何度でもあなたをつかまえる
クラヴィコードは、ピアノやチェンバロとは違って、1本の弦を2音、3音で共有しているので、調律もややこしいし面倒だ。


楽器のコンディションを整えること自体も大変だが、例えパーフェクトな状態に調律しても、演奏自体も難しい。

鍵盤を押す強弱で音程が変化してしまうのだ。


もっとも、古楽器は造りが素朴なものが多いので、どの楽器も音程が安定してるとは言い難い。

雅人の得意とするリコーダーやオーボエも、指を動かさなくても吹き方だけで音程を変えることができる。


そんな不安定な楽器たちを、かほりはその難解さゆえに弾きこなすという課題に燃え、雅人は無限の可能性を遊びのようにおもしろがって趣味のように追究していた。


……象徴的だわ。

クラヴィコードの調律をしながら、かほりはついついほほえんでしまう。


よりによって、こんなにも手のかかる大変な楽器を、わざわざ作ってくれた雅人。

ずっと一緒にいて、いつでも修復してくれるって言ってたのに……すっかりご無沙汰になってしまっているわ……。


クラヴィコードは音が小さいので、雅人の伴奏すら満足に役目を果たせない。

気が向いた時に、どこか壊れていないか、今でもちゃんと音が鳴るか、確認するために弾いてみるだけ……。


そっと、鍵盤をいたわるように弾いてみる。

武骨な四角い箱から、優しい、柔らかい音が紡ぎ出される。

テレマンをなぞって……途中で手を止めた。



違う……。

遊びじゃない。


雅人は、真剣にバロック音楽と向き合っていた……。

その方法が少し変わってるだけで……単に楽器をうまく演奏するために、理論を勉強し、お稽古を繰り返す私とは違うだけ。

教授の言う通り、今の芸能活動も、雅人にとっては必要なプロセスなのかもしれない。



……私は?

私は、ただ、待っているだけで……いいの?

雅人の夢が終わるまで……待つだけ?


ゾッとした。


一緒にいるから、同じ速度で成長できるというわけではない。

そもそも、いろんな方向にどんどん進出して、可能性を広げている雅人に対して、私は何も変わっていない……気がする……。


このままじゃいけない。


私、もっと、前向きに、積極的に、バロック音楽と向き合っていかないと……雅人を待つどころか、おいてけぼりだ。
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