memory refusal,memory violence

後付けの覚悟

 目が覚めてまず知ったことは、外がまだ暗いということだった。昨日、手紙を書いてすぐに布団に入ってしまったためもあるが、そもそも、このところはあまり寝ることができていない。日が昇らないうちに目が覚めてしまうこともしばしばある。実際、今、目が覚める前にも何度か目が覚めていた。今日は平日だが、大学の講義はとっていない。送葉が死んで以降、今までやっていたバイトもやめてしまった。今はいつか送葉との旅行に使うはずだったわずかな貯金と仕送りで生計を立てている。つまり、僕は今日一日予定がない。

 そんな中、何かやることを探そうとすると、顔を洗い、着替えて、朝食を採り、歯を磨くという朝の一連の習慣以外に思いつくことは一つしかなかった。元々、昨日から考えていたことではある。

 送葉に手紙を届けに行こう。

 昨日すぐに消してしまった電気をつけ、スウェットを脱ぎ、シャワーを浴び、久しぶりにきちんと服を選ぶ。灰になっているとはいえ、恋人に会いに行くのだ。だらしない恰好はできない。かといって墓地にいくために気合の入りすぎた格好をするのも気が引けたので、悩んだ結果、ベージュのチノパンに白色のシャツ、紺色のカーディガンという男子大学生御用達の無難なところに収まった。
 
 昨日、手紙を買うついでにコンビニで買ってきた食パンと 牛乳を少量含んだコーヒーで無理やり流し込み、歯を磨く。歯を磨いているときに髭を剃っていないことにも気付いたので髭も剃った。もともとあまり濃くないほうだが、放っておくとそれなりに伸びる。

 洗面所から部屋に戻り、椅子に座ってから机の引き出しにしまってある手紙を取り出す。

 机に『脳ちゃん』がプリントされた手紙を置き、数秒見つめる。そして僕はペンを握った。

 送葉へ

 書き忘れていたわけではない。これは手紙を届けに行く日に書くと決めていた。別にこれといった理由があるわけではないのだが、理由を付けるとすれば、ケジメをつけるための覚悟の確認というところだろうか。いや、一応理由を付けてはみたが、やはりそれは後付けに過ぎない。ならなんだろうか。きっと何となくなのだろう。ただそうしたかった、それだけだ。

 僕はペンを置くと手紙を持って立ち上がった。財布と携帯をポケットに入れ、家と車の鍵が付いたキーケースを持ってアパートを出る。春の早朝はまだ肌寒い。

 電車という交通手段も考えたが、始発までにはまだ時間がある。それに、何もせずに電車に乗っていると、また送葉について無駄な考えを巡らしてしまい、覚悟したことが鈍ってしまいそうだったため、自分で運転する車を選んだ。そんなことで鈍ってしまう覚悟ではないと言い切りたいが、どうしても自信が持てない。

 大学入学時、大学から中途半端に遠いアパートしか借りることができなかったために購入した時からヤニ臭かった中古の軽自動車に乗り込み、エンジンをかけて財布と手紙を助手席に置く。学校帰りなどに何度も送葉が座った助手席。送葉が僕の車に乗る時、決まって鼻に皺を寄せていたことを思い出す。

「送葉……」

 情けない声が漏れた。だが、僕はそれをすぐには情けないと思うことができなかった。僕が発する声は送葉が死んでからずっと情けない。そのことさえ、送葉の名を呟いて数秒経ってからやっと気付いた。これではダメだ。今まで何度も思ってきたことをもう一度強く念じ、ついでに頬も両手で叩いて自分を鼓舞する。

「今から行くから」

 小さく、だけど力強く僕は言おうとした。しかし、言葉にしたそれはやはり自分の思っていたほどのものではなく、自分でもどこか情けないと感じざるをえないものだった。

 それでも行くと決めた以上、それを撤回する気はない。帰りにはきっと何かが変わっている。そう自分に信じ込ませる。それを信じられなければ、僕はこれからも自分の中で自分の都合に合わせて変わっていく送葉にうしろめたさを感じ、変わってしまった送葉だったものに落胆し、恐怖することになる。もしかしたら送葉に好意を寄せていた自分を疑問に思う日が来るかもしれない。そしたら僕はきっとそんなことを考えた自分に絶望するだろう。そんなことは我慢ならない苦痛に違いない。僕は送葉が好きだったのだから。嫌いになれたらなんて微塵も思ったことがない。けれど、これ以上好きになることもあってはいけないのだ。

