何度でもあなたをつかまえる
「どこがって、そういうめんどうなところが、また、愛しいんですよ。手をかけた分だけ、変わって、応えてくれますからね。不安定のおもしろさ?」

雅人がそう答えると、東出はうんざりという顔をした。

「プロなら、求められた音を、求められた時に、完璧に提供すべきだろう。和を乱すスタンドプレイも、不要だ。」


……見解の相違、だな。

肩をすくめて、雅人はヴァイオリン譜を眺めた。


「俺だって、東出さんみたいな指揮者のもとでは、おとなしくしてますよ……たぶん。でも、それじゃ、バロックは楽しくないっしょ。」

「頼まれても、お前みたいな規格外なヤツ、使うか。」


初対面とは思えない2人を微妙な気持ちで眺めながら、かほりは着席した。

会話を打ち切るように、雅人はかほりに合図する。


ブランデンブルグ協奏曲第4番第2番ト長調アンダンテ。

ともすれば淋しい退屈な曲と流されてしまいそうなこの曲はリコーダーのために描かれたバッハの数少ない曲の1つだ。



雅人がかつて最初に聞いたCDの印象では、リコーダーがまるで尺八のように聞こえた。

けど、小学校に巡回派遣されてきた楽器会社のリコーダー奏者が、違う世界を見せてくれた。


自由なバッハの世界……。

あの時の衝撃を忘れない。

ただの教材が、活き活きと命を吹き込まれ、キラキラした音に変わった……。


この頭でっかちの指揮者にどこまで伝わるか、わからない。

本物の指揮者をうならせることなんか、できるわけがない。


ただ、高い楽器じゃなくても、千円ちょっとのプラスチックでも……この3千円の木の棒から自作したリコーダーでも……イイ夢は見られるんだよ。


突っ走りそうな雅人に、かほりの静かなチェンバロが歯止めをかける。

苛立ちも、焦りも、功名心も……どうでもよくなり、ただ、音楽に戯れる。


……ああ、そうだな。

かほり。

いつも、こうして、俺を癒やして、自由にさせてくれる。

俺の無茶を咎めることもなく、俺を信じて待ってくれている。


かほりが1人で留学するって決めた時、俺……マジでへこんだんだぜ。

いよいよ見限られたのかって。

さんざん好き勝手しといて、調子のいい事言えないけどさ。

本当に、好きなんだ。


ココに来てよかったよ。

ちゃんと、かほりが俺を見てるってわかった。

離れてても、逢えなくても、こうして俺を想って腕を磨いてるんだって。


……だから……帰るよ。

あいつらのもとへ。


やり残したことがあるんだ……。
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