何度でもあなたをつかまえる
雅人はかほりに聞こえるよう、少し大きな声で、東出に言った。

「とりあえず、居間へ。アンナ、Please put the tea for him.……準備してきます。」

「いらん。……おい、待て。アンナ!Ik heb geen een kopje thee nodig!」

東出は、雅人にはよくわからない言葉……たぶんオランダ語でアンナにお茶を断っているようだった。

よろしく!と、アンナに目配せして、雅人はかほりの待つレッスン室へと走った。


かほりは、不安そうに雅人を待っていた。

雅人は、無意識にかほりを抱きしめた。

心が平安を取り戻すのを、雅人は実感した。

平気なようで雅人自身も動揺していたらしい。


「どうしたの?お客さま、知り合いだったの?」


かほりを腕に抱いたまま、雅人は微妙に首を傾げて見せた。

「知り合いじゃない。でも有名人だから俺は知ってる。……それだけだと思ってたら、なぜか、向こうも俺を認識してた……芸能人って知ってた……。」

「……芸能人。」

アイドルも嫌だけど、芸能人という呼び方にも抵抗を感じながら、かほりは雅人の目を覗き込む。

「私も知ってるヒト?」

すると雅人は苦笑してうなずいた。

「絶対知ってる。直接は関わりなかったと思うけど。……指揮者だよ。東出龍爾。」


確かに有名人だった。

かほりは口元を手で覆って、目を見開いた。


「え……あ……そっか、オランダ……。え?アンナの知り合いだったの?」

「いや。たぶん、初対面。町か駅かでアンナが東出を見つけて、強引に連れてきたんじゃないかな。」

「……アンナったら……。」


何度も激しくまばたきを繰り返すかほりに、雅人はそっとキスした。

そして、敢えての穏やかな笑顔で言った。

「すっごく偉そうなヤツでさ。いきなり、俺に、コレを弾けって。……悪いけど、かほり、伴奏してくれない?」

「え……。」

かほりの頭が真っ白になったのが、雅人にはハッキリわかった。


まあ、そうだよな。

お嬢さま育ちのかほりは、突発的な事象に対応できない。


かほりを守るのも、フォローも俺の役目……なんだけど……今日は、ちょっと事情が違うんだ。

ごめんな。


雅人はもう一度かほりにキスをする。

今度は、かほりをとろけさせる深いキス。


緊張も恐慌状態も、忘れろ。

俺のことだけ考えろ。
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