榎本氏
第二節 節紫姫
吉備真備の次女であった藤姫は、八〇〇年、四十五歳で永眠された。藤姫のお心の中には、常に姉・由利子の出家に纏わる事実を確認したい、とのご意志があった。しかし、姉君のことは、遂にわからずじまいであった。生涯をかけて掛け替えのない伴侶を失われた榎本英樹氏は、藤姫亡き後、専ら嫡男・英則殿に、武術を鍛錬することに、生甲斐を覚えるようになった。ご自身の母君が亡くなられた後、日毎に厳しく当たってくる英樹殿に耐えながら、最良の伴侶を失った父君のお気持ちを、常に労わっておられた。
それと同時に、橘嶋田麻呂殿は、過去に徳川龍之介殿の一の君と交わったことがあり、実は、七八八年には、一の君との間に息女を一人設けていた。息女は、常子、と名付けられ、八〇〇年には、桓武天皇の中宮に上げれていた。気の毒なことに、桓武天皇も男君なので、六十八歳になった慶子皇后には、女君としては、魅力をさほど感じられなくなっており、僅か十二歳の常子に偉くご執心であった。慶子皇后は、この事実を大変不快に思っておられたが、桓武天皇が常子を中宮にされたのが、藤姫の亡くなられた後であったことが、せめてもの救いと言えた。もともと、七九五年頃に、五節舞姫にただ憧れただけで、かって妻であった仁姫に再度意欲的になったに過ぎない橘嶋田麻呂殿は、ほぼ同時期に、満田亀造氏の息女・蓮姫とも交際を始めていたのである。しかし、蓮姫と交際を始めたことは、榎本英樹氏と満田亀造氏との交友関係から、英樹氏から慶子皇后などへは、すぐに伝わり、何とか周囲が仁姫に、蓮姫のことを知らせまい、としたのであった。そのことは、仁姫が夫に身体の中心を回される度に、仁姫が自身に酔っていき、自惚れの鼻が高くなっていくことに拍車を掛けていた。
七九五年、仁姫と夜の一時を楽しもうとした時に、嶋田麻呂殿は、藤姫の目を盗むようにして、常子を桓武天皇の中宮にする話を取り纏めたことを仁姫に打ち明けていた。嶋田麻呂殿は、この時点で既に、桓武天皇のことも、その自尊心をうまく刺激して、常子を中宮にする気にさせる話術を使って、常子の地位を確立させていた。しかし、毎夜仁姫の身体の中心辺りで、自身の手を回し続けることによって、仁姫に甘い思いを抱かせ、
「一の君は、私にこうしてもらう間もなく死んでしまったから、哀れでね。あなた以外の女君のここなんか、触れなかったよ。」
などと言った。
「ついでに貴女に頼みがある。」
嶋田麻呂殿は、更に甘い声で言った。夢見心地で自分の方を見る仁姫を、更に酔わせるかのように、嶋田麻呂殿は続けた。
「あと五年もすれば、常子は十二歳になる。そうしたら、今上天皇(桓武天皇)の中宮に上げる。」
「…。」
「常子が出仕する時には、貴女と私の間にできた一の君を、付き添わせては貰えないだろうか?」
「一の君を、常子様と一緒に出仕させるのですか?」
「そうだ。一の君は、表面的には常子の侍女だが、うまくすれば、一の君も帝に見初められる機会がある、というものだ。めでたいではないか。」
「はい。ですが、一の君は私の娘でございます。一度、一の君と、母として話がしとうございます。」
「一の君のことは、今後夏友の局と呼ぶのだ。」
「畏まりました。」
(自分は夫に好かれ、必要とされている。)
という仁姫の高慢さは、この時から始まった。
時に、七九二年に、藤姫の母君・園姫が九十歳で亡くなった折り、園姫の侍女たちを取り仕切る人に、春友の局、という女君がおられ、園姫が亡くなった時点で、還暦をお迎えであった。春友の局は、園姫が亡くなったと同時に、出家をされており、法隆寺で日夜修行にお励みであった。出家されてからは、陽春院とも名乗られていた。仁姫は、母君・藤姫からこの方を紹介され、困った時にはお知恵を拝借するように、指導を受けていた。陽春院は、園姫の守役を務めていた時から、何故か身辺のことをいろいろと相談に来る女君が多かった。それだけ、多くの女君から頼りにされていたのだが、そうした陽春院の人柄を知り尽くした当時の法隆寺の責任者に当たる僧侶は、必要な時に陽春院が俗名を名乗ることを許可していた。仁姫は、嶋田麻呂殿に捨てられていた期間、慶子皇后や藤姫に、身の回りのことを相談するうちに、春友の局と度々会うようになり、嶋田麻呂殿から、一の君の出仕を指示されたことで、まず一の君を、この春友の局に合わせた方が良い、と考えた。仁姫は、自分の息女・一の君を訪ねた。
