榎本氏
桓武天皇は、その日のうちに榎本英樹氏をお召しになり、宮中武官たちの、教育や訓練を命じられた。英樹殿は、北方・藤姫共々、ご夫婦で多忙な日々をおくられることとなった。多忙な英樹氏を横目でご覧になりながら、再び桓武天皇は、慶子皇后に仰せになった。
「榎本英樹氏は、子息の英則氏に、青海波も養育すると聞いておる。舞の場合は、男だけではなく、女郎花も嗜んだ方がよかろう。仁姫は、舞の養育も受けておろう。今度の五節舞姫の一人に、仁姫も入れよ。」
「はい。かしこまりました。」
その年の新嘗祭で、仁姫は五節舞を舞われ、実に公達の話題になった。公達の話題が、噂となって、橘嶋田麻呂殿の耳にも届いた。
時に、嶋田麻呂殿は、徳川龍之介氏のご息女を二人も餌食にしていながら、念願の男子を授かることもなく、空しく日々を過ごしていた。それだけに、妻であった女君が、他の殿方の話題に上るようになると、無性に仁姫に会いたくなったのであった。嶋田麻呂殿は、兎に角仁姫宅を訪れることにした。仁姫宅前にやってくると、琴の音が聞こえてきた。嶋田麻呂殿は、仁姫のことが懐かしくなり、既に我慢できなくなっていた。
言の葉の
盛んな世々の
賑わいに
常に変わらぬ
懐かしき人
(世間はどんなに騒がしくても、以前とは変わらない佇まいがあるものですね。)
嶋田麻呂殿は、仁姫の隣りに藤姫が控えているのを全く知らずに、仁姫を目掛けて歌を詠んだ。仁姫は、歌だけはすぐに返すだけ返した。
何通の
文をぞ君に
認めて
なしのつぶてと
誰がしたかは
(あなたに宛てて、何通も認めた文の数々に、返事も書いて下さらなかったのは、一体どなたなのでしょう?)
慶子皇后の厳しい訓練を日々受けていた仁姫は、昼間宮中で散々舞の稽古に励んだ上に、毎晩藤姫の隣りで琴の練習をしていた。藤姫は、榎本英樹氏と共に過ごす寝所から抜け出て、仁姫と共に休もうとされることが多かった。しかし、すぐに英樹氏に呼び戻されていた。
仁姫が嶋田麻呂殿に歌を返すと、藤姫は静かに言われた。
「まあ、これは嶋田麻呂様。お久しぶりですこと。相変わらず、大勢の女君と歌の遣り取りをなさっておられますの?」
「お母様。そのように言われたら、私目はむ、身もふたもありませぬ。今の私には、興味を持ってくれる女君などおりません。」
「おやっ。徳川龍之介殿のご息女お二人は、どうなさったのです?」
「お二人は、流行病で亡くなりました。」
「それで、のこのこと仁姫の目の前に、おいでになりましたの?」
「私はこれから、仁姫様のことを大切にしたいのです。」
「まあっ!仁姫という妻がありながら、徳川龍之介殿のご息女たちと交わり、仁姫があなたに宛てて送った文を全部踏みにじっておきながら、今になってのこのこと仁姫の目の前に姿を現すことが、どういうことを意味するか、考えたことがありますか?」
「…。」
「仁姫は、慶子皇后陛下から、舞や琴を教わり、宮中の姫君たちの養育係を仰せつかり、今は習い事に生きがいを感じているのです。今となっては、私は母として、仁姫には色恋沙汰に興味を持ってもらいたくはないのです。」
「お母様。情け容赦のないことをおっしゃいますな。」
「今日から一年の間、私の夫である榎本英樹氏について、武術の修業を積むのです。その間、一切仁姫と接触することを認めません。一年経って、仁姫を愛おしいと思う気持ちに変化がなければ、改めて仁姫を妻となさい。」
