでそうじゃないだろうか。と思ったがそれは口にしない。
私は手紙を読まずにポケットにしまう。
「読まないの?」
「今はいいです」
「そう」
「はい」
正直、読む気になれない。そのままゴミ袋に突っ込んでしまってもよかったが、それは今村さんの前では出来そうにない。今村さんは本当の家族ではなく、他人だけど、私たちによく気を遣ってくれるいい人だ。無駄な気は遣わせたくない。
部屋の大方な片付けは半日かからずに終わった。元々あまり物のない殺風景な部屋だったから、これでも時間のかかった方だろう。
私は片付けを終えると、出かけることにした。特に行く場所を決めているわけではないが、ポケットに入れたままになっている写真と手紙をどこかに捨てるためだ。とりあえず中学校に向かって歩いてみる。
十五分ほど歩くと最近はもう見慣れてしまった鉄橋が見えてくる。橋の下には川が流れていて、高さは落ちたら死んでしまうだろうなと思うくらいの高さだ。
「ここでいっか」
人も車も滅多に通らない橋だ。誰かに見られる心配はない。いや、橋から紙屑を捨てるだけだ。誰に見られたところでそれほど問題はない。ポイ捨ての注意を受けるくらいだ。
私は片方のポケットから写真を取り出す。写真には無表情な兄だった人と若干はにかんでいるように見えなくもない私が写っている。四葉でバーベキューをした時の写真だった。自分では本当の笑顔はもう何年も前に無くしてしまったものだと思っていたが、お兄ちゃんと一緒に写真を撮る、たったそれだけで当時の私はどうやら嬉しかったらしい。
「馬鹿じゃないの」
写真の中にいる自分に向かって自嘲した。
写真を二つに引き裂く。大体私と兄だった人の間で破けた。私は自分の写った方の写真を先に橋から捨て、お兄ちゃんだった人の写る方をそれから何度も破り、同じく橋から捨てた。バラバラになった写真がひらひらと落ちていくのを見ながらすがすがしい気分だと自分に思い込ませる。写真の欠片が川に落ちる、もしくは風に流されるのを見届けて、私はもう片方のポケットに入った便箋を握り潰す。これで決別だ。
クシャクシャになった便箋をポケットから取り出す。近くで聞いたことのない鳥の鳴き声が聞こえた。私はそんなことを気にせず手紙を破こうとした。けど、しただけだった。鳥の鳴き声に気を取られたわけではない。私は気付いてしまったのだ。
その手紙は未読だった。封筒は糊付けされていて開かれていない。お兄ちゃんが元母親からの手紙を読み忘れるとは思えない。それに、元母親はこんな茶色で無地の封筒は使わない。前にお兄ちゃんだった人から見せてもらった手紙の中にはどれもこんな地味な封筒はなかったと思う。
あの人からの手紙じゃない?
では誰からの手紙だろう。ただ単に学校などで貰ったものだろうか。学校からのものならば無地ではなく学校名などが印刷してありそうだが、ないこともない。
一度考えると中身が気になってきてしまった。私は、バカだなぁと思いつつも封筒を破く。中には真っ白なA4サイズのコピー用紙一枚が三つ折りにされて入っていた。
私はその紙を広げる。紙には手書きの文字が並んでいた。
だけど、その手紙の差出人は私が予想していたものとは大きく違っていた。誰に宛てたものかも、誰が差出人なのかも書いていなかったが、それは筆致と冒頭の文を見ればすぐに判断することができた。
「なんで……」
それはお兄ちゃんだった人から私に送られた手紙だった。
私はそれを読まずに捨てようと思った。読んでしまえばきっと後悔する。読んだところで彼の罪が消えるわけではない。彼の死をもってこの話には終止符が打たれている。円満に解決するわけがない。けれど、私は読まずにはいられなかった。私の中の何かが読まないことを許さなかった。
封筒をポケットにしまい、風で飛ばされないように両手でしっかりと持ってその手紙を読む。後悔することを恐れながらも一行一行、何かを探すかのうに精読する。いや、するつもりだった。実際に途中までは真剣に読み進めた。だが、結果的に私はその手紙を最後まで読むことはできなかった。私は手紙を中盤くらいまで読み進めると、写真と同じように破り捨て、橋から放り棄てる。
とても読むに堪えない。
そこに記されている言葉の一つ一つは、これ以上落ちることのないと思っていた兄だったものへの評価をさらに下落させるものだった。自己正当化、言い訳。私に非があるかのような責任転嫁の言葉さえ、恥じることなく所狭しに綴られている。
