甘い恋じゃなかった。




“忘れられたんですか”



栞里のこと。

…忘れられるわけがない。



と、思っていた。



絶対に一生忘れるかと、まるで呪いのようにそう思っていた。



でも、牛奥に言われてはじめて、栞里のことをずっと思い出していなかった自分に気付いた。



…自然と考えなくなっていた。
少し前まではいつも、頭の中いっぱいに居たはずなのに。



それは、過ぎた時間のせいなのか。それとも…




「厨房まで少〜しだけ話聞こえちゃったんだけどさぁ」



ニヤニヤしながら俺を横目で見る師匠。




「なんか、男同士の会話!って感じだったねぇ。あ、ちょっと話聞こえちゃっただけなんだけどね、うん」



意図的に盗み聞きしてたな、この人。




「男同士の会話って…」

「ライバル同士のこう、静かな火花散る感じ?」

「ライバルって…何のですか」

「恋愛のに決まってるじゃん?」

「はぁ?」



あ、やばい。つい師匠に、はぁ?なんて言ってしまった。あまりに意味の分からないことを言うものだから。


だけど師匠はそれを全く気にしている様子はなく、相変わらずニヤニヤと頰を緩ませている。



「青春だねぇ、いいねぇ、このこの〜」


「師匠。それよりも早く明日の仕込みに入ってください」



グリグリと俺を小突いてくる師匠の肘を丁重に押し返す。



「は〜い」



師匠は子供のように頰を膨らませて、渋々厨房へ入っていった。



…はぁ。この人はもう、本当に。





“あなたの存在は、小鳥遊を傷つける”




“私、きぃくんと一緒に居るのが辛かった。ずっと”





言葉が重なる。



アイツと栞里の声が。




バカみたいだ。



今頃こんなこと思い出すなんて。





…栞里。俺は…











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