何度でもあなたをつかまえる
「うん?」

ティッシュで涙を拭いながら続きを促すと、雅人は必死の形相で聞いた。

「父がそちらに参りませんでしたか?昼までに戻ると言ってたのに、まだ帰って来ないんです。」

「……お父さんが?……君の?……君、お名前は?」


心当たりがない。

雅人の言葉遣いが、とても美しい敬語に変わったことに違和感を覚えながらも、背後の秘書に目で尋ねた。

秘書は、携帯電話に目を落とし、操作し始めた。


「尾崎雅人です。父は、尾崎雅仁(まさひと)。半年前、勤めていた会社が倒産しました。かつての同僚が、橘常務のはからいで再就職したと聞いて、お願いするって言ってました。」

さっきまでとは別人のようだ。

背筋を伸ばし、難しい言葉を巧みに使って、端的に説明した雅人に、千秋のみならず、年嵩の秘書も驚いた。

高等教育を受けているようには見えないが、かなり頭がいいのだろう。


「……常務。先ほどの……。」

秘書は小声で千秋に耳打ちした。


千秋は、ハッとした。

会社の前で酔って愁訴しようとしたあの男が、この利発な美少年の父親か。


「彼は、今どうされてますか?」

千秋の問いに、秘書は言いにくそうに報告した。

「酩酊が酷いので医務室にお連れしようとしたそうですが、……酔ってらしたせいか、また暴れたそうで……警備の判断で、通報したそうです。」


さっと、雅人の顔が青ざめた。

……泣くか?怒るか?……と身構えたが、雅人は逆に、頭を下げた。

「すみません!ご迷惑をかけましたっ!」


謝り慣れてる……子供なのに……。

たぶん、これまでにも父親が酔って周囲と軋轢を生じたことが少なからずあったのではないだろうか。


胸が……痛い……。


千秋は、雅人のこれまでを想像して、また涙ぐんだ。


下の娘と同じぐらい……10歳ぐらいだろうか。

こんな、苦労して……。


「君が……雅人くんが謝ることじゃありません。かわいそうに。むしろ、雅人くんは、私たちに怒ってもいいんですよ。……もしくは、私の申し出に甘えて欲しいのですが。」

「常務?」

秘書の牽制をものともせず、千秋は静かに言った。
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