気持ちが悪い。
気味が悪い。
気色が悪い。
反吐が出る。
嫌悪や憎悪といった感情がこれでもかというほど急速に私の中で広がっていく。よくこんなものを寄越すことができたものだ。わざわざこんなものを私に見せるためにこそこそと戻ってきた姿を想像すると失笑ものだ。
「死んでよかったよ、ほんと」
川の水に流される紙屑を目で追いながらそう呟く。心の底からそう思っていた。生きる価値のない人達なのだ。父だった人も母だった人も兄だった人も、みんな生きる価値のない人間だ。元父親は今も生きているのだろうけど、この際だ、私の中では死んだことにしよう。せめて、私の心の中くらいでは殺してしまおう。
そう考えると、気持ちがいいくらい自分を憐れむことができた。
私は一人なんだ。自分で自分を可哀想だと自信を持って思えてしまう。家族だと思っていた人たちとの生活はただの家族ごっこに過ぎなかったんだ。そりゃ、続けられるわけがない。ごっこ遊びに愛情は伴わない。
「ひとりか~」
空を仰ぎながら一言そう呟く。空に向かって放たれたその言葉は、何かの音にかき消されるわけでもなく、空中に解けるわけでもなく、ただただ私の周りを彷徨った。
不意に涙が零れる。自分が放ったその一言のせいで、自分が一人だということをより深く実感してしまう。さらに夕暮れ時の橋にたった一人。その状況が、現実を余計に際立たせる。
死んでもいいかな。
そう思うのは自然なことではないかと思う。今ここで私が橋から身を投げ出して死んだとしても、きっと事情を知っている誰もが心のどこかで同情し、納得してくれると思う。それは許される死ではないだろうか。
再び橋の下に視線を落とす。高さは十分。川の流れも見た目より早いことを私は知っている。飛び降りればほぼ確実に死ぬことができるだろう。
足を橋の柵に掛けてみる。視線が十数センチ上がっただけで鼓動が速まる。私にはまだ死に対する恐怖心があるらしい。それでも……。
私は首を振って橋の下から視線を外し、柵から離れる。
私は何を考えているんだ。ここで死ねば私を不幸にした奴らと同じではないか。確かに状況は違う。私が死んだところで心から悲しむ人はいない。四葉の住民だってそこまで悲しまないだろう。きっとお兄ちゃんだった人の時のように少し時間が経てば日常を取り戻す。でも、だからって、私が死ぬ必要は微塵もない。
勝ち負けという話ではないが、無理やりそういう話にするなら、私がここで死ねば、それは間違いなく負けだ。そんなのはごめんだ。
ならば生きるしかない。私にとってこの世界は途方もなく生き辛い世界だけれど、生きるしかないんだ。もし、生きることが今以上に辛くなって、この橋の高さに恐怖を感じなくなれば、その時は諦めてこの橋から飛び降りればいい。それくらいの余地はあっていいだろう。でも、今はダメだ。生きてやる。
私は一人、橋の上で決心する。
きっと私はこれから何度も死にたくなるだろう。この橋を通るたびに命を投げ出そうと思うだろう。でも、まだこの高さに恐怖心がある間は踏み留まってやる。自分だけを信じて生に縋ってやる。
なんだかいろいろと自分の感情に矛盾があるような気がするが、そんなことはどうでもいい。
今のところは生きるという中途半端な決心がついたところで私は身体を四葉の方に向ける。どこかでカラスが鳴き、いつの間にか私の頭上ではトンビが旋回している。どこかバカにされているようでいい気はしない。
これからは毎日が苦痛だろう。だけど生きる。こんな人生だ、未来だって碌なことはないかもしれない。それでも生きる。私はもう誰にも期待しない。自分の力で生きてやる。
そんな言葉を頭の中で幾つも並べて、自分を奮い立たせる。
私は死の淵から四葉の方向へと足の向きを変えた。
欲しいものがあれば持っていっていいと今村さんは言ったが、今更お兄ちゃんを連想させるようなものは欲しいと思わなかった。いい思い出だとかそういったものは裏切りに気付いた瞬間から黒く染まり、恨めしく、自分を惨めにさせるものに変わる。
それでも、今村さんをあまり心配させたくなかったため、少しは寂しがっているように見えるよう、お兄ちゃんが写った写真を一枚だけ貰うことにした。自分の部屋に長く置くようなことはしたくなかったから、どこか四葉の人に見つからないところに捨てようと思った。自分が元から持っていたものは既に学校の焼却炉に捨てた。ちょっと前まではお兄ちゃんお兄ちゃんと兄に依存し、兄がいなければ生きていけないと思っていたくらいなのに、我ながら切り替えの早さに感心さえする。