「一の君。五年後に常子様が、中宮に上げられるそうです。お父様はその折、貴女も一緒に出仕するように、とのことです。そして、貴女のことは今後、夏友の局、と名乗らせたいそうですよ。」
「お母様。お父様は、本当にそのように仰せになったのですか?」
「勿論です。お父様は、お母様に嘘はおっしゃいません。」
「お母様。常子様が、お父様の娘なら、母君はお母様です。妹の私よりも、お母様が常子様に付き添った方がよいのではありませんか?」
仁姫は、この日はついにこれ以上何も夏友の局には言えなかった。七九五年のこの日、夏友の局はまだ五歳であり、父・橘嶋田麻呂が、母・仁姫以外に女君を知っているとは知らなかったのである。仁姫はふと、夫の嶋田麻呂殿が、自分よりも先に、徳川家の一の君との間に、女児を設けていた事実に、自身の身体のどこかが痛む思いを覚えた。そして、その痛みに自分が気付くのがあまりにも遅すぎた事実に初めて思い当たった。
仁姫は、心にどこか深い傷を負ったまま、それから数日も経ずに、夏友の局を、春友の局のいる法隆寺へ連れて行った。
「陽春院様。お久しゅうございます。本日は、これなる娘・夏友の局をお連れ致しましてございます。」
「夏友の局、ですか?これはまた、誰かの名前によく似ておいでですこと。」
「五年後に、この娘の姉・常子が、桓武天皇の中宮に上がることが決まり、姉に付き添って入内するため、我が主人の橘嶋田麻呂殿が名付けましてございます。」
「仁姫様は、嶋田麻呂殿のご正室でしたね?でも、常子様は、確か徳川家の一の君と、嶋田麻呂殿との間のお子でしたよね?ご正室のご息女ではないのに、中宮に上がるとは、常子様も随分と身の程知らずですこと。」
陽春院の言葉は、娘・夏友の局の言葉よりも深く、仁姫のことを刺した。夫・嶋田麻呂が日常的に、回すことを楽しんでいる自分の身体の中央あたりを、刀で切り刻まれていくような鋭い痛みがあった。しかし、夫に必要とされている幸福な正室を演じ続ける必要のあった仁姫は、平気な顔を装うしか、その場の自身を守る術を持っていなかった。
「中宮様や女御に付き添う侍女にも、帝のお手が付く余地があるというものでございます。」
仁姫は、陽春院には、精一杯自分の立場を理由づけしたつもりであった。そして、自分が夫にどのような女君にも増して好かれていることを否定されまい、として更に続けた。
「陽春院様は、我が祖母・園姫のお世話をして下さった、と聞いております。我が娘も困った時には、お知恵を拝借できますことを、お許し頂きたく、本日はまかり越しました次第でございます。」
「宜しいでしょう。夏友のお局様、とはまるで私のご友人であるかのようなお名前で、頼もしいですこと。」
「有難う存じます。」
この日は、陽春院も流石にそれ以上、刀を振り上げたくはないご様子であった。
八〇二年には、英則殿は、十五歳になっていた。
ある日、親友の徳川龍之介氏が、英樹殿をお尋ねになった。
「藤姫が宮中に姿を現すと、宮中はよく賑わったものだった。それだけに、亡くなってしまわれると、どうしようもなく寂しいのは、あなただけではありませんよ。私の北方など、死んでも誰も惜しんだりはしないでしょうが、藤姫は皇女であられただけではなく、魅力的で周囲を明るくするお人であった。」
「龍之介殿にそう言って頂けたら、家内も喜びましょう。北方は、あまりにも多くの子供たちを、私にだけ押し付けて死んでいきました。」
「藤姫殿は、良いものをたくさんあなたに残してくれたのです。ご息女も五人もいらっしゃるではありませんか。藤姫に代わって、生涯守り抜いておあげなさい。」
「そうですね。今は差しあたって、英則に武術を叩き込めるだけです。私が四十九年間生きてきて覚えたことを、今度は半生を掛けて、英則に教えていきたいのです。」
「それがきっと、英則殿のためにもなりましょう。私も及ばずながら、ご支援申し上げましょう。」
