何度でもあなたをつかまえる
正規メンバーというわけではない。

期限付きの助っ人ではあるものの、既に人気実力共に世に認められているアンサンブルの一員になれることは、幸運以外のなにものでもない。

かほりは、労せずしてCDデビューと、知名度と、実績を手に入れることができる。

但し、彼らの求めるレベルは音大を出ただけのかほりには、厳しいものだった。

初めのうちは、必死にお稽古しても、何度もダメ出しされ、なかなか合格点をもらえなかった。





「Lassen Sie uns brechen.」

休憩を告げられて、かほりはどっと脱力した。

……ダメだわ。

少しも、休んでられない。

ストーブにケトルをかけているせいか、湿度が高く、チェンバロの音程が少し狂った気がする。

再開までに、調律しなきゃ。

重い身体に鞭打ち、かほりはすっくと立ち上がった。

左手に音叉、右手にチューニングハンマーを持って、1音1音確認していく……と……、背後から声をかけられた。

「いつものチューニングメーターのほうが楽じゃないのか?」

不遜な声と言葉だけど、聞き慣れた日本語にホッとした。

「ごきげんよう、東出さん。荷物になりますので、外ではこちらで。小さい頃から音叉に慣れてましたから、特に苦じゃありませんのよ。」

振り返って深々とお辞儀をしてから、笑顔でそう答えた。

相変わらず物腰の優雅なかほりに、指揮者の東出龍爾はうっすら笑った。

「こんな七面倒な楽器を、子供の頃から、ねえ……。さすが、悪趣味だな。」


ひくりと、かほりの右頬が引きつった。

「……東出さんも、相変わらず……意地悪ですのね。クリスマスとお正月は久しぶりにご家族とご一緒だったのでしょうに。……喧嘩でもされて、不愉快なご気分でドイツに戻られたのですか?」


そう言い返すと、東出は憮然とした。

「家族は関係ない。……が、不愉快は不愉快だな。ホノルル空港で、変なモンを見たぞ。……あいつとは、別れたのか?」


あいつ……が、誰を指すのかは、聞かなくてもわかる気がした。

かほりは、やるせない表情で首をかすかに横に振って見せた。


「……別れたことなんて、一度もありません。……雅人は……女性とハワイを旅行していたのですか?」
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