 自分が今、送葉を愛していることは誰にどういわれようと紛れもない真実で、僕はそれを永遠のものにしたいだけなんだ。今、この時までの『愛』を揺らぐことのないよう、心の片隅でいい、保管したい。ただそれだけだ。

 携帯電話を片手に行先をカーナビに打ち込み一般道優先の設定をする。送葉と同じゼミに通っていた綾香から教えてもらった葬儀日程と場所を携帯にメモしてとっておいたのだ。葬儀場は送葉が生まれた街と同じところにあったため、現地で記憶を辿れば墓地にも辿り着けるだろう。

 ギアをドライブに入れ、ゆっくりと車を発進させる。送葉の墓地がある街に向かってスピードを徐々に上げていく。

 この時間帯はまだどの道も車通りが少ない。車内には僕が乗る自動車のエンジン音とカーナビからの指示音声、そして聴いたことのない洋楽を垂れ流すだけのラジオ、稀にすれ違う対向車が風を切る音。探してみれば他にもいろいろな音があったが、今自分が聞き取れる音をすべて集めてみても、閑散とした明朝の国道はどこかもの寂しさが漂う。

 しかし、そんな時間はほんの一瞬だ。いつの間にか太陽は全身を露わにし、それに呼応して湧き出るかのように自動車の交通量や歩行者の量が一気に増え、人間の生活臭が濃くなる。だけど、その中に送葉の香りはしない。赤信号の間にそんなことを考える。
くそっ。

 僕は今考えていることを振り払うかのように首を振る。さすがにくどいと自分に言い聞かせる。それでも次の赤信号の時にはまた送葉のことを考えている。運転にどれだけ集中しようとしても、ラジオに耳を傾けてみても、外の風景を眺めてみても、歌を口ずさんでみても、どんなに些細なことでもなにかしら送葉を連想させる。

 自分の自動車にも関わらず、どうにも居心地の悪さを拭えず、通りかかったコンビニで休憩する。そんなことを何度も繰り返し、やっと送葉の故郷に着いた時には正午を回っていた。

 長い休憩を何度も重ねたため、葬儀場にたどり着いたのはカーナビが最初に示していた到着予想時刻よりも三時間以上も過ぎていた。

 葬儀場の駐車場は閑散としていてため、僕は車をそこに停車させた。駐車場から建物を見渡すと、当然のことかのように当時の光景が脳裏に浮かんでくる。まず浮かんだのは必死に嗚咽を堪えようとする送葉の母。悲しいはずなのに毅然としていようと努める送葉の父。送葉の両親はまだ僕と送葉の関係を知らないかもしれない。挨拶をしておくべきだったのかもしれない。だけど、これは言い訳にしかならないだろうが、僕自身余裕がなかった。

 送葉の葬儀には多くの人が来ていたが、その中の多くが大学の関係者で、送葉の友達に見える人は数少なかったような気がする。送葉に羨望を抱く者は多くいたが、大学生活でも綾香などは数少ない友達のように思えた。ただ、これも周りが見えていなかったなりの記憶だからはっきりと断言はできない。もちろん、友人が多ければ多いほどいいことだとは思わない。だけど、もしもそうなら少し寂しいような気がした。

 そんなことを少しの間思った後、今となってはどうしようもないことだと気付き、僕はカーナビに視線を落とす。反応の悪いタッチ画面を操作して近くの墓地を探す。
カーナビの表示にそれらしいものを見つけ、車のハンドルを再び握る。感傷に浸るためにここに来たわけではない。

 送葉の故郷は山の中腹にある。田舎と言って差し支えないだろう。町自体もそれほど大きくなく、町というよりも村という表現の方が的確な気もする。コンビニもスーパーもなく、寂れた商店がちらほらと窺える程度で、その商店の中にはシャッターを下ろしている所も珍しくない。平日の昼間いうのもあるかもしれないが、きっと過疎化が進んでいるのだろう、車通りも人通りも今はほとんどない。

 数分の間車を走らせているとやはりそこには小さな共同墓地があった。


< 3 / 54 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop