何度でもあなたをつかまえる
10月に入り、ケルン音大の冬ゼメスターがスタートした。

途端に、かほりは、言葉の壁の厚さに打ちのめされた。

日本の音大に通っていた頃、第二外国語でドイツ語を履修していたし、高校時代から夏休みはドイツやオーストリアでバロックの夏期講習を受けていた。

世界中から集うリッチな受講生がいかに便宜を図ってもらっていたのか、改めて、かほりは痛感した。

何の気遣いもない音大の事務員や教授とは、意志の疎通すらおぼつかなかった。 


落ち込んだかほりは、日本に残してきた恋人に癒やしを求めようとした。

遠距離恋愛とは言え、現在は、当事者が2人とも乗り気でさえあれば、インターネットでいくらでもコミュニケーションを取ることができる。

無料通話も、テレビチャットもある。

触れ合うことだけができないくらいで、メールやラインでずっと繋がっていることだって可能だ。

でも、かほりの恋人は多忙を言い訳に、それらの全てを拒絶した。



「冷たい男やなあ。そんなん、つきあってるて言わんわ。」

かほりがは酔いつぶれた時だけ、日本に残してきた恋人への不満を口にした。

空は、まだ見ぬ恋敵に対して辛辣だったが、その都度、かほりは違和感を覚えた。



違う……。

そうじゃない。

雅人(まさと)は、冷たくない。

……めんどくさがり、というわけでもない……。 

むしろ、マメすぎるぐらいマメな男だ。

何にでも興味を持ち、集中し、他のことを忘れるだけ……。

私のことも忘れるぐらい、他のことに夢中なのだ……。

彼を虜にしている、こと。

……気の合う仲間との音楽活動……。




かほりの夢の中で、恋人はいつも優しかった。

一見、斜に構えたクールなイケメンなのに、びっくりするほど明るくて人なつっこくて、誰に対しても親切で……モテモテで……

ぶるっと、身体が震えて目覚めた。

あふれる涙。

抑えても漏れる嗚咽。

……逢いたい……逢いたいよ……

日本を離れてわずか1ヶ月……かほりは恋人の愛情に渇えた。




11月に入ってすぐ、恋人が電話を寄越した。

突然すぎる連絡に、これも夢なのだろうか……と、なかなか現実感を抱けなかった。

『かほり?日本語、忘れた?』

声優になれそうな、艶のあるテノール。

ああ……雅人だ……。

ポロポロと、涙があふれてこぼれ落ちた。
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