何度でもあなたをつかまえる
「……妊娠、勘違いやったの。」

りう子は、なるべく平静にそう言った。

母親が、小さな声で言葉にならないうめき声を上げていた。

おそらく、雅人と同じで、前向きに受け入れようとしていただけに……ショックも大きいだろう。

受話器の向こうで、母親が父親に小声で報告している。

突然、ガザゴソと音がして、父親が電話に出た。

『もしもし?りう子か?……できてへんかったんか?ほんまか?』

「……うん。中絶手術したわけでも、流産したわけでもなく……最初から居なかったみたい。」

父親の声が明らかに弾んでいる。


……お父さんは、喜んでるんだ……。


微妙な気持ちになったりう子に、父親は言った。

『そうか。じゃあ、結婚もなかったことにしぃ。』

なかった……こと……?

それって……つまり……

「離婚?」

言葉にすると、ものすごく重かった……。

どうしてだろう。

「結婚」は拍子抜けするぐらい軽く感じたのに、「離婚」はこんなにも気が重くなるものなのか。

りう子は、父親の勧めに即答できなかった。

『……今後も仕事で関わる相手なんやったら、遺恨やら、変な情がわく前に、他人に戻ったほうがいいと思うで。……早よ別れてしまい。』

父親は重ねてそう言って、電話を切った。





お昼前に、茂木から電話がかかってきた。

『滝沢さん?尾崎がいないんだけど……ほっといて、俺と一条だけ、先に帰ってもいいよね?』

「……また?いつからいないの?夕べから?」

呆れてそう尋ねると、茂木は電話の向こうで、一条と話してから答えた。

『ホテルの部屋にも入ってないみたい。荷物、フロントに任せて、それっきり。』

りう子は、額に手を宛てがった。

……最初から使う気がないなら、そう言ってくれたら……独り分の宿泊費が浮いたのに……。

妻としての心配より、スタッフとしての気苦労が、そんなふうに思わせた。


本当なら、一言、文句を言うべきだろう。

でも、……嫉妬されてると……勘違いされるかもしれない……。

そう思うと、煩わしくなって、結局、りう子は放置した。
< 76 / 234 >

この作品をシェア

pagetop