何度でもあなたをつかまえる
考えてもみなかったことを言い出したのは、一条。



……これだから、家が裕福なヤツは……。

そんな金あるかよ。

雅人は心の中で毒づいた。




「久しぶりに、聞かせてもらえますか?」

穏やかに、教授がかほりに頼んだ。

「はい。……あ、じゃあ、調律しますね。」

かほりは席を離れて、チェンバロの置かれたスタジオへと向かった。




「……チェンバロを作ってらっしゃるそうですね。」

様子を見に来た教授に、かほりから話しかけた。

「ええ。完成はまだまだ先になりそうですけどね。……チェンバロが完成するのが先か……彼らが世に出るのが先か……、」

そこまで言って、教授はふっと笑顔になった。

「一番早いのは、橘さんのプロデビューですね。順調に評価されてらっしゃる。素晴らしい。コンサートのオファーもあるんじゃないですか?」

……痛い所を突かれた。

かほりは、曖昧にうなずいて、目を伏せた。


小さなコンクールで、華々しい賞がもらえるほど上手くはないが、本選に残り、入選できる程度には評価される。

ケルンだけでなく、いくつかの地方都市から、演奏の依頼がないわけではない。

指導教授のクルーゲ先生の方針で、学生のうちはボランティア以外はお断りしているが……


「いただいたお話だけでも、お引き受けすべきだと思いますよ。……一条くんの言ってたように、いっそ尾崎くんを同行できるといいのですが……。」

山賀教授の言葉に、かほりは悲しげに首を振った。

「……雅人のほうが、才能豊かで、はるかに素晴らしい奏者なのに……私主体で考えるなんて、おこがましすぎます。」

プロの演奏家として成功したい……かほりにとって、それは確かに目標ではあるものの、雅人と引き換えにするほど価値のある夢ではなかった。




かほりのチェンバロは、目に見えて上達していた。

技術だけじゃない。

音に深みが出た……。

ただし、それは……憂い……悲しみ……?


教授は、感嘆の拍手を送りながら、かほりを心配した。

はたして、留学を勧めたことは、正しかったのだろうか。

確かに、チェンバリストとしての成長は著しいかもしれない。

しかし、精神的に自立したとは、とても言えまいのではないか。

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