memory refusal,memory violence
譲渡~合わさる~
蠢く手紙を見てから一週間後。私は学校帰りに橋の上で御状送葉と落ち合う。この日、私は夢の中以外で初めて、いつもと反対側の歩道に立ち、沈みゆく太陽を眺めて御状さんを待った。同じ場所なのに、方向が違うだけでこれほど感じられるものが違うものなのかと微かに心躍る。
「そろそろ来ると思っていましたよ」
夢の中で聞き慣れた声が聞こえる。自分の声が自分の後ろから聞こえる。これもまた不思議な感じだ。
「私もです。まぁ、今日来るとは思ってましたけど、私は三日前からもう会える用意はできてましたよ」
「それは何よりです」
「よかったですね。予想以上に私に適性があって」
「はい」
話は淡々と進む。
「あの手紙を見てから熱がでました」
「知恵熱でしょうね。一気に送り込みましたから」
「顔面が筋肉痛で三日も上手く話せませんでした」
「おそらく表情筋を使いすぎたんです。これも同じ理由でしょうね」
「あの手紙を見てからあなたになった夢を見ます」
「人間はレム睡眠中に扁(へん)桃体(とうたい)を活性化させて記憶を定着させるからでしょう」
「あの紙に書かれていたのは、偽りのないあなたの記憶ですよね」
「私の人生を全て嘘偽りのない形で詰め込みました。今はもうあなたの記憶でもあります。あなたはあなたであり、私です。二つの記憶があるというのはどんな気分ですか?」
「最初は混乱しましたよ。御状さんの記憶は間違いなく手紙、夢で得たものですけど、同じ時系列に二つの記憶が存在している、または私の生まれる以前の記憶があるということに大きな違和感があります」
「なるほど」
「けれど、慣れれば快適かもしれません」
「それはよかったです」
普通ならばもっと多くの言葉を必要とするはずだ。いや、会話が成立しないかもしれない。だけど、今の私と御状さんの間では成立するし、沢山の言葉は必要ない。必要なのは確認だけだ。そして、いずれは確認さえ必要なくなる。
私はもう、御状送葉という人間の全てを理解している。
今度は御状さんが私の人生と気持ちを理解する番だ。
「手紙を書いてきました」
「それはつまり、実験に協力して頂けるということでしょうか」
「そう思ってくれて構いません」
私は御状さんに書いてきた手紙を渡す。そこには私と御状さんだけが書くことができ、読むことができる『完全な記憶』が記されている。書き方は夢の中で習得していた。
御状さんは私の手紙を両手で受け取り、鞄にしまう。
「私も書いてきました。新しい記憶です」
そう言って差し出された手紙を受け取る。御状さんは私に、私から見て幸福な記憶を提供する。私は御状さんに幸福とはとても言えない記憶と、おおよそ一般的なんだろう感性を提供する。
「新しい顔みたいですね」
「ちょっとよく分からないです。手紙を読めば分かるでしょうか?」
「――ちょっと分からないです」
「そうですか。残念です」
御状さんは全く残念そうに見えない顔で私から受け取った手紙を鞄にしまう。
「帰りましょうか」
「そうですね。次会う時は少しでも御状さんに変化があればいいと思います」
「変わりますよ、私たちの実験は、良好なスタートを切ったんですから」