何度でもあなたをつかまえる
ごめんなさい、と、謝ることはたやすいけれど、今、謝ることは、かほりと雅人の格差を肯定することのような気がする。


うつむくかほりに、雅人はため息をついた。

「……ごめん。気を遣わせて。でも、それは、したくない。」

「うん。わかってる。……ありがとう。」

謝る代わりに、かほりはお礼を言った。


雅人が、今さら、父の財団の支援を受けるわけがなかった。

ちっぽけなプライドかもしれない。

でも、そんな雅人の侠気(おとこぎ)を、かほりも……かほりの父も……歯がゆいながらも、好ましく見ていた。




その後は、核心に触れないまま、2人だけの日々を過ごした。

いたわり合うような会話と、言葉にできない鬱憤をぶつけるようなセックス。

ただ、好きと伝えたいだけなのに……どうして、こんなに難しいのだろう。

お互いに、誰よりも、愛しているのに。



「……また、うまくなってる。」

曲の終わるのを待って、雅人がそう声をかけた。


無心にチェンバロを弾いていたかほりは、首を傾げた。

「自分ではよくわからないの。技術は上がったと思うけど……。」


楽譜通り正確に弾く……それだけなら、簡単だ。

でも、バロック音楽のチェンバロは、ちょっと違う。

ジャズに近いだろうか。


いわゆる「通奏低音」。

ピアノとは違う、独特な弾き方を求められる。

低い音と、それに合うコードを決められているだけで、肝心のメロディーもリズムも演奏者がかなり自由に色付けする。

もともと普通のピアノを習っていたかほりには、自由の意味がわからず、却って難しく感じた。


先人や、師の真似をして、パターンを覚え、自分なりのアレンジをできるようになったつもりになっていた小学4年生の春、かほりははじめて挫折と敗北感に打ちのめされた。



「伴奏をしてあげなさい。」
と、突然父が連れてきた男の子が、学校の教材のプラスチックのソプラノリコーダーで、テレマンを軽快に吹き上げた。

楽譜とまるで違う、華やかで楽しい曲に生まれ変わっていた。

軽快ながら、叙情的な演奏を、即興で難なく繰り広げる雅人に、かほりはわずか数小節で、完敗した。

同時に、強烈に惹かれた。
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