眠りの森のシンデレラ
第三章 御曹司と引き篭もり作家
庭を散策する。そう言って二人と別れたものの、清の足取りは重かった。
やはり来るんじゃなかった。後悔の念が生まれる。
皮肉にも、無意識に動かす足が辿り着いた先は、最も来たくなかった本庭園にあるバラ園だった。
ここは両親のお気に入りの場所だった。二人は自らの手で薔薇たちの世話をし、愛しんだ。両親亡き後、庭師が丹精込め育てている、と清は聞いていた。
「なるほど……報告通り、昔のままだ」
暑く煌めく陽射しが、香しい花の色をより鮮やかに映し、清はその眩しさに、キツク目を瞑るとサングラスをかける。
「……八年」
アイツ、変なところで勘が働くからな……。
裕樹の言葉は大筋当たっていた。清はズット眠りの森を避けていた。
親友たちでさえ知らなかった大切な場所。
ここは家族だけの……そう、多くの思い出が残された場所だった。
「まだ、癒えないとは」
噎せ返るような甘美な香りが、清の胸にさざ波を立てる。
迫り上がる甘く苦い思い。
薔薇に恨みはない。しかし……と清は鋭い眼差しで深紅のそれをひと睨みする。そして、これ以上耐えられないと踵を返すと、裏庭園に続く小道へ向かう。
ハーブ園まで来ると、速足だった足が再びゆっくりになる。
昔から何となくだが、この辺りが、本庭園と裏庭園の分岐点なのかも、と清は思っていた。
ペパーミントの爽やかな香りが、さっきまでの苛立ちを和らげる。
しばらく行くとハーブの香りも消え、また空気が変わる。
涼々粛然と落ち着いた雰囲気に清の心がスーッと凪いでいく。
「タイムスリップしたようだ」
懐かしさで、昔と同じように芝とホーンビーンで出来た生垣の道、ロングウォークの迷路に入り、そこを迷わず抜け出る。
「感は鈍っていないようだ」
そして、金や赤の鯉が泳ぐ大池の脇道をビーナスの像が立つ噴水まで進み、徐に足を止め、噴水脇に設けられた花時計に目をやる。更に確認のために左手首のロレックスを見る。文字盤の針はどちらも二時を指していた。
会談終了予定は三時半。時間は有る。しかし……と清は考える。
このまま行けばあの場所だ。躊躇う気持ちが進もうとする気持ちにストップをかける。
清は天を仰ぎ、目を瞑る。
そして、思う。今、進まなければ一生進めないだろう……と。
心の迷いを吹っ切るようにフーッと息を吐き出し、瞼を上げ、清は再び歩き出す。