藤姫が静かに言い終えると、どこで聞いていたのか、榎本英樹殿が口を開いた。
「藤姫の申す通りである。嶋田麻呂殿。早速、私が明日から武術をご伝授申し上げる。」
嶋田麻呂殿は、まずは英樹氏に従うしかなかった。一年後、嶋田麻呂殿は再び、仁姫の身体の中央を手で回すことを許された。一年の間、我慢し続けていた嶋田麻呂殿は、七九五年、二十三歳になった仁姫の姿を寝所で改めて見た途端に、仁姫が七八七年、一度は自分のために男子を産んでくれていたことを思い出した。宮中の子女たちの養育で日毎に多忙な仁姫を、嶋田麻呂殿は、暫くは毎夜離すことがなかった。仁姫は、七九五年以降、日常的に出仕で多忙な中で、毎年のように、嶋田麻呂殿の若君をお産みになり続けた。
七九七年には、仁姫は二人目の若君をお産みになっていた。同年、十歳になった榎本英樹氏の長男・英則殿が、英樹氏と共に、藤姫の部屋を訪れて言った。
「仁姫お姉様は、もうお二人目の男子をお産みになったのですね。」
「仁姫は、もう二人も生んだのですか、あなた?嶋田麻呂様は、今度はやることが、お早いですこと。」
藤姫は内心、仁姫が橘嶋田麻呂殿の情欲に押されて、お子を産み続けられ、体を悪くされることを、心配されていたのであった。そうとは知らず、英則君は言った。
「お姉様は、お相手の方と、本当に仲睦まじいのですね?」
今までの経緯を知っている藤姫は、胸が痛んだ。藤姫ご自身が、七九六年、四郎君をお産みになった後であった。
「英則。あなたはもう三人の弟たちの兄ですよ。弟たちと、仲睦まじくするのですよ。」
藤姫がこう言うと、英則君は、整った顔立ちに美しい目を見開いて、済んだ声で、
「はい。」
と返事をされた。元気よく返事をする英則君の陰で、藤姫は、他の女君に現を抜かしている時は、何通もの息女・仁姫の手紙を苔にしておいて心配をかけ、仁姫の下に戻って来れば来るで、今度は仁姫の方が、夫の情欲のままに、お子を産み続けなければならないことを不憫に思い、神経の休まる間もなかった。
その後、藤姫は、ご息女・仁姫のことが気になりながら、七九六年に四郎君をお生みになった。同年、四の君の智姫が、橘入居殿に嫁がれた。更に七九九年には、藤姫は五郎君をお生みになった。これもまた同年、五の君の信姫が、橘清野殿に嫁いで行かれた。藤姫は、五郎君をお産みになってから半年後、ご自身のお体が、急激に弱って行かれるのをお感じになり、ご自分の寝室で五郎君をお抱きになっていた。藤姫のご体調を気遣う榎本英樹氏は、藤姫のお部屋をお訪ねになった。背の君のお姿が見えると、藤姫は安心されて、辞世の句をお詠みになった。
あの世でも
背の君のこと
思いつつ
子と孫たちの
ことを任せむ
(死んでもなおあなたのことを思いながら、あなたのことだけを頼って、子供や孫たちのことを、ただお任せします。)
藤姫は、ご自身の方を鞭打たれるようなお気持ちで、ご自分のお体から、無理矢理剥すようにして、五郎君をお離しになって、背の君の榎本英樹氏に愛するお子を渡されながら、言われた。
「この頃、私も体が弱ってきました。この子ももう、自力で私から離れてくれましたから、私に万が一のことがあったら、どうか私の代わりに、あなたにお願い致します。」
「何を言う、藤姫。愛しい人よ。そんな悲しいことは言わないでおくれ。」
「寿命ばかりは、自分では決められませんわ。」
