甘い恋じゃなかった。
「ミンチにされなくて良かったね」
帰り道。電車に揺られながら、隣に座った愛良ちゃんが物騒なことを言う。
車内は少し混んでいて、桐原さんは少し離れたところでドアにもたれて立っていた。
「ミ、ミンチ?」
「昔っからお母さん、冷静に見えて意外と短気。すぐ手出るし。あそこでお兄が出てこなかったらアンタ、大変なことになってたよ」
「そうなんだ…」
どうりで。
愛良ちゃんに初対面で強烈なビンタをくらったことを思い出し、深く納得する私。あれはお母さん譲りだったのか…。
「昔は私、自分の家も親も嫌いだった」
そんな私の隣で愛良ちゃんが遠くを見るようにして続ける。
「周りの友達の家と違っていつも家には誰もいないし、親は堅苦しいことしか言わないし。でも、全然寂しくなかったのはお兄がいつも傍にいてくれたから。ま、途中で家出していなくなっちゃったけど」
ふぅ、とそこで一つ息を吐いて、桐原さんを見た。桐原さんは怠そうに窓の外を眺めている。
そんな桐原さんを見て微笑む愛良ちゃんを見て、あぁ、本当に大好きなんだなぁと思った。
「お兄のことは大好き。
でも、意外とあの家も両親も嫌いじゃない。何だかんだ、私のやりたいこと無理やり辞めさせられたことは一回もないんだよね」
死ぬほど嫌味は言われるけどね、と笑う愛良ちゃんは、なんだかとても大人っぽく見えた。
「だからバレーはやめる。私は家、継ごうと思うから」
「え…」
思わずガバッと顔をあげた私に、愛良ちゃんがフ、とわざとらしく顔をしかめて見せた。
「勘違いしないでよ。言っとくけど、やめるのは終わってからだから」
「え?」
愛良ちゃんがゴソゴソとカバンの中をあさって、一枚の封筒を取り出した。ビシ、と私に見せたそれ。“退部届”と書かれている。
「あんたの言う通り。まだ何にも終わってないんだった」