ラティアの月光宝花
微笑んだオリビエが、カリムに汚されたセシーリアの唇を優しく指の腹で拭った。

「嫌よ、オリビエ」

大丈夫な訳がない。

オリビエと今のカリムでは、身分の差は明白だ。

姫の護衛兵が、隣国の皇帝の髪一筋にも傷を付ける訳にはいかない。

かといって受けた勝負に負けると、命を失う上にセシーリアを奪われてしまうだろう。

いずれにせよこの時点でオリビエの命は、非常に危うくなってしまったのだ。

「カリム皇帝陛下。どうぞご容赦くださいませ。オリビエには荷が重すぎます」

セシーリアの必死の訴えに、カリムは小さく笑って静まり返る観客を見回した後、声を落として言葉を返した。

「セシーリア姫。これは俺流の求愛だ。この勝負に勝ったら俺と結婚してほしい。見たところあなたの護衛兵は……業務を越えてあなたを」

「カリム皇帝陛下」

硬いオリビエの声に、カリムがわざとらしく仰け反り自らの手で口を塞いだ。

「おお、これは無粋だったかな。では降りようか、オリビエ」

「……」

闘技場は大きく、すべての会話が耳に届いているわけではない市民はこの状況がよく分かっていないが、オリビエの身が危険なことは誰もが理解していた。

ここにはもう、カリムを止められる者は誰もいないのだ。

カリムは連れていたたった二人の侍従のうち、背の高い男に脱いだマントを渡し、ふたりの耳元で何やら囁いた後、露台に一番近い出入り口から闘技場に降りた。

その後をオリビエが続く。
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