何度でもあなたをつかまえる
ゐねはじっと聞いていたけれど、なかなか納得できないらしい。

「パパがいると、ママ、悲しそうな顔してるのに。」

小声でゐねがつぶやいた。


かほりの胸にグサリと突き刺さった。

そして、既にその場を離れつつあった雅人の胸をもえぐった。

……もう……ダメじゃん。

雅人は、自分の心が……気持ちが、真っ白になっていくのを実感していた。

何もない。

俺には、もう、何もない。

大切な……だいじなだいじなかほりを……失ってしまった……。


振り返らない雅人のことが心配ではあったものの、かほりは2人の子供たちを放置しておくことはできなかった。

2人をそれぞれのお部屋に送り、ベッドに入らせて、ちゃんと寝入りそうになるまで見守って……それから、雅人のいる寝室へと向かった。

……気が重い……。

雅人のご機嫌、直ったかしら。

そーっとそーっとドアを開ける。


……いない。

出て行っちゃったのかしら。

かほりは脱力して……へたり込んだ。


逃げるのは……あなたのほうじゃない……。

言いたいことだけ言って……私と向き合おうとしない……。

いえ、子供達とだって……あんなに不用意に背中を向けて……。

子供達は、雅人を逃げたとは思わないだろう。

むしろ、拒絶と捉えていた。

そうじゃないのに。

ああ、もう……。

子供達は日一日と成長するけれど、雅人はいつまでも拗ねた子供のまんま。

成長するどころか、ますます意固地に、臆病になってしまうみたい。

困ったヒト……。

かほりはため息をついて、一旦はベッドに入ったけれど……とても眠れそうにない。

諦めて、起き上がると、レッスン室へと向かった。

暗い廊下に、レッスン室からあかりが漏れていた。

雅人?

ココに居たの?


かほりは、呼び鈴を押さずに、そーっとドアを開けた。

ポン!ポン!ポロン……と、チェンバロの音がしていた。

「雅人?……え?何してるの?調音?」

なぜか雅人は、音叉を片手にチェンバロの調音をしていた。

「……うん。ほんと、やっかいな楽器だよね。……すぐに音が狂うんだから。……毎日、かほりが調音してるのにね。」

毎日どころの話ではない。

弾くたびごとに、かほりは音を合わせ直す。

絶対音感が、少しの狂いも許さない。

「めんどくさくない?」

雅人にそう聞かれて、かほりは苦笑した。
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