memory refusal,memory violence

第四の目

「以上が、私たちが一つになるまでに起こったことその理由です」

 送葉(仮)さんが全てを話し終える頃には、カップの中身が半分以上減り、冷たくなってしまっていた。信じられないような話が続いたが、簡単に言えばこうだ。

 家族を失い傷心していた送葉(仮)さんに、当時感情を持っていなかった送葉が声を掛けた。そして、送葉はお互いを補うためにお互いの記憶を共有することを提案する。送葉(仮)さんがそれに賛同し、夢を通して擬似的に経験することで互いの精神を一つにした。つまり、送葉も送葉(仮)さんも肉体は違っても、精神は一つという話だ。
ありえないと思いながらも思っていることを言葉にすることは出来なかった。二つの精神の統一、そんなことがたった一枚の手紙で本当にできるのかという話を置いておけば、送葉(仮)さんの話は妙にリアリティーがあった。

「綾香はどう思う?」

 僕は綾香に話を振る。心理学を専攻している綾香の方が思う部分があるのかもしれない。

「あんた、ずるい」

 綾香は僕を責めるような目で見た。僕も少し卑怯なフリだと自覚していたから、鼻先を掻く。

「私だってこんな話されても分かんないわよ。大学でやる心理学とか脳科学の範囲超えてるって」

 そう言って綾香はお手上げだと両手を挙げる。そして、その後「でも」と続ける。

「この話を聞いてたらありえないなんて言えなくなってきちゃった。そもそも、送葉は私たちが考えることの常に斜め上を行くような天才なんだし。本当に送葉がそんなことをしていたのならありえないことも……」

 中途半端な語尾の後、綾香は大きく息を吐いた。確かに信じてしまいそうになる話だった。ありえないと思っていたことがありえなくもない、ありえるかも、と思ってしまうくらいには僕も綾香も動揺していた。さらに、送葉だからあり得るかもと綾香が言えば、僕もあり得る話なような気がしてくる。

「あなたの言いたいことって、極論を言うと送葉とあなた……送葉(仮)さんで究極の共感をしたってことよね?」

 補足、確認として綾香は送葉(仮)さんに訊く。

「共感とは言えないですね。私……伝達さんたちの知っている方の送葉は感情をほぼ持っていなかったので、機械的な言い方をすれば私の感情と同期したと言った方が正しいです。」

「じゃあ、送葉はあなたと感情の同期をするまで喜怒哀楽がなかったってこと?」

「はい」

「恋愛感情も?」

「はい、ちなみに私の方も恋だと自覚できるような恋愛はしたことはなかったですから、私たちの初恋は伝達さん一人ということなります」

 んん、と冷たくなったコーヒーを口に含もうとしていた僕は変な声を出してしまった。さっきから心臓を小突かれ続けているが、今日一番の衝撃が心臓を走る。綾香は送葉(仮)さんが放った言葉に唖然としている。送葉(仮)さんは頬をほんのりと紅く染めた。店内に流れるジャズの音量が妙に大きく感じる。

