何度でもあなたをつかまえる
19時開演の会場に、雅人は1時間前に到着した。

「……プライベートに口出しするつもりはないけど、仕事はちゃんとしろよ。リハもできねーよ!」

普段は穏便な茂木まで怒っていた。

「ごめんごめん。道、こんでてさ~。でもまあ、いつもと一緒でしょ?合わせるよ。あ、そうだ。一条。オルガンどうなったの?」

「チェンバロの録音。音だけ流すから。適当にやってくれ。」


相変わらず気楽な雅人の声を、かほりはパーティション1枚隔てたすぐそばで聞いていた。

胸が……身体の奥が……熱くなるのを止められない……。

ともすれば飛び出してしまいそうなかほりの手を、りう子はそっと握って、首を横に振って見せた。

かほりは涙目で、渋々うなずいた。


……ライブが終わったら……。

かほりは、涙をティッシュで抑えて、パーティションに耳をくっつけていた。



会場に客が入り始めた。

椅子だけの席が300と、テーブル席が20程のライブハウスとしては大きめの会場に、さらに立ち見が200人は入るという。

「去年はもっと小さな会場だったのに……すごくお客さん、増えたのね。」

雅人が着替えに出た隙に、かほりがりう子にそう囁いた。

「東京はリピーターが多いからね。……あ、千歳さん。……到着されたみたい。ご挨拶してくる。かほりちゃんは隠れてなきゃダメよ。」

りう子はそう言い置いて、会場へと向かった。


モニターの向こうで、りう子は蝶々のように、テーブル席をひらりひらりと回り、1人1人に挨拶をしているようだ。

それにしても……椅子席や立ち見と明らかに客層が違う。

橘夫妻と千歳のテーブルは、まるで三つ星フレンチにディナーに来ているかのような雰囲気だ。

そして、両サイドの前方テーブル2つには、どう見ても夜の綺麗どころが歓談している。

真冬の夜なのに、ノースリーブのドレスに毛皮を羽織って、実に華やかだ。

残りの2つのテーブルには……真面目そうなスーツの男性、屈強そうなスーツの男性が3人、そして……あれは……

そうだわ!

東出さんの奥さまだわ!


現役代議士がこんなところに……そぐわないにも程がある。

東出さんから雅人の話を聞いて、興味を持たれたのかしら。
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