眠りの森のシンデレラ
楡の大木は、深緑の葉を繁々と生やし、眩しい夏の陽射しを遮り、涼しい日陰を作ってくれる。
琶子はその下で、いつものようにノートパソコンを開いていた。
鼻歌交じりにキーを叩き、それに合わせ愉し気にブランコを揺らす。
彼女の脳内は、書き進めている物語の世界に占領され、目に映る空も、木々も、羊の鳴き声さえも、その一部となっていた。少し離れたところから、清はその姿を眺めていたとも気付かず。
清は仕事以外で女性と関わるのを極端に嫌う。
普段の彼なら、琶子の姿を見た途端、厄介だ、と回れ右をし、立ち去っていただろう。
だが、今は違う。彼女の姿を見た瞬間、雷に打たれたように、彼女と話したい! と心が願い、立ち去るな! と命じた。
清はネネではない! 否、でも……と心の中で葛藤を繰り返しながら彼女に近付く。そして、彼女の斜め前に立ち、彼女を静かに見下ろした。
「ん?」
キーの上に浮かぶ影に気付いた琶子は首を傾げる。
そして、顔を上げた途端、ヘッと間抜けな声を出し、瞳を見開く。
何故なら、たった今、頭中に居た、そこに居る筈のない人物が目の前に居たからだ。
「……王子! ……どうしてここに?」
清はその言葉で、彼女が作家、近江琶子ではないか、と推察する。そして、バーチャルな世界を浮遊するイカレ脳ミソが、リアル世界に戻るには、幾分かの時差があるようだ、と分析し短く答えた。
「君に会いに来た」