何度でもあなたをつかまえる
まあでも……。

「そんな顔しないでよ。もともとさ……無理されてたんだよ、お母さん。本当は。俺のこと、嫌いだし。」

橘夫人は決して雅人のことを受け入れたわけじゃない……。

娘のため、というより……家のために……子孫を残すというその一点のためだけに、目をつぶっているだけだ。

遅かれ早かれ、こうなってしまった気がする……。


雅人のため息が千歳の罪悪感をより強くさいなむ。

「いや。時間はかかっても、母を説得するから。……このままじゃ、おまえにも……かほりにも……俺は、一生頭が上がらない……。」

そう言って、本当に千歳はうなだれてしまった。

かほりの名前を出されて、雅人の胸が痛んだ。

「……かほり……また、帰って来ちゃったら……可哀想だね。せっかくのチャンスなのに。……内緒にしよっか?」

「内緒……か……。」

確かに、遠いドイツで奮闘中の妹をわざわざ不安がらせるだけかもしれない。

「まあ……かほりが帰国するまでに……何とか母を説得できれば……そのほうが……。」

なかったこと、にはできないかもしれない。

しかし、娘の意固地さは母親も承知しているはずだ。

父に相談して、取りなしてもらえば、あるいは……そう時間がかからず、機嫌を直してくれるかもしれない。

ばつが悪いが、背に腹は変えられない。


「うん。とりあえず、俺が出て行くよ。……それで、たぶん、千歳さんはすぐに許してもらえるよ。」

明るくそう言ったのは、落ち込んでいる千歳を励ますためだった。

でも、自分の言葉に、雅人は何となく落ち着きを取り戻し始めた。


大丈夫。

何とでもなるさ。

とりあえず、今夜のライブのことだけ考えよう。


数日ぐらいなら、一条や茂木のところに転がりこめばいい。

ダメなら、教授のスタジオに寝袋を持ち込むさ。


「じゃあね。千歳さん。今までありがとう。お父さん……橘さんにもお礼言っといて。それから、ごめん、って。」

雅人は飄々とそう言ったけれど、千歳はまた罪悪感にさいなまれた。

「謝るのは俺のほうだって言ってるだろう。……今夜、泊るところはあるのか?そうだ。金を……ちょっと待ってろ。」

千歳はそう言って、立ち上がると、早足で廊下を駆けて行った。



……お金……って……。

もらえるわけないじゃん、そんなの。

雅人は苦笑して、脱ぎ散らかしてあった衣服を手早く身につけた。
< 108 / 234 >

この作品をシェア

pagetop