何度でもあなたをつかまえる
りう子は、息をついて……かほりではなく、一条に言った。

「一条。走るイメージの曲、できる?」

「……走る……まあ、俺が走るのは、ちょっと勘弁だけど。曲なら、考えるよ。」

中学生の時に、怪我で走れなくなったけれど、元陸上競技の選手だった一条は、ちょっと微妙な返答をした。

りう子は、うなずいて一条の背中を軽く叩いた。

「よーし!頼んだ!うーんとイイ曲作って。……うまくいけば、大きな仕事になるから。」

キラッとりう子の瞳が輝いた。

一条は、その目を見て、力強くうなずいた。


「じゃ、後はよろしく。かほりちゃん、行こ。ちゃんと話すわ。……あ……ねえ?今、閃いた。かほりちゃんは?」

一旦、踵を返したりう子が、振り返って、再び一条にそう尋ねた。

「え……それ、本気で言ってる?」

一条が動揺している。

「うん。だって、どうせ録音でしょ?……ねえ、かほりちゃん、山賀教授のスタジオに放置してる、音の狂ってるチェンバロ……ちょっと弾いてもらえない?」

りう子は、友人としてではなく、ビジネスの交渉をしている……。

かほりは、ドイツのアンサンブルと結んでいる契約のことを思い出した。

……確か、録音はダメだけど、演奏は大丈夫なはず。

「あの……あと半年は、録音はダメなんです。でも生演奏なら可能です。すみません、契約書を交わしているもので……」

かほりの返事の後ろのほうをりう子は聞いてなかった。


りう子の頭の中にぐるぐると計算が回る。

生演奏?

チェンバロを置くスペースはある?

輸送費は?

それより、間に合うの?

「……無理なら、断わってくれていいからね。明日のライブで使うはずだったオルガンが輸送中に壊れちゃったの。違う曲に差し替えるつもりだったんだけど……」

「弾きます。」

かほりは即答した。

明日なら、大丈夫だ。


「あ……ありがと。でも、たいしてギャラはあげられないんだけど。……それに、あのチェンバロ、ほんっきで酷いわよ?これから修理できる?間に合う?」

りう子の確認に、りう子はほほ笑んだ。

「音、すぐ狂う楽器なんです。弾く前に調律すれば問題ありません。ギャラは、もちろん不要です。」

何だか、楽しくなってきた。

雅人と同じステージで演奏できるってことよね?

かほりのうれしそうな笑顔に、りう子の胸が少し痛んだ。
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