「ねぇ、これ」
作業を始めて一時間が経った頃だろうか、今村さんが私に声を掛けてきた。それまでお互いほとんど無言で作業をしていたため、少し驚きながら今村さんの方を向く。今村さんは何かを見つけたらしく、それを私に手渡してきた。私はそれを受け取る。
手紙だった。
どうせ元母親からの手紙だろう。私はまだあったのかと内心で呆れつつ、とりあえずそれを受け取る。手紙は封筒にしまわれており、封筒には何も書かれていない。兄は元母親の所に行く際、元母親から貰った手紙を持って行ったか処分したのか分からないが、部屋から手紙を持ちだしていたらしく、前に探した時は、手紙は見当たらなかった。
「どこにあったんですか?」
以前探した時は部屋の隅々まで探したつもりだった。見落としはしていないつもりだったが、今思うとあったかもしれない。自分でも気付いていなかったが、今思えば、あの時には既にお兄ちゃんに対する嫌悪感が少なからずあったような気がしないでもない。私の前から中途半端な予兆だけ見せて消えたのだ。いなくなったその時点で私の中に憎しみが生まれていてもおかしなことではないだろう。そこから隙が出来たと考えれば見落としがあっても不思議ではない。いなくてもいいと思っている人を探すのは面倒だ。
「机の中にあったんだけど、前見たはずなんだけどな~」
「真剣に探さなかったんじゃないですか?」
「馬鹿なこと言わないで」
どうだろう。私でさえそう思うのだから私から見れば所詮他人の今村さんだって自覚がないだけでそうじゃないだろうか。と思ったがそれは口にしない。
私は手紙を読まずにポケットにしまう。
「読まないの?」
「今はいいです」
「そう」
「はい」
正直、読む気になれない。そのままゴミ袋に突っ込んでしまってもよかったが、それは今村さんの前では出来そうにない。今村さんは本当の家族ではなく、他人だけど、私たちによく気を遣ってくれるいい人だ。無駄な気は遣わせたくない。
部屋の大方な片付けは半日かからずに終わった。元々あまり物のない殺風景な部屋だったから、これでも時間のかかった方だろう。
私は片付けを終えると、出かけることにした。特に行く場所を決めているわけではないが、ポケットに入れたままになっている写真と手紙をどこかに捨てるためだ。とりあえず中学校に向かって歩いてみる。
十五分ほど歩くと最近はもう見慣れてしまった鉄橋が見えてくる。橋の下には川が流れていて、高さは落ちたら死んでしまうだろうなと思うくらいの高さだ。
「ここでいっか」
人も車も滅多に通らない橋だ。誰かに見られる心配はない。いや、橋から紙屑を捨てるだけだ。誰に見られたところでそれほど問題はない。ポイ捨ての注意を受けるくらいだ。
私は片方のポケットから写真を取り出す。写真には無表情な兄だった人と若干はにかんでいるように見えなくもない私が写っている。四葉でバーベキューをした時の写真だった。自分では本当の笑顔はもう何年も前に無くしてしまったものだと思っていたが、お兄ちゃんと一緒に写真を撮る、たったそれだけで当時の私はどうやら嬉しかったらしい。
「馬鹿じゃないの」
写真の中にいる自分に向かって自嘲した。
写真を二つに引き裂く。大体私と兄だった人の間で破けた。私は自分の写った方の写真を先に橋から捨て、お兄ちゃんだった人の写る方をそれから何度も破り、同じく橋から捨てた。バラバラになった写真がひらひらと落ちていくのを見ながらすがすがしい気分だと自分に思い込ませる。写真の欠片が川に落ちる、もしくは風に流されるのを見届けて、私はもう片方のポケットに入った便箋を握り潰す。これで決別だ。
クシャクシャになった便箋をポケットから取り出す。近くで聞いたことのない鳥の鳴き声が聞こえた。私はそんなことを気にせず手紙を破こうとした。けど、しただけだった。鳥の鳴き声に気を取られたわけではない。私は気付いてしまったのだ。
その手紙は未読だった。封筒は糊付けされていて開かれていない。お兄ちゃんが元母親からの手紙を読み忘れるとは思えない。それに、元母親はこんな茶色で無地の封筒は使わない。前にお兄ちゃんだった人から見せてもらった手紙の中にはどれもこんな地味な封筒はなかったと思う。
あの人からの手紙じゃない?