「あなたの子供たちは、まだ幼いではないか。あなたが、死ぬことを考えてどうなる?」
英樹氏は、こう言われたが、やはり藤姫は間もなく亡くなられた。享年四十五歳であられた。母君が亡くなった時点で、英則殿はまだ十二歳であった。
藤姫は、四郎君をお産みになった時も、五郎君をお産みになった時も、慌ただしくなられる一方の背の君をご心配されたり、まだお若い英則君たちのことに心を砕いたり、そして、何よりも、ご息女の仁姫のことを、お心に掛け続けての、共にご多忙な中でのご出産であった。
藤姫が亡くなられた時、慶子皇后陛下様は、御年六十八歳となられていた。藤姫の喪が明けた頃、慶子皇后は、仁姫をお尋ねになった。仁姫は丁度、橘嶋田麻呂殿の五人目の子息を身籠っており、お腹がかなり大きかった。嶋田麻呂殿は、自分の情欲の全てを、仁姫に傾けていたが、仁姫が一回妊娠した時点では、当然仁姫に触れることはできない。仁姫が一人のお子を身籠られてから、そのお子が乳離れするまで、本来ならおおよそ十五ヶ月は、嶋田麻呂殿は、仁姫と交わることはできないのである。仁姫が一番最初の男子を身籠った時も、仁姫から懐妊を知らされると、嶋田麻呂殿は、夫らしく仁姫のお腹を擦ってあげたりしていた。そして、毎晩仁姫の隣りで寝ていた。仁姫が男子を産み続けている間は、毎回必ずそのようにしていた。また、そのように自分の欲望を充足させることができない期間は、反射的に京職の任務に集中していた。しかし、仁姫のお腹が大きい九ヶ月以上は、嶋田麻呂殿は、どうにも我慢ができなかった。仁姫が男子を生み落した途端、嶋田麻呂殿は、すぐに仁姫に跳び付いた。仁姫がまだ乳飲み子を抱えている期間であっても、嶋田麻呂殿は、仁姫と交わった。
藤姫の喪が明けて、慶子皇后が仁姫のお部屋を訪ねておいでになった時は、仁姫が丁度身重で出仕できず、夜でもないので、嶋田麻呂殿も、いない時であった。仁姫が出仕できない時は、小夏の上、礼子、智姫、信姫、それに徳川龍之介氏三の君の節紫姫殿が、代わる代わる慶子皇后から、舞や琴を教わっていた。
「榎本英樹氏は、子息の英則氏に、青海波も養育すると聞いておる。舞の場合は、男だけではなく、女郎花も嗜んだ方がよかろう。仁姫は、舞の養育も受けておろう。今度の五節舞姫の一人に、仁姫も入れよ。」
「はい。かしこまりました。」
その年の新嘗祭で、仁姫は五節舞を舞われ、実に公達の話題になった。公達の話題が、噂となって、橘嶋田麻呂殿の耳にも届いた。
時に、嶋田麻呂殿は、徳川龍之介氏のご息女を二人も餌食にしていながら、念願の男子を授かることもなく、空しく日々を過ごしていた。それだけに、妻であった女君が、他の殿方の話題に上るようになると、無性に仁姫に会いたくなったのであった。嶋田麻呂殿は、兎に角仁姫宅を訪れることにした。仁姫宅前にやってくると、琴の音が聞こえてきた。嶋田麻呂殿は、仁姫のことが懐かしくなり、既に我慢できなくなっていた。
言の葉の
盛んな世々の
賑わいに
常に変わらぬ
懐かしき人
(世間はどんなに騒がしくても、以前とは変わらない佇まいがあるものですね。)
嶋田麻呂殿は、仁姫の隣りに藤姫が控えているのを全く知らずに、仁姫を目掛けて歌を詠んだ。仁姫は、歌だけはすぐに返すだけ返した。
何通の
文をぞ君に
認めて
なしのつぶてと
誰がしたかは
(あなたに宛てて、何通も認めた文の数々に、返事も書いて下さらなかったのは、一体どなたなのでしょう?)
