何度でもあなたをつかまえる
思わず、雅人は自らの手に持ったティッシュをかほりの鼻の下にあてがった。

赤ちゃんのゐねの鼻水を拭いてやった記憶が、まざまざとよみがえる。

どれだけ忘れようと距離を置いても、かほりも、ゐねも、雅人にとってはかけがえのない宝物のようなものなのだろう。

……愛しいよ……酔って吐こうが、涎たらして寝てようが、鼻水たらそうが。

普段のかほりにそんなことを言おうものなら、己を恥じいって恐縮してしまうだろうけど。


ふがふがと、ちゃんと呼吸できてるのか心配になり、雅人はかほりの顔を覗き込んだ。

赤い目、赤い鼻、紅潮した頬……かほりは、じっと雅人を見つめて……ほろほろと涙をこぼした。

「かほり……あの……」

どう、声をかければいいか……わからない。

……ただ……抱きしめたい……。

でも……嫌がられたら……。

雅人は、自分でも笑ってしまうほど、かほりに対して臆病になっていた。


かほりは、ティッシュで涙を拭って……それから、ぐるりと部屋の中を見渡した。

「ここ……どこ?……倉庫?」

天井がない。

壁も白い板。

床も……何だか……。


「俺ん家(ち)。……倉庫、か。」

雅人は苦笑してそう答えた。

確かに、雑然とし過ぎてて……ちょっと酷いな。

でも、かほりを倉庫に連れ込むとか……あり得ないだろ。


「え?……タワーマンションに住んでるって聞いたけど……。」

橘家を出た雅人が、また、変な女性に引っかからないように、りう子がちゃんとした部屋を準備したはずだ。

なのに、これは、いったい……?


「ああ。住んだよ。でも、引っ越した。……ごめん。掃除も行き届いてないよね。」

行き届いてるどころから、掃除なんか……した記憶がない。

やっぱりホテルに連れてくべきだったか。

鼻をずぐずぐず言わせてつらそうなかほりに、雅人は謝った。


「……ココが……家……?」

かほりは、唖然とした。


離婚してから2年以上が過ぎた。

一度も連絡をとっていないし、逢うこともなかった。

でも、テレビやラジオで……雑誌やネットニュースで、雅人の艶聞はしょっちゅう目にしてきた。

すっかり別世界の住人だと思っていたのに……目の前に居るのは、かつて愛した男と何ら変わるところがない……カッコイイのに、優秀なのに破綻した……歪んだ男そのもの。
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