では誰からの手紙だろう。ただ単に学校などで貰ったものだろうか。学校からのものならば無地ではなく学校名などが印刷してありそうだが、ないこともない。
一度考えると中身が気になってきてしまった。私は、バカだなぁと思いつつも封筒を破く。中には真っ白なA4サイズのコピー用紙一枚が三つ折りにされて入っていた。
私はその紙を広げる。紙には手書きの文字が並んでいた。
だけど、その手紙の差出人は私が予想していたものとは大きく違っていた。誰に宛てたものかも、誰が差出人なのかも書いていなかったが、それは筆致と冒頭の文を見ればすぐに判断することができた。
「なんで……」
それはお兄ちゃんだった人から私に送られた手紙だった。
私はそれを読まずに捨てようと思った。読んでしまえばきっと後悔する。読んだところで彼の罪が消えるわけではない。彼の死をもってこの話には終止符が打たれている。円満に解決するわけがない。けれど、私は読まずにはいられなかった。私の中の何かが読まないことを許さなかった。
封筒をポケットにしまい、風で飛ばされないように両手でしっかりと持ってその手紙を読む。後悔することを恐れながらも一行一行、何かを探すかのうに精読する。いや、するつもりだった。実際に途中までは真剣に読み進めた。だが、結果的に私はその手紙を最後まで読むことはできなかった。私は手紙を中盤くらいまで読み進めると、写真と同じように破り捨て、橋から放り棄てる。
とても読むに堪えない。
そこに記されている言葉の一つ一つは、これ以上落ちることのないと思っていた兄だったものへの評価をさらに下落させるものだった。自己正当化、言い訳。私に非があるかのような責任転嫁の言葉さえ、恥じることなく所狭しに綴られている。
気持ちが悪い。
気味が悪い。
気色が悪い。
反吐が出る。
嫌悪や憎悪といった感情がこれでもかというほど急速に私の中で広がっていく。よくこんなものを寄越すことができたものだ。わざわざこんなものを私に見せるためにこそこそと戻ってきた姿を想像すると失笑ものだ。
「死んでよかったよ、ほんと」
川の水に流される紙屑を目で追いながらそう呟く。心の底からそう思っていた。生きる価値のない人達なのだ。父だった人も母だった人も兄だった人も、みんな生きる価値のない人間だ。元父親は今も生きているのだろうけど、この際だ、私の中では死んだことにしよう。せめて、私の心の中くらいでは殺してしまおう。
そう考えると、気持ちがいいくらい自分を憐れむことができた。
私は一人なんだ。自分で自分を可哀想だと自信を持って思えてしまう。家族だと思っていた人たちとの生活はただの家族ごっこに過ぎなかったんだ。そりゃ、続けられるわけがない。ごっこ遊びに愛情は伴わない。
「ひとりか~」
空を仰ぎながら一言そう呟く。空に向かって放たれたその言葉は、何かの音にかき消されるわけでもなく、空中に解けるわけでもなく、ただただ私の周りを彷徨った。
不意に涙が零れる。自分が放ったその一言のせいで、自分が一人だということをより深く実感してしまう。さらに夕暮れ時の橋にたった一人。その状況が、現実を余計に際立たせる。
死んでもいいかな。
そう思うのは自然なことではないかと思う。今ここで私が橋から身を投げ出して死んだとしても、きっと事情を知っている誰もが心のどこかで同情し、納得してくれると思う。それは許される死ではないだろうか。
再び橋の下に視線を落とす。高さは十分。川の流れも見た目より早いことを私は知っている。飛び降りればほぼ確実に死ぬことができるだろう。
足を橋の柵に掛けてみる。視線が十数センチ上がっただけで鼓動が速まる。私にはまだ死に対する恐怖心があるらしい。それでも……。
私は首を振って橋の下から視線を外し、柵から離れる。
私は何を考えているんだ。ここで死ねば私を不幸にした奴らと同じではないか。確かに状況は違う。私が死んだところで心から悲しむ人はいない。四葉の住民だってそこまで悲しまないだろう。きっとお兄ちゃんだった人の時のように少し時間が経てば日常を取り戻す。でも、だからって、私が死ぬ必要は微塵もない。
勝ち負けという話ではないが、無理やりそういう話にするなら、私がここで死ねば、それは間違いなく負けだ。そんなのはごめんだ。
ならば生きるしかない。私にとってこの世界は途方もなく生き辛い世界だけれど、生きるしかないんだ。もし、生きることが今以上に辛くなって、この橋の高さに恐怖を感じなくなれば、その時は諦めてこの橋から飛び降りればいい。それくらいの余地はあっていいだろう。でも、今はダメだ。生きてやる。
私は一人、橋の上で決心する。
きっと私はこれから何度も死にたくなるだろう。この橋を通るたびに命を投げ出そうと思うだろう。でも、まだこの高さに恐怖心がある間は踏み留まってやる。自分だけを信じて生に縋ってやる。
なんだかいろいろと自分の感情に矛盾があるような気がするが、そんなことはどうでもいい。
今のところは生きるという中途半端な決心がついたところで私は身体を四葉の方に向ける。どこかでカラスが鳴き、いつの間にか私の頭上ではトンビが旋回している。どこかバカにされているようでいい気はしない。
これからは毎日が苦痛だろう。だけど生きる。こんな人生だ、未来だって碌なことはないかもしれない。それでも生きる。私はもう誰にも期待しない。自分の力で生きてやる。
そんな言葉を頭の中で幾つも並べて、自分を奮い立たせる。
私は死の淵から四葉の方向へと足の向きを変えた。