すれ違い天使Lovers
家族という単語
翌朝、落ち着いた表情の玲奈が病室に入ってくる。気絶から覚めた後も動揺を隠せない様子だったこともあり、一度家に帰るようになっていた。
「おはよう、ミラ。玲司は?」
「おはようございます。まだ変わりなく」
「そう。付き添い変わるわよ? 貴女、一睡もしてないでしょ?」
「大丈夫です。天使ですから睡眠欲はほとんどありません」
「でも、疲れてるんじゃない?」
「大丈夫です」
「そう、ミラがそういうなら無理強いはしないわ」
玲奈は椅子を取り出すとミラの横に座る。玲司の容体に変化はなく、静かな室内に呼吸器の機械音だけがこだまする。じっと見つめたまま動かない玲奈を見て、ミラから話を切り出す。
「玲奈さん、一つ聞いてもいいですか?」
「いいわよ」
「日本では、姉と弟が結婚できないというのは本当ですか?」
ミラのセリフに玲奈は驚いた顔をする。
「ちょ、ちょっと、ミラ。貴女まさか玲司を?」
「よく分りません。ただ、玲司を見ていると、胸が苦しいんです。まだ、家族の一員としてすら見られていないのに……」
玲奈は戸惑いながらミラを見る。ミラも自分の感情を判断しかねているのか複雑な表情を見せる。
「もしかして、天界だとそういうの問題ないの?」
「はい、大人になって互いの想いが同じでしたら問題なく。不倫や略奪愛はもちろんいけませんが」
「そう、ならちょっと戸惑う制度かもしれないわね。でも、私も含め実の姉と弟の恋愛を認める人はほとんどいないと思うわ」
美咲から聞かされていたこととは言え、玲奈からもダメ押しされ胸に奥がズキズキと痛む。玲司との件もあってか互いに気まずくなり、終始無言状態となる。並んだまま数時間玲司を見つめていると、玲奈がおもむろに口を開く。
「ミラ、一度家に帰って休みなさい。レイは私が見てるから」
「いいえ、目を覚ますまで側にいます」
「どうしても玲司の側にいたいの?」
「はい、玲奈さんのおっしゃるように玲司と一緒になれない運命というなら、せめて側にいて見守りたい。見守ることは制限されませんよね?」
「ええ、肉体関係さえなければ問題ないわ」
「良かったです。なら、私は姉として玲司を見守っていきます」
笑顔できっぱり言い切る姿に玲奈の気持ちも複雑になるが、付き添いをミラに一任すると病室を後にした。ミラの意志が非常に固く、玲奈が何を言っても病室から離れないことを察してのことだ――
――――二日後、入院以降何人も見舞いに訪れるが、玲司は目を覚まさない。このまま目を覚まさない可能性も無きにしも非ず、表情に出さないまでミラは気が気ではない。
昼過ぎになり、窓の外では入院患者が散歩している姿が見られる。しかし、ミラの瞳には玲司の寝顔しか映らない。入院してから今日まで、ミラはずっとこの場所を動かず、ひたすら見守っている。その姿に他の見舞い人も圧倒され、すぐに退室していた。変わらず見つめていると、玲司の目がゆっくりと開く。
(玲司! 目が覚めた!?)
急いで目の前に来ると視線が交わる。玲司も気づいたようで右手を挙げようと動いている。
「痛てえ……」
玲司の声を久しぶりに聞いて涙が出そうになるが我慢して話し掛ける。
「玲司、無理するな。まだ万全ではないんだ」
ミラの言葉がちゃんと聞こえているようで、玲司は諦めたように腕を下ろし、ミラの顔をじっと見つめる。変に意識していたためか、ミラは照れて顔を横に逸らす。その様子を見て玲司は声を掛ける。
「ミラ」
「なんだ?」
「ミラが助けに来てくれたのか?」
「私だけじゃない。千尋さんやエレーナ、プリメーラも駆けつけての戦いだった」
「リトは?」
「千尋さんが斬った」
「そっか、さすがだな。あっ! 美咲は? 美咲は無事なのか?」
(正直嘘をつくのは心苦しいが、ここは葛城さんの意志を尊重すべきか……)
ミラは覚悟を決めて口にする。
「葛城さんは、死んだ……」
予想通り、ミラの言葉に玲司はショックを受ける。
「バアルからの傷が深すぎたんだ。玲司はいたぶられたように斬られたから助かった。その差だ」
「そんな……、せっかく誤解が解けたのに。やっと天使を憎む原因が取り除かれたのに、そんなのあんまりだ……」
苦しそうな顔をする玲司を見て、ミラも辛そうな顔になる。
(すまない、玲司……)
「俺、彼女を守れなかった。かっこつけて守るって言ったのに。なんて無力なんだ……」
「玲司、お前はお前に出来る範囲で頑張ったんだ。葛城さんも恨んではしない」
「勝手な言い分だ。俺がもっと強ければこんなことには、クソ……」
涙を流す玲司の姿がいたたまれず、ミラは席を外す。廊下に出るとちょうど学校帰りの留真と鉢合わせになる。