「それは、ありがとうございます。」
「ところで、私事で申し訳ないのですが…。」
「どうなさいましたか?」
「私の三の君のことですが…。」
「節紫殿ですか?」
「確か、とても美しい姫君に成人されたと聞きましたが。」
「いえ。榎本家の仁姫や小夏の上ほど美しい訳でもないのに、非常に恐縮ですが、節紫姫を、英則殿の北方にしては頂けますまいか?節紫姫は、もう二十一歳になるのに、未だに片付いておりません。後には、四の君も控えています。節紫姫は、婚期が遅れただけに、確かな殿方に貰って頂きたいのです。このご時世に、若くて良い殿方は、英則殿以外には、考えられないのです。」
「わが子息ながら、英則も自身のなすべきことを悟っております。また、私自身、英則には、まだまだ多くの技術を叩き込みたい、と考えているのです。しかし、まだ年若いうちに、母を失っているので、母君のことだけを恋しく思い続けるようでも、困りましょう。節紫姫殿を、英則に縁付かせる、という意味ではなく、父親同士の友人としての付き合いで、二人に会う機会を与えてみる、ということでどうでしょう?」
「なるほど。」
「親に無理矢理伴侶を決められた、というよりも、自分に合った相手を、自分で選ばせてやりたいのです。今度、亀造殿も一緒に、北方及び子息子女も同伴で、歌会でも開きますか?それに、必ず節紫姫と英則も出席させましょう。今の段階では、英則自身が、自分の婚期をどう考えているのか、分かりません。婚姻を考えるにしても、未婚を考えるにしても、父である私に遠慮して、結婚するしない、を決めてもらいたくはないのです。自分が今結婚するべきなのか、そうすべきでないのか、また、相手は誰であるべきか、あるいは今は覚えるべきことがまだまだあるから、婚期は自分としては、先延ばしにしたいのか、そうした全て自分のことを、責任もった態度で自分で決めてもらいたいのです。」
「英樹殿のお考えは、よく分かりました。では、節紫姫には、近く英則殿に会う機会が来そうだ、とだけ話しておき、亀造殿も読んで、歌会の日程を組んでみましょう。」
「それは、有難い限りです。私の方でも、英則には、歌詠みの勉強もしておくように言っておきましょう。節紫殿ことは、もう大分以前から知っているはずですから。」
「それは、ありがとうございます。」
徳川龍之介殿は、この日は一先ず帰っていった。
それと同時に、橘嶋田麻呂殿は、過去に徳川龍之介殿の一の君と交わったことがあり、実は、七八八年には、一の君との間に息女を一人設けていた。息女は、常子、と名付けられ、八〇〇年には、桓武天皇の中宮に上げれていた。気の毒なことに、桓武天皇も男君なので、六十八歳になった慶子皇后には、女君としては、魅力をさほど感じられなくなっており、僅か十二歳の常子に偉くご執心であった。慶子皇后は、この事実を大変不快に思っておられたが、桓武天皇が常子を中宮にされたのが、藤姫の亡くなられた後であったことが、せめてもの救いと言えた。もともと、七九五年頃に、五節舞姫にただ憧れただけで、かって妻であった仁姫に再度意欲的になったに過ぎない橘嶋田麻呂殿は、ほぼ同時期に、満田亀造氏の息女・蓮姫とも交際を始めていたのである。しかし、蓮姫と交際を始めたことは、榎本英樹氏と満田亀造氏との交友関係から、英樹氏から慶子皇后などへは、すぐに伝わり、何とか周囲が仁姫に、蓮姫のことを知らせまい、としたのであった。そのことは、仁姫が夫に身体の中心を回される度に、仁姫が自身に酔っていき、自惚れの鼻が高くなっていくことに拍車を掛けていた。
七九五年、仁姫と夜の一時を楽しもうとした時に、嶋田麻呂殿は、藤姫の目を盗むようにして、常子を桓武天皇の中宮にする話を取り纏めたことを仁姫に打ち明けていた。嶋田麻呂殿は、この時点で既に、桓武天皇のことも、その自尊心をうまく刺激して、常子を中宮にする気にさせる話術を使って、常子の地位を確立させていた。しかし、毎夜仁姫の身体の中心辺りで、自身の手を回し続けることによって、仁姫に甘い思いを抱かせ、
「一の君は、私にこうしてもらう間もなく死んでしまったから、哀れでね。あなた以外の女君のここなんか、触れなかったよ。」
