榎本氏
 節紫姫は、英則殿に翌日になってからまた歌を返した。

  限りある
   時なればこそ
   待ちにしを
  なおもつれなき
  人とかは知る
(お互いに好きな時に会えず、しかも時間には限りがあるからこそ、自身の興味の持てる男君と歌を交わしたかったのに、肝心の歌を交わしあいたい人ご自身に、おいでになって頂けないとは、何ともつれない方ですね。)

英則殿も、すぐに歌をお返しになった。

 つれなさを
  嘆くは誰ぞ
  歌ならば
 常に交わせる
 ものとかは知る
(別にあなたにつれなくした訳ではありません。四月十一日の歌会に出席できなかったのは、大切な別の用事があったからです。)

 今でこそ
  交わせる歌を
 交わせしが
  よそよそしきの
  人を嘆かめ
(今はまだ歌を返してきて下さったりしていますが、そのうちに詠んだ歌に、ご返事がなくなったりしたら、悲しい限りです。)

英則殿は、次のようにお返しになった。

 誰とこそ
  永久にまで
 望まぬを
  既に承知の
  交わし合う歌
(歌の遣り取りを始めて、誰も最初からずっと誰かとだけ歌の遣り取りをすることを望む訳ではないのです。二、三句だけ遣り取りをして、後は特に続かないことも多々ありえます。そのようなことは、当にご承知と思っておりました。)

榎本英則殿と徳川家の息女・節紫が歌の遣り取りをしているところへ、慶子皇后陛下様が、お倒れになった、という知らせが入った。英則殿は、節紫殿との歌の遣り取りの真っ最中で、父君・英樹氏から知らせを受け、病床の慶子皇后を見舞うことになった。知らせを受けると、まず英則殿は、和歌と文を節紫姫殿に、お送りになった。

 五節舞
  教えし人の
  雲隠
 しばし淋しき
  耐え難きかな
(五節舞姫たちを教えていた私のお祖母様のお体が悪く、見舞いに行かねばなりません。淋しいですが、少しの間、歌をお返しできないかもしれません。)

歌を認めた後、後述のような文を、英則殿は、節紫姫殿に送られた。
「徳川節紫様
皇后陛下様のお体がよくなられたら、どうかまた、歌会でお会いしましょう。」
英則殿は、和歌と文を、姉君の小夏の上に託した。
「節紫姫。皇后陛下様がお体が悪くて、英則はお見舞いに行っているそうよ。これ、英則から、節紫姫に渡すように言われたのよ。」
「まあ。これを、英則様が私に?」
「そうよ。」
「ありがとう、小夏さん。」
節紫姫は、小夏の上から文の類を全て受け取られると、何度も味わってお読みになった。

その頃、榎本英則氏は、父君の榎本英樹氏と一緒に、病床の慶子皇后陛下様を、見舞われた。慶子皇后は、お若い時とは違い、大分弱っておいでのご様子で、寝室に伏せっておられた。英樹殿と英則殿が、寝室に入って行かれると、丁度桓武天皇も同席されていた。慶子皇后のお顔は、皺で歪んでいたが、たった今、そのお顔に溢れている、桓武天皇への不満を、全てぶつけ終えられたところであった。お二人がお見えになった直後は、
「帝。どうか、常子様をお大事になさって下さいませ。」
などと仰せになっていた。そして、お二人の姿をお認めになると、
 「もう後は、辞世の句を詠むだけです。英則。書き取りなさい。」
と仰せになったので、英則殿は、
 「はい。」
とご返事をなさり、準備をされた。慶子皇后は、辞世の句を口にされた。

  心配の
   種は尽きまじ
  孫たちの
   心ならずも
   自身のことを
 (今わの際になっても、自分が死んだ後に残していく孫たちのことが心配でならないけれど、帝には、自分の不満を思い切りぶつけました。)

 英則殿は、しっかりと慶子皇后の歌を書き取った。英則殿が書き取ったのを確認されると、慶子皇后は言われた。
 「宮中で頼りにしていた藤姫に先立たれた時に、既にもう生きている甲斐はなかったのです。その上、帝が常子様をお迎えになるなんて。」
 桓武天皇は、先ほどからもう、何回も言われえいることであったので、既にうんざりとしたようなご様子をされていたが、帝と后のご心中をお察しになる英則殿が、仰せになった。
 「皇后陛下様。皇后陛下様から、舞や琴を教わって、いきいきとしている女君が、今では多数いらっしゃいます。もともとは、お母様もそのお一人でした。まだまだ、お祖母様のご指導を必要としている女君がたくさんいらっしゃるのです。早く元気におなり下さい。」
 「英則は、本当に優しいですね。ところで、仁姫は、相変わらず妊娠中ですか?」
 「はい。」
 「それで、私の見舞いにもこれないのですね?」
 すると、横から桓武天皇が、口をお出しになった。
 「英樹殿と英則殿が、見舞いには来てくれたのだ。これで、十分ではないか。」
 常子皇后が、橘嶋田麻呂殿の息女であっただけに、仁姫のことを、慶子皇后から言われることは、桓武天皇にとっては、非常に痛いところであった。慶子皇后は、桓武天皇のお言葉を聞いておられるかのか、おられないのか、分からぬご様子で、英則殿に言われた。
 「仁姫には、体を大切にして、ただ元気の良い子を産むことだけに、専念するよう、伝えて下さい。もう、舞や琴に励むことはないのだと。」
 「それでしたら、ご心配は無用です。仁姫お姉様は、大分以前から、小夏お姉様と、徳川家の節紫姫に、舞姫や琴を弾くお役目を、お任せになっています。」
 「まあ、そうだったのですね。ところで、徳川家の節紫姫は、二十歳を過ぎたというのに、未だに男君が現れないそうですね?」
 「お祖母様。節紫姫殿は、とても賢い女君です。ご心配には、及びますまい。」
 「そうですか。英則がそう言うなら、間違いないでしょう。」
 そう仰せられたかと思うと、慶子皇后は、ご崩御あそばされた。享年七十歳であった。葬儀等が、慌ただしく執り行われた。仁姫は、身重のため、慶子皇后の葬儀に出席できなかった。しかし、徳川家の節紫姫殿は、葬儀に主席され、榎本英樹氏や英則氏にも、挨拶された。葬儀が一旦終わった状態で、英則殿は兎に角一度、姉の仁姫を訪ねた。
 「お姉様。慶子皇后陛下様が、崩御されました。」
 「皇后様が…。」
「はい。お姉様のことを、とても心配されていました。」
「…。」
「お姉様はお子をお産みになることを、第一にお考えになるように、とのことでした。」
 英則殿は、精一杯慶子皇后の言葉を、仁姫に伝えたが、仁姫は急激に深い悲しみに襲われた。
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