「ミラさん、玲司は?」
「目を覚ました。だが、自身の弱さを嘆いて枕を濡らしている。今はそっとしておいた方がいい」
「そうですか。うん、ミラさんの言う通り、今は会わない方がいいね。でも、これがきっかけで玲司のヤツ強くなるかもね」
「おそらくな。私が適わないくらいになってくれると肩の荷も下りるんだがな」
「完璧お姉さん目線ですね。玲司が羨ましいですよ」
「どうだろうか。玲司は私を疎んでいるようだしな。まあ、どう思われようが私は玲司を守って行くだけだ。大事な家族だからな」
ミラから頻繁に語られる家族を守るという思想に触れ、留真は笑顔になる。
「ミラさん、本当に変わったね」
「ん? 私が変わった?」
「うん、特に、玲司がここに入院してからは二十四時間付きっきりで看病してるし、片時も玲司から離れない。病室で玲司を見つめている姿は感動すら覚えるくらい慈愛に満ちて溢れていた。みんなそれを感じ取ったから、付き添いを玲奈さんじゃなくミラさんに一任したんだと思う。たぶん、今頃玲司も気づいていると思うよ。ミラさんが本当に掛けがえの無い家族なんだってことを」
留真の言葉にミラは心が熱くなって行くのを感じる。
「玲司は、本当に、私を家族と認めてくれているだろうか?」
「認めてるよ。僕が保証する。断言してもいい」
ミラは不安げな表情で留真を見る。
「あのさ、すぐ側に本人いるんだから聞いてみれば? それが一番手っ取り早いよ」
「えっ、そ、そんな大それた事、聞ける訳がない!」
「大それた事って、それこそ大袈裟な。大丈夫だって」
「仮に聞いたとして、もし拒否されでもしたら私はショックで立ち直れない……」
純粋無垢なミラの返答を聞いて留真は噴いてしまう。
「ちょ、ミラさん。可愛いすぎ。ホント不器用なんだね。まあ、そこがいい所な気もするけど。とにかく、ミラさんが玲司を大事に思うように、玲司もミラさんのことを大事に思ってることは確実だから、安心していいよ。家族かどうか聞かないまでも、いつか自然と分かる日が来ると思うし」
留真は悟ったような意見を口にすると、ミラを置いて来た廊下を帰って行く。残されたミラはしばらく外の景色を眺めた後、公衆電話から八神家に玲司の件を報告し病室へと戻る。玲司はもう落ち着いているようで、入ってきたミラをじっと見ている。ベッド横にある椅子に座ると、玲司の方から話し掛けてくる。
「さっきはすまない。みっともない所を見せたな」
「いや、こちらこそ……」
(なんだろう、なんか、玲司の顔をまともに見れない……)
「ミラ、どうかしたのか?」
「ん、いや、別に何もないぞ」
「嘘つけよ、さっきと違ってどこかよそよそしいぞ。何かあったんだろ?」
(正確に言えば、結婚できないと知ってからなんだが……)
「まあ、言いたくことを無理矢理聞いたりはしないよ。ミラにも考えるところがあるんだろうし。でも、俺に遠慮してのことだったら止めてくれよ? 俺達は家族なんだからな」
玲司から出た家族という単語にミラはハッとする。
「れ、玲司。今なんて言った?」
「えっ? いや、だから遠慮すんなって」
「いや、その後」
「家族?」
「うん、そこ」
「何かおかしかったか?」
(家族、玲司が始めて私の事を家族って……)
ミラの瞳からはうっすら涙が溢れる。
「えっ、ミラ!? どうした?」
「玲司が、初めて、家族って、言ってくれた……」
「あれ、初めてだったっけ? そうかな?」
「うん、初めて。玲司からはずっと嫌われてる思ってた。だから嬉しい……」
(結婚できなくても、今はこの言葉だけで私は生きて行ける)
零れ落ちる嬉涙を拭いていると、玲司がふいに名前を呼ぶ。
「ミラ」
「なに?」
「あのさ、高尾山での戦いのときはごめん。俺のためを思っての待機だったんだな。母さんから後で聞かされて反省した。俺のせいでミラがあんなにボロボロになったし。ホント、ごめん」
「謝らないで。私も独断専行だったし、仲間である天使を見殺しにするなんて判断は冷酷すぎたと思う。玲司は心が優しく、私なんかよりずっと天使らしいデビルバスターよ」
(それに、玲司はあのとき私を命懸けで守ってくれた。頼もしかった……)
椅子を立ちあがると、ミラは玲司に顔を寄せる。
「玲司」
「な、なに?」
「早く、身体良くなるといいな」
「う、うん」
「治ったら……」
「治ったら?」
「今までの、倍以上の訓練つけてやるからな? 玲司も強くなりたかろう?」
ミラの言葉で玲司は苦笑いする。
(本当は玲司と一緒に居たいだけなんだけど……)
訓練の件を真に受け視線を逸らす玲司を、微笑みながらミラは見つめていた。