何度でもあなたをつかまえる
『うん。伊達に年上で経験積んでない……あ……ごめん、今の、スルーして。忘れて。』

失言だったらしい。

別にいいのに……と、かほりはほほえましくりう子の愚痴を聞き、電話を切った。





穏やかに時が過ぎていく……。


妊娠してから、かほりは笑顔を絶やさなくなった。

雅人と離れ離れなのに、淋しがる様子もなく、幸せそうにお腹の子と会話する。


これまで通りチェンバロを弾いていても、音が楽しそうに弾んでいるらしい。

アンサンブルのメンバーにも、クルーゲ先生にも、好評だ。


ありがたいことに、契約延長を請われたが……日本への帰国を理由に断った。

しかし、かほりさえその気になれば、再びドイツで弾くポジションを得られるようだ。



「……別に、行き来したらいいやん。日本とこっち。誘ってもらえるうちが華やで。」

武井空にそう勧められて、かほりの考え方は、より柔軟になった。

雅人にIDEAがあるように、私もチェンバロを弾ける環境をキープしてもいいのね。



「せっかく与えられたチャンスをモノにしたんだ。男や子供のために捨てることはない。できる範囲でやれるだけのことをやればいい。」

指揮者の東出もそう後押ししてくれた。

空はともかく、東出に褒められるとは思わなかった……。

「リップサービスでも光栄ですわ。ありがとうございます。」

そうお礼を言うと、東出は真面目に言葉を継いだ。

「かほりさんに媚びる必要が、俺にあると思うか?茶化さず聞きなさい。今のかほりさんなら、俺も使いたい。……来年には東京で新しいオケを作ることになるだろう。いつになるかわからないが、チェンバロを使う時には一番にかほりさんに声をかける。だから出産しても練習は怠るな。」

「……え……。東京に……ですか?」

思ってもみなかったオファーに、かほりは驚いた。

「そうだ。バロック専門のオケではないが、レパートリーにバロックも加えたいと思っている。……ココで君達と過ごすことでバロックに対する苦手意識は消えたからな。」


東出はニヤリと笑って、続けた。

「東京で、あいつらの新曲にかほりさんも参加したって?妻が褒めてた。……CDのオルガンより、生のチェンバロのほうがよかったそうだ。そっちのほうからも依頼はあるだろうが……俺が声をかけた時にはこっちを優先してほしい。」
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