などと言った。
「ついでに貴女に頼みがある。」
嶋田麻呂殿は、更に甘い声で言った。夢見心地で自分の方を見る仁姫を、更に酔わせるかのように、嶋田麻呂殿は続けた。
「あと五年もすれば、常子は十二歳になる。そうしたら、今上天皇(桓武天皇)の中宮に上げる。」
「…。」
「常子が出仕する時には、貴女と私の間にできた一の君を、付き添わせては貰えないだろうか?」
「一の君を、常子様と一緒に出仕させるのですか?」
「そうだ。一の君は、表面的には常子の侍女だが、うまくすれば、一の君も帝に見初められる機会がある、というものだ。めでたいではないか。」
「はい。ですが、一の君は私の娘でございます。一度、一の君と、母として話がしとうございます。」
「一の君のことは、今後夏友の局と呼ぶのだ。」
「畏まりました。」
(自分は夫に好かれ、必要とされている。)
という仁姫の高慢さは、この時から始まった。
時に、七九二年に、藤姫の母君・園姫が九十歳で亡くなった折り、園姫の侍女たちを取り仕切る人に、春友の局、という女君がおられ、園姫が亡くなった時点で、還暦をお迎えであった。春友の局は、園姫が亡くなったと同時に、出家をされており、法隆寺で日夜修行にお励みであった。出家されてからは、陽春院とも名乗られていた。仁姫は、母君・藤姫からこの方を紹介され、困った時にはお知恵を拝借するように、指導を受けていた。陽春院は、園姫の守役を務めていた時から、何故か身辺のことをいろいろと相談に来る女君が多かった。それだけ、多くの女君から頼りにされていたのだが、そうした陽春院の人柄を知り尽くした当時の法隆寺の責任者に当たる僧侶は、必要な時に陽春院が俗名を名乗ることを許可していた。仁姫は、嶋田麻呂殿に捨てられていた期間、慶子皇后や藤姫に、身の回りのことを相談するうちに、春友の局と度々会うようになり、嶋田麻呂殿から、一の君の出仕を指示されたことで、まず一の君を、この春友の局に合わせた方が良い、と考えた。仁姫は、自分の息女・一の君を訪ねた。
「一の君。五年後に常子様が、中宮に上げられるそうです。お父様はその折、貴女も一緒に出仕するように、とのことです。そして、貴女のことは今後、夏友の局、と名乗らせたいそうですよ。」
「お母様。お父様は、本当にそのように仰せになったのですか?」
「勿論です。お父様は、お母様に嘘はおっしゃいません。」
「お母様。常子様が、お父様の娘なら、母君はお母様です。妹の私よりも、お母様が常子様に付き添った方がよいのではありませんか?」
仁姫は、この日はついにこれ以上何も夏友の局には言えなかった。七九五年のこの日、夏友の局はまだ五歳であり、父・橘嶋田麻呂が、母・仁姫以外に女君を知っているとは知らなかったのである。仁姫はふと、夫の嶋田麻呂殿が、自分よりも先に、徳川家の一の君との間に、女児を設けていた事実に、自身の身体のどこかが痛む思いを覚えた。そして、その痛みに自分が気付くのがあまりにも遅すぎた事実に初めて思い当たった。
仁姫は、心にどこか深い傷を負ったまま、それから数日も経ずに、夏友の局を、春友の局のいる法隆寺へ連れて行った。
「陽春院様。お久しゅうございます。本日は、これなる娘・夏友の局をお連れ致しましてございます。」
「夏友の局、ですか?これはまた、誰かの名前によく似ておいでですこと。」
「五年後に、この娘の姉・常子が、桓武天皇の中宮に上がることが決まり、姉に付き添って入内するため、我が主人の橘嶋田麻呂殿が名付けましてございます。」
「仁姫様は、嶋田麻呂殿のご正室でしたね?でも、常子様は、確か徳川家の一の君と、嶋田麻呂殿との間のお子でしたよね?ご正室のご息女ではないのに、中宮に上がるとは、常子様も随分と身の程知らずですこと。」
陽春院の言葉は、娘・夏友の局の言葉よりも深く、仁姫のことを刺した。夫・嶋田麻呂が日常的に、回すことを楽しんでいる自分の身体の中央あたりを、刀で切り刻まれていくような鋭い痛みがあった。しかし、夫に必要とされている幸福な正室を演じ続ける必要のあった仁姫は、平気な顔を装うしか、その場の自身を守る術を持っていなかった。
