何度でもあなたをつかまえる
雅人は、ぽつりとこぼした。

「……お父さん、そのうち帰って来ると思う。お母さんは、帰って来ない。」


千秋には、雅人の言葉の意味がよくわからなかった。

母親は死んだということだろうか。

父親は?

そのうち、ってどういう意味だ?

……まさか……入院でもしてるのか?


この子は、ちゃんと育ててもらっているのか?


千秋はゴクリと息を呑んだ。

名刺に連ねるほどの肩書きではないが、千秋はいくつかの児童養護施設にも深く関与している。

とても、放置できない。


「もう少し、ゆっくり君の話を聞きたいのだが……。お腹はすいてませんか?どこか……」

「さっきおじさんがお金くれたから、何でも食べられるよ。……てゆーか、千円だって滅多にもらえないのに、1万円て。逆に警戒したよ。……でも、おじさんなら優しそうだから、いいよ。あ、別料金だよ。いくらくれる?」

雅人の瞳が怪しい色気を帯びた。


千秋には何のことかわからない。

ポカーンとしてると、いつから居たのか、秘書が耳許で囁いた。

「……常務。この少年は、常務に売春の交渉をしているようですが。」

売春?

誰が?

この子が?


千秋は思わず、雅人の両肩をガシッと掴んだ。

「いけません!自分を大切にしてください!……君は……君は……」

それ以上、言葉を続けられなかった。

千秋の両の瞳から波が溢れ、すーっと頬を伝い落ちた。


綺麗だな……。

大の大人……それも、いかにも上流階級の澄ました男が、何て素直に泣くのだろう。

しかも、他人の……俺なんかのために……。


雅人は、常務と呼ばれた目の前の紳士に、ポケットティッシュを差し出した。

慌てて千秋は、雅人から手を放し、ポケットティッシュを受け取った。


風俗店の宣伝のために街中で配布されたものらしく、裸の女性の写真が印刷された紙が挟んであった。

……教育に悪い……こんなものを、いたいけな少年に配るなんて……。


「おじさん、イイヒトだね。……橘さん?……え?……あ、じゃあ……。」

改めて名刺を見た雅人の顔色が、変わった。
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