慶子皇后の厳しい訓練を日々受けていた仁姫は、昼間宮中で散々舞の稽古に励んだ上に、毎晩藤姫の隣りで琴の練習をしていた。藤姫は、榎本英樹氏と共に過ごす寝所から抜け出て、仁姫と共に休もうとされることが多かった。しかし、すぐに英樹氏に呼び戻されていた。
仁姫が嶋田麻呂殿に歌を返すと、藤姫は静かに言われた。
「まあ、これは嶋田麻呂様。お久しぶりですこと。相変わらず、大勢の女君と歌の遣り取りをなさっておられますの?」
「お母様。そのように言われたら、私目はむ、身もふたもありませぬ。今の私には、興味を持ってくれる女君などおりません。」
「おやっ。徳川龍之介殿のご息女お二人は、どうなさったのです?」
「お二人は、流行病で亡くなりました。」
「それで、のこのこと仁姫の目の前に、おいでになりましたの?」
「私はこれから、仁姫様のことを大切にしたいのです。」
「まあっ!仁姫という妻がありながら、徳川龍之介殿のご息女たちと交わり、仁姫があなたに宛てて送った文を全部踏みにじっておきながら、今になってのこのこと仁姫の目の前に姿を現すことが、どういうことを意味するか、考えたことがありますか?」
「…。」
「仁姫は、慶子皇后陛下から、舞や琴を教わり、宮中の姫君たちの養育係を仰せつかり、今は習い事に生きがいを感じているのです。今となっては、私は母として、仁姫には色恋沙汰に興味を持ってもらいたくはないのです。」
「お母様。情け容赦のないことをおっしゃいますな。」
「今日から一年の間、私の夫である榎本英樹氏について、武術の修業を積むのです。その間、一切仁姫と接触することを認めません。一年経って、仁姫を愛おしいと思う気持ちに変化がなければ、改めて仁姫を妻となさい。」
藤姫が静かに言い終えると、どこで聞いていたのか、榎本英樹殿が口を開いた。
「藤姫の申す通りである。嶋田麻呂殿。早速、私が明日から武術をご伝授申し上げる。」
嶋田麻呂殿は、まずは英樹氏に従うしかなかった。一年後、嶋田麻呂殿は再び、仁姫の身体の中央を手で回すことを許された。一年の間、我慢し続けていた嶋田麻呂殿は、七九五年、二十三歳になった仁姫の姿を寝所で改めて見た途端に、仁姫が七八七年、一度は自分のために男子を産んでくれていたことを思い出した。宮中の子女たちの養育で日毎に多忙な仁姫を、嶋田麻呂殿は、暫くは毎夜離すことがなかった。仁姫は、七九五年以降、日常的に出仕で多忙な中で、毎年のように、嶋田麻呂殿の若君をお産みになり続けた。
七九七年には、仁姫は二人目の若君をお産みになっていた。同年、十歳になった榎本英樹氏の長男・英則殿が、英樹氏と共に、藤姫の部屋を訪れて言った。
「仁姫お姉様は、もうお二人目の男子をお産みになったのですね。」
「仁姫は、もう二人も生んだのですか、あなた?嶋田麻呂様は、今度はやることが、お早いですこと。」
藤姫は内心、仁姫が橘嶋田麻呂殿の情欲に押されて、お子を産み続けられ、体を悪くされることを、心配されていたのであった。そうとは知らず、英則君は言った。
「お姉様は、お相手の方と、本当に仲睦まじいのですね?」
今までの経緯を知っている藤姫は、胸が痛んだ。藤姫ご自身が、七九六年、四郎君をお産みになった後であった。
「英則。あなたはもう三人の弟たちの兄ですよ。弟たちと、仲睦まじくするのですよ。」
藤姫がこう言うと、英則君は、整った顔立ちに美しい目を見開いて、済んだ声で、
「はい。」