「あんた、今もしかして告白した?」

 沈黙を破った綾香は声を上ずらせながら送葉(仮)さんに問うた。送葉(仮)さんは両手を内ももに挟み、もじもじしながら小さく頷く。

「私の中ではもう伝達さんと付き合っているのですが、まぁこの身体ですしね。そういうことになりますかね。仕方のないことです」

「ちょ、ちょっとあんた! 真剣な話してる時に変なこと言うのやめなさいよ!」

「綾香が確認したから」

「うぅ……、あんたに呼び捨てにされる筋合いはない!」

「話が逸れてるよ……」

 僕は論点から逸れそうになる二人を抑止し、話を戻す。

「今日はそういうことじゃなくて、送葉(仮)さんが一体どうして送葉をするのかという話だろ」

「じゃあ単刀直入に訊くけど、なんであなたは送葉が死んでからも送葉を続けるのよ」

 綾香は若干投げやりと言ったような感じで送葉(仮)さんに問う。

「綾香、私の話ちゃんと聞いてましたか?」

「聞いてたわよ。けど混乱してるの。送葉が死んでからもあなたが送葉を続ける理由なんてないじゃない」

「ありますよ」

「なんで」

「だって私はもう送葉なんですから。伝達さんや綾香の事を忘れられるはずがありません。私の中でも伝達さんは恋人ですし、綾香は友達です」

 綾香は友達という言葉に目を泳がせた。僕も綾香も、未だ送葉(仮)さんをどのように扱えばいいのか判断できずにいる。本当に送葉なのか、それともやはりそうではないのか。期待と不安。半信半疑。薄々気づいていたが、結局のところ僕たちにはそれを判断することはできないだろう。だから毎回のように言葉選びに困る。

「でも、送葉と記憶を共有してるってことは、君の方にもちゃんと生活があったんでしょ? そっち側の人間関係もあるんじゃないの?」

 今度は僕が送葉(仮)さんに問う。

「もちろん、施設の人や学校関係の付き合いなどはあります。しかし、この身体では嫌でも付き纏うんですよ。過去が……」

 送葉(仮)さんの目が少し憂いを帯びたような気がした。

 送葉(仮)さんの過去。家族の裏切り。そして死。話が本当ならばそれは今も僕には想像できないほどの傷として送葉(仮)に刻まれているはずだ。彼女はそれを送葉の記憶を薬とすることで誤魔化してきた。しかし、もうもうその薬はない。そうすれば再び悲劇は存在感を増す。彼女はその生活から脱却したいのだろう。しかし、その身体で今までと同じような生活を送っていれば脱却などできない。だから彼女は送葉の生活を受け継ごうとしている。記憶の共有ができないがために、僕らの知っている送葉になろうとしている。

 これが逆の立場ならまた違ったかもしれない。送葉はそのままの生活を続けられただろう。精神的に同じ人間だとしても、境遇が違えば未来は大きく変わる。

「僕は、どうすればいい」

 漏れた言葉は自分の思ったよりも小さいもので、言うというよりも呟きに近かった。対面する二人に聞こえているかも怪しい。けれど、聞こえていないならそれでもいいとも思った。

「私は――」

「御状さん?」

 僕の声が聞こえていたのだろうか、送葉(仮)さんは何かを言おうとしたが、その声は丁度、誰かの声と重なった。

 僕たちは三人そろって声のした方へ視線を向ける。そこには他の客がいた机の片付けに行こうとしていたのだろう、トレーに布巾を乗せた乃風さんがハッとした表情で立っていた。

「乃風さん」

 送葉(仮)が呟くのが聞こえた。

「ご、ごめんなさい。見間違い。文元君、久保田さん……と……」

 自分が不謹慎なことを口走ってしまったと感じたのだろう。乃風さんは居た堪れない様子で僕たちに謝った。

「そう――ッ⁉」

 送葉(仮)さんは自分を送葉だと名乗ろうとしたのだろう。しかし、綾香が送葉(仮)さんに何かをした。それを許さなかった。僕にも聞こえない声で綾香は送葉(仮)さんに何かを言った。きっと事を荒立てるなとでも言ったのだろう。それには僕も賛成だ。これ以上、この案件に関わる人を増やしたところで混乱を招くだけだ。
けれど、これには僕にも非がある。基本は固定制のシフトで回しているため、乃風さんがシフト入っているとは思っていなかった。だけど、臨機応変に人が変わることも多々ある。僕がもっとしっかりと確認しておくべきだった。

「乃風さん、ちょっといいですか?」

 僕は立ち上がり、乃風さんに話しかける。

「ごめんなさい」

 いつもは凛としている乃風さんは、珍しくしゅんとした面持ちで僕たちに謝る。

「それはいいです。怒ってなんてないですよ。それよりもちょっと訊きたいことがあるんですけど」

「な、何?」

「今、この子と送葉を見間違えたんですか?」

「横顔が一瞬だけ御状さんに見えちゃって、つい。君たちといるのがなんかあまりにも自然に見えちゃって。ごめんなさいね」

 乃風さんの言葉を聞いて、僕と綾香は三度、顔を見合わせた。
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