何度でもあなたをつかまえる
かほりは、まっすぐ背筋を伸ばすと、りう子の目を見つめて言った。

「10歳の時に出会いました。正式に結納の儀を執り行ったわけでもありませんし、きちんとしたプロポーズを受けたこともありません。ですから、婚約の事実はございません。……いずれは、と思ってるうちに、滝沢さまにご迷惑をおかけしてしまいました……間抜けな女です。」

「はあ!?10歳!?……え?じゃあ、もしかして、あなた……かおりさん?」

パッと、かほりの表情が明るくなった。

「はい。かほりです。橘かほりと申します。……お聞き及びでいらっしゃいましたか……。」

たぶん、教授か、他のメンバーから、何らかの情報を得てはいたのだろう。

もしかすると、雅人を捨てて留学した……と、誤解されているかもしれない。

いずれにせよ、不審者ではないとわかってもらえて、かほりはやっとホッとした。


「いやあ……何も聞いてないけどさ……うん、まあ……名前は知ってる……というか……」

夕べ寝言で聞いた……とは、口が裂けても言えなかった。

このいかにも純粋で清らかなお嬢さまに、とても言えない。

酔っ払って一夜を共にしたことも、離婚すると決めてから抱かれて……セックスってこんなに気持ちいいものなんだと初めて知ったことも……。

りう子はわざわざ作り笑顔を貼り付けて誤魔化した。

「尾崎の心に『かおり』さんがいることだけ、ね……知ってた……かな?……それにしても10歳からとは……よく、我慢できるわね。浮気されまくりだったでしょうに。」


かほりは苦笑した。

「……浮気で済むうちは……私に戻ってくるうちは……それでも、幸せだと思えますので。」


げぇ!

マジだよ!

このお嬢さま、本気で、言ってるよ。

どれだけ、尾崎に惚れてるんだろう。

尾崎、ある意味、すごいな……。

「はあ~~~。無理。私には一生、到達できない心境だわ。かおりさん、仙人みたい。」

りう子の言葉に、かほりは首を傾げた。

「仙人は、雅人のほうじゃないかしら。」

「……あ~。うん。いや、でも、私から見れば、尾崎もかおりさんも、仙人だわ。なるほど、お似合いかも。……うん、お幸せに。これから区役所行って、離婚届もらって来るからさ。……ついでに、婚姻届ももらってきてあげようか?」

拍子抜けするほどあっさりと、りう子はそう言った。

かほりは、ただただ驚いた。

清々しい……竹を割ったような性格とは、こういうヒトを言うのだろうか。

写真を見て、好ましく感じた直感は間違ってなかったようだ。

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