何度でもあなたをつかまえる
東出の傲慢と無礼を飲み込んで、かほりは鍵盤の前に座った。

不愉快な人間はどこにでもいる。

ろくに挨拶も返せない男に、苛立ってもしかたない。

今私がすることは、雅人と音楽を楽しむことだけ。


振り返ると、傍らに雅人の笑顔。

かほりも、自然と笑顔になった。




滞在中、雅人はいろんな楽器を演奏した。

お得意のリコーダーやオーボエはもちろん、ヴァイオリンやチェロ、リュート……雅人に弾けない楽器はないのだろうかとふしぎなぐらい、どれも自由自在に弾きこなす。

雅人曰わく、チェンバロはかほりの領域だから弾かないそうだが、たぶんその気になればあっさりかほりを追い抜くのだろう。


ミュゼットも、ここに来て初めて手に取ったものだ。

なのに、日本で習ったバグパイプを応用して、こんなにも弾きこなしてしまった。

天才……と言うには、チープだろうか。


雅人自身は、小器用なだけと思っている。

何でもあっさりこなせるが、いずれも達人の域にはなれない。

ダンスだって、東出の言う通り、しょせんアイドルのダンスでしかない。


それでも、舞台度胸と、状況を楽しむスキルだけは本物だ。


雅人の中のボルテージが上がってきた。


ずっと、あいつらと……IDEA(イデア)の茂木や一条と一緒にやってきたから……久しぶりにかほりとどっぷりバロック音楽漬けになったことがものすごく新鮮だった。

このまま、かほりと暮らしたい……それでもいいと思えるほどに、穏やかな幸せすら感じた。


でも、今、俺……、わくわくしてきた。


目の前のこの偉そうなおっさんが、どんな奴でも……有名な指揮者でも、ガチホモでも、なんでもいい。

客の前で演奏することが、楽しいんだな。



かほりが優しく鍵盤をなぞる。

緊張してるのか、音がかたい。

でも、かほりらしい正確な音に、雅人は安心して乗ることができた。


軽やかに、楽しく、時にはハメをはずして、メロディーをもてあそぶように行き来する。


ミュゼットは、バグパイプと違って、ふいごを脇に挟んで空気を送る。

簡単なようで、身動きは取りにくい分、表現が単調になってしまう。

顔は自由なので、歌うことは可能だが……。


それは、まったくの思いつきだった。


雅人には、歌や演奏の才能はあっても、作詞作曲のスキルはない。


なのに、勝手に口から自作のメロディーが出てきた。

ただ、やはり持続はしなかった。


おとなしく楽譜通りのメロディーをハミングすることで、ミュゼットはさらなる自由を得た。
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