眠りの森のシンデレラ

明けて一月二日は冷たい雨が降っていた。吐く息が凍りそうなほど寒かった。

「雪に変わりそうですね」

琶子は車窓に打ち付ける大きな雨粒を見ながら言葉を零す。

金成は琶子の代理人として、小鳩園にアポを入れ、不承不承だが施設側から事務局長との面会を取り付けた。

運が良かったのは、応対に出たのが、その事務局長だったことだ。
一般職員なら、上にお伺いを立てた上で、と待たされた挙句、通常業務の始まる一月七日以降でないと訪問できなかっただろう。

小鳩園はKTG書房本店から、車で五分ほど行ったところにあった。

事務局長は六十代半ばの上品な女性だった。
醸し出す雰囲気が、どことなく榊原邸のおトヨさんと似ているな、と琶子は思った。

「事務局長の時枝です」

手渡された名刺の中央に、【事務局長】と【小鳩園理事】の二つの肩書と時枝希久江の名が印字されていた。

「取り敢えず、館内をご案内いたしますわ。ご質問等も遠慮なくおっしゃって下さい」

三人は見学に来たのではないのだが、と思いつつも、時枝事務局長の機嫌を損ねたくないので、黙って後に続く。

彼女は、この施設を愛してやまないらしい。
館内を説明する言葉の端々に、その意が称されていた。

「こちらの施設は、お体の不自由な方は勿論、健常者様も多く入居されており、フィットネスルームや娯楽室なども充実しておりますの」

小鳩園は噂通り、超高級マンションに劣らぬ豪華な施設だった。

「普段はもっと賑やかですが、お正月で、殆どの入居者様がご家族の元に帰省されたり、ご旅行だったりとお留守ですの」

見学を終え、事務室の隣にある応接室に通される。

「それで、入居者様の……近江敏子様という方のことをお調べだと……」
「お願いです。会わせて下さい」

琶子はテーブルに頭が付きそうなくらい頭を下げる。
あらあら、と困った顔をしながらも時枝事務局長は毅然と言う。

「申し訳ございません。ご期待に添いかねます」

エッと琶子が顔を上げる。

「時枝さん、彼女はその女性の娘です。興味本位でこちらに伺ったわけではありません。娘が親と会いたいと思う心情をお察して頂きたい」

「ですが……」

金成の言葉に、時枝事務局長は渋い顔をし、「申し訳ございません」と頭を下げる。

「書面にある代理人の許可を得ないことには、例えお嬢様でも面会もお話もして頂くことができません。それがこちらの決まりとなっております」

時枝事務局長の対応は、流石、一流施設の職員! と言わしめるほど忠実でシビアだ。

だが琶子は、納得がいかない、というように食い下がる。
清は、それを押し止めようと琶子の手をギュッと握り、事務局長に尋ねる。

「代理人とは? それは教えて頂けますね!」

威圧的な視線に時枝事務局長の瞳が揺れる。そして、負けた、というように渋々言葉を吐き出す。

「……榊原市之助様です」

やっぱり、と清と金成は、その名前にゲンナリする。
金成が憮然とした面持ちで言う。

「コイツがその市之助氏の孫なんですけどね」
「エッ!」

途端に時枝事務局長の顔が変わる。

そして、「あらっ! まぁ!」と両手で口元を押え、大きく目を見開いたかと思うと、それまでのよそよそしさが嘘のように無くなり、柔らかな表情を浮かべる。

「では榊原清様でいらっしゃいますの?」

時枝事務局長は、ジッと清の顔を見つめ、本物だわ、と今更ながら雑誌に掲載されていた写真を思い出す。

「それなら話は別です。少々お待ち願いますか、市之助氏からお預かりしているものがございます」

事務室に続く扉を開け、バタバタと事務局長がその部屋に消える。

「何だありゃ?」

事の成り行きに唖然とする金成に、さあ、と清は肩をすくめる。

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