「中宮様や女御に付き添う侍女にも、帝のお手が付く余地があるというものでございます。」
仁姫は、陽春院には、精一杯自分の立場を理由づけしたつもりであった。そして、自分が夫にどのような女君にも増して好かれていることを否定されまい、として更に続けた。
「陽春院様は、我が祖母・園姫のお世話をして下さった、と聞いております。我が娘も困った時には、お知恵を拝借できますことを、お許し頂きたく、本日はまかり越しました次第でございます。」
「宜しいでしょう。夏友のお局様、とはまるで私のご友人であるかのようなお名前で、頼もしいですこと。」
「有難う存じます。」
この日は、陽春院も流石にそれ以上、刀を振り上げたくはないご様子であった。
八〇二年には、英則殿は、十五歳になっていた。
ある日、親友の徳川龍之介氏が、英樹殿をお尋ねになった。
「藤姫が宮中に姿を現すと、宮中はよく賑わったものだった。それだけに、亡くなってしまわれると、どうしようもなく寂しいのは、あなただけではありませんよ。私の北方など、死んでも誰も惜しんだりはしないでしょうが、藤姫は皇女であられただけではなく、魅力的で周囲を明るくするお人であった。」
「龍之介殿にそう言って頂けたら、家内も喜びましょう。北方は、あまりにも多くの子供たちを、私にだけ押し付けて死んでいきました。」
「藤姫殿は、良いものをたくさんあなたに残してくれたのです。ご息女も五人もいらっしゃるではありませんか。藤姫に代わって、生涯守り抜いておあげなさい。」
「そうですね。今は差しあたって、英則に武術を叩き込めるだけです。私が四十九年間生きてきて覚えたことを、今度は半生を掛けて、英則に教えていきたいのです。」
「それがきっと、英則殿のためにもなりましょう。私も及ばずながら、ご支援申し上げましょう。」
「それは、ありがとうございます。」
「ところで、私事で申し訳ないのですが…。」
「どうなさいましたか?」
「私の三の君のことですが…。」
「節紫殿ですか?」
「確か、とても美しい姫君に成人されたと聞きましたが。」
「いえ。榎本家の仁姫や小夏の上ほど美しい訳でもないのに、非常に恐縮ですが、節紫姫を、英則殿の北方にしては頂けますまいか?節紫姫は、もう二十一歳になるのに、未だに片付いておりません。後には、四の君も控えています。節紫姫は、婚期が遅れただけに、確かな殿方に貰って頂きたいのです。このご時世に、若くて良い殿方は、英則殿以外には、考えられないのです。」
「わが子息ながら、英則も自身のなすべきことを悟っております。また、私自身、英則には、まだまだ多くの技術を叩き込みたい、と考えているのです。しかし、まだ年若いうちに、母を失っているので、母君のことだけを恋しく思い続けるようでも、困りましょう。節紫姫殿を、英則に縁付かせる、という意味ではなく、父親同士の友人としての付き合いで、二人に会う機会を与えてみる、ということでどうでしょう?」
「なるほど。」
「親に無理矢理伴侶を決められた、というよりも、自分に合った相手を、自分で選ばせてやりたいのです。今度、亀造殿も一緒に、北方及び子息子女も同伴で、歌会でも開きますか?それに、必ず節紫姫と英則も出席させましょう。今の段階では、英則自身が、自分の婚期をどう考えているのか、分かりません。婚姻を考えるにしても、未婚を考えるにしても、父である私に遠慮して、結婚するしない、を決めてもらいたくはないのです。自分が今結婚するべきなのか、そうすべきでないのか、また、相手は誰であるべきか、あるいは今は覚えるべきことがまだまだあるから、婚期は自分としては、先延ばしにしたいのか、そうした全て自分のことを、責任もった態度で自分で決めてもらいたいのです。」
「英樹殿のお考えは、よく分かりました。では、節紫姫には、近く英則殿に会う機会が来そうだ、とだけ話しておき、亀造殿も読んで、歌会の日程を組んでみましょう。」
「それは、有難い限りです。私の方でも、英則には、歌詠みの勉強もしておくように言っておきましょう。節紫殿ことは、もう大分以前から知っているはずですから。」
「それは、ありがとうございます。」
徳川龍之介殿は、この日は一先ず帰っていった。