何度でもあなたをつかまえる
「……怒ってるの?」

唇の離れたあと、かほりは雅人にそう尋ねた。

かほりの指摘に、雅人は自覚していなかった苛立ちに気づいた。

「誰が?誰に?」

「雅人が、東出さんに。……もしかして……そーゆー目で見られた?」


……ああ、そうか。

確かに、アレは、そういう目かもしれない。

なるほど。

東出龍爾は男が好きな男なのか。


まあ……珍しいことじゃない。

女のみならず男にもモテるし、レイプに近いセクハラを受けることもあった割に、雅人には危機感がない。

自分が男に興味ないためか、男からの好意にはまず気づかない。

のっぴきならない状況に追い込まれて、逃れることができず、そのまま……ということも、ある。

温泉やサウナは鬼門だ。


「そっか。そうかも。偉そうで、挑発的なんだけど……演奏を期待されてるわけでも、見世物みたいにおもしろいものを見せてみろ、ってわけでもなくてさ……。」

「……東出さん、けっこう有名。気をつけて。」

苦笑してそう言うと、かほりはするりと雅人の首に両腕を回してしがみついてきた。

そして、静かな声で囁いた。

「雅人が顔だけじゃないって知ったら、驚かれるわね。恋されちゃうかも。……ほだされないでね。」


クッと、笑いがこみ上げてきた。

かほりを落ち着かせるつもりが、これじゃ逆じゃないか。


「……ああ。男にも、オケの指揮者にも、興味ないよ。」

嘘でも、かほりだけだよ、とは言わなかった……。



かほりが調音を始めると、待ちきれなかったらしく、東出のほうからレッスン室にやって来た。

「……チェンバロ?悠長にコンサートを楽しむ暇はないんだが。」

顔より先に文句が飛び込んできた。


すっくと立ち上がると、かほりは深々とお辞儀をした。

「はじめまして。橘と申します。」

いかにもお育ちのいいお嬢さま然としたかほりに対して、東出は頬を引きつらせるように薄い会釈をした。


東出にとっては、取るに足らない小娘にしか見えなかった。

欧州のどこにでもいる、裕福なだけがアドバンテージの留学生だろう。

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