何度でもあなたをつかまえる
やばいな……マジで、やばい。

雅人は、そーっとそーっと、りう子の頭から身をよじって腕を引き抜き、ベッドから降りた。

そして、そそくさと身支度を整えると、逃げるようにりう子の部屋を出た。

……例の真鍮の鍵のことを、すっかり忘れて……。





ぴんぽーん♪

玄関チャイムが、りう子を二度寝から目覚めさせた。

ぼんやりする頭をめぐらす。

りう子を腕に抱いて眠っていた雅人の姿が見えない。


……帰った?

時計を見ると、10時を過ぎている。

えーと、今日の予定は……考えるまでもなく、何もないわね。

とりあえず、夕方から、都内のライブハウスに営業に回って……その前に……離婚届、出せるかな。

用紙、もらって来なきゃ。



ぴんぽーん♪

再び鳴らされた玄関チャイムに、我に返ったりう子は、慌ててベッドを抜け出した。


宅配かしら?

それとも……尾崎がコンビニにでも行って帰ってきた?

……もしかして、区役所に離婚届をもらいに行ってきたのかしら。


りう子はフリースを羽織って、インターホンを手に取った。

カメラには、見覚えのない女性が映っていた。


……誰?


「はい?どちらさまでしょうか?」

見た感じ、業者の営業には見えない。

マンションの自治会の人?……にしては、若いわね。

あ!

新婚さんが同じ階に引っ越してきてご挨拶に回ってはるとか?



りう子も充分新婚さんなのだが、実態も自覚もない。

今日、離婚届を提出することになるということだけは確信していたけれど。


『お休みのところ、申し訳ありません。私、橘と申します。少し込み入ったお願いがございまして、伺いました。お話させていただくお時間をいただけないでしょうか。』

受話器から聞こえてくる言葉も声も、普段めったに聞くことのない美しいものだった。

「えーと……ご近所にお引っ越しして来られたんですか?宗教とか美容セールスの勧誘じゃないですよね?」

あまりにもお上品なので、生活に困ってないブルジョアのボランティア的な活動かもしれない……。


りう子の質問に、かほりは……カメラらしきレンズをじっと見つめて言った。

「尾崎が、ご迷惑をおかけいたしました件で、お伺いいたしました。」
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