と返事をされた。元気よく返事をする英則君の陰で、藤姫は、他の女君に現を抜かしている時は、何通もの息女・仁姫の手紙を苔にしておいて心配をかけ、仁姫の下に戻って来れば来るで、今度は仁姫の方が、夫の情欲のままに、お子を産み続けなければならないことを不憫に思い、神経の休まる間もなかった。
その後、藤姫は、ご息女・仁姫のことが気になりながら、七九六年に四郎君をお生みになった。同年、四の君の智姫が、橘入居殿に嫁がれた。更に七九九年には、藤姫は五郎君をお生みになった。これもまた同年、五の君の信姫が、橘清野殿に嫁いで行かれた。藤姫は、五郎君をお産みになってから半年後、ご自身のお体が、急激に弱って行かれるのをお感じになり、ご自分の寝室で五郎君をお抱きになっていた。藤姫のご体調を気遣う榎本英樹氏は、藤姫のお部屋をお訪ねになった。背の君のお姿が見えると、藤姫は安心されて、辞世の句をお詠みになった。
あの世でも
背の君のこと
思いつつ
子と孫たちの
ことを任せむ
(死んでもなおあなたのことを思いながら、あなたのことだけを頼って、子供や孫たちのことを、ただお任せします。)
藤姫は、ご自身の方を鞭打たれるようなお気持ちで、ご自分のお体から、無理矢理剥すようにして、五郎君をお離しになって、背の君の榎本英樹氏に愛するお子を渡されながら、言われた。
「この頃、私も体が弱ってきました。この子ももう、自力で私から離れてくれましたから、私に万が一のことがあったら、どうか私の代わりに、あなたにお願い致します。」
「何を言う、藤姫。愛しい人よ。そんな悲しいことは言わないでおくれ。」
「寿命ばかりは、自分では決められませんわ。」
「あなたの子供たちは、まだ幼いではないか。あなたが、死ぬことを考えてどうなる?」
英樹氏は、こう言われたが、やはり藤姫は間もなく亡くなられた。享年四十五歳であられた。母君が亡くなった時点で、英則殿はまだ十二歳であった。
藤姫は、四郎君をお産みになった時も、五郎君をお産みになった時も、慌ただしくなられる一方の背の君をご心配されたり、まだお若い英則君たちのことに心を砕いたり、そして、何よりも、ご息女の仁姫のことを、お心に掛け続けての、共にご多忙な中でのご出産であった。
藤姫が亡くなられた時、慶子皇后陛下様は、御年六十八歳となられていた。藤姫の喪が明けた頃、慶子皇后は、仁姫をお尋ねになった。仁姫は丁度、橘嶋田麻呂殿の五人目の子息を身籠っており、お腹がかなり大きかった。嶋田麻呂殿は、自分の情欲の全てを、仁姫に傾けていたが、仁姫が一回妊娠した時点では、当然仁姫に触れることはできない。仁姫が一人のお子を身籠られてから、そのお子が乳離れするまで、本来ならおおよそ十五ヶ月は、嶋田麻呂殿は、仁姫と交わることはできないのである。仁姫が一番最初の男子を身籠った時も、仁姫から懐妊を知らされると、嶋田麻呂殿は、夫らしく仁姫のお腹を擦ってあげたりしていた。そして、毎晩仁姫の隣りで寝ていた。仁姫が男子を産み続けている間は、毎回必ずそのようにしていた。また、そのように自分の欲望を充足させることができない期間は、反射的に京職の任務に集中していた。しかし、仁姫のお腹が大きい九ヶ月以上は、嶋田麻呂殿は、どうにも我慢ができなかった。仁姫が男子を生み落した途端、嶋田麻呂殿は、すぐに仁姫に跳び付いた。仁姫がまだ乳飲み子を抱えている期間であっても、嶋田麻呂殿は、仁姫と交わった。
藤姫の喪が明けて、慶子皇后が仁姫のお部屋を訪ねておいでになった時は、仁姫が丁度身重で出仕できず、夜でもないので、嶋田麻呂殿も、いない時であった。仁姫が出仕できない時は、小夏の上、礼子、智姫、信姫、それに徳川龍之介氏三の君の節紫姫殿が、代わる代わる慶子皇后から、舞や琴を教わっていた。