榎本氏
八一二年、藤原内麻呂は、健子の妹の康子を、嵯峨天皇の女御として嫁がせた上で、自らは右大臣の位を、藤原園人にお譲りになった。藤原内麻呂の息女・康子が産んだ親王は、臣下に下り、武官となった。平務という名で、後に、榎本氏が、原氏から命じられて、ご息女たちを外国留学させなければならなくなった時の道中に、常に同行してきたお人であった。嵯峨天皇には更に、藤原園人の息女・園子が女御として嫁いだ。藤原の冬嗣は、藤原園人を失脚させ、嵯峨天皇の妻には、東北地方の豪族の娘を嫁がせた。嵯峨天皇には、五人の妻がおいでになった。嵯峨天皇には、平務と後の仁明天皇も含め、三皇子、九皇女がおいでになった。
八一三年、榎本英則氏と節紫姫殿との間に、今度は三の君がお生まれになった。続いて、八一五年には、お二人は三郎君を授かった。八一七年には四の君が、八一九年には四郎君がお生まれになった。八二一年、節紫姫殿が五の君をお産みになった年、父君の徳川龍之介氏が他界された。息を引き取られる前に、龍之介氏は、次のような辞世の句を、龍一殿に託された。徳川竜之介氏は、享年七〇歳であられた。
限りとて
今わの際に
思いはせ
あの世で碁打つ
己の姿
(今わの際になっても、好きであった碁を打ちたい、できればあの世でもやりたい、と考えている自分です。)
八二二年、榎本英則氏と節紫姫との間にできた太郎君は、十五歳となられ、榎本英一氏、と呼ばれるようになった。英一殿は、父君の英則氏に勧められ、その年の四月の歌会に出席された。非常に美しい姫君が、英一殿に、次のような歌をお送りになった。
藤の花
叶わぬ我は
何となる
どれほど足りぬ
ものとも知れず
(あなたのお祖母様でいらっしゃる藤姫様には、私は到底叶いません。でも、どの程度足りないかを知るには、貴方様に教えて頂く必要があるのです。)
満田亀仁氏のご息女・雪姫殿から送られた歌に対し、英一氏はこうお返しになった。
比べても
至らぬところ
分からねば
あへて知るべき
ことほどもなし
(少し比べてみても分からないのなら、敢えて理解することほどのこともないでしょう。私の祖母である、榎本家のの藤姫に、叶う女君など、この世にはおる筈もありません。)
雪姫は一瞬、
「まあ、何て失礼な殿方なのかしら?」
とお思いになったが、怒っている様子など僅かもお見せにならず、続けて歌をお詠みになった。
分からねば
いかに縁付く
君とこそ
知るべき人の
いかに足りぬを
(藤姫様と私がどう違うのか、分からなければ、あなたに嫁いでいくことなどできません。私は父の命で、あなたの妻になるのですから。ほかには、誰一人として、私は頼りになる殿方らを知りません。)
英一氏は、歌をお返しになった。
足りずとも
誰が藤とぞ
比ぶべき
睦みてからぞ
知れる喜び
(誰があなたのことを、私の祖母などと比べたりするでしょうか?私と一緒になれば、藤姫がどんな人だったかを、理解できるようになるでしょう。)
八二二年、満田亀造氏のご念願通り、榎本英一氏と雪姫は、夫婦となられた。初夜の日、雪姫が言われた。
「藤姫お祖母様にお会いしたかったですわ。」
「私も実は、お祖母様にお会いしたことはないのだ。友人たちによると、お祖母様、という立場の人は、結構いろいろなものを残してくれるものらしい。」
「私の実のお祖母様も、結構残して下さいましたけど、藤姫様はどなたがお話になっても、素敵な方だとおっしゃいますもの。」
「藤姫お祖母様は、兎に角榎本家には、十人ものお子を残して下さったんだ。それと、榎本家にはもともと、千葉氏と畠山氏という優れた家臣がいたしね。満田家の茨木氏と大庭氏も優秀だけどね。今の千葉氏と畠山氏は、私とは同じ三代目だから、千葉氏の方が今は女君が多いそうだから、あなたの世話をしてくれるよ。千葉氏は、藤姫お祖母様のお世話をする代だったから、お祖母様のことを、よく知っているかもしれないな。時間があったら、聞いて見ても良いと思うよ。」
「明日にでもお会いできたら、早速聞いてみますわ。」
この翌日、雪姫は千葉氏の侍女に、藤姫のことを聞いて見ることにした。すると、千葉氏の侍女の一人が、言った。
「貴方様は、藤姫様に生き写しでいらっしゃいます。」
侍女のこの言葉に衝撃を受けた雪姫は、その夜、榎本英一氏と同じ寝所の褥の上にいても、何だか放心状態であった。英一氏は、雪姫のことが心配になって言われた。
「どうしたの?」
「若狭に、藤姫お祖母様に生き写しだって、
言われたわ。」
「そうか。」
この日は、英一氏は雪姫の気持ちを、それ程真剣には考えていなかった。あまり気が載らなさそうな自分の妻のことを、英一氏は無理矢理組み伏せた。やがて、甘い快感がお二人を包んだ。次第に、それが毎夜繰り返されるお二人の日課となっていった。
榎本英一氏と満田家の雪姫が夫婦となられたのは、八二二年のことであったが、同年、榎本英則氏と節紫姫殿との間に設けられていた一の君も、既に十七歳となっていた。八二〇年に、一の君が十五歳となられた折りに、小竹の上と名付けられていた。時に、八三二年頃から八三七年頃まで、右大臣をお勤めになることになる、清原夏野氏が、非常に榎本家の姫君に興味をお持ちであった。ある日、徳川家主催の歌会に、夏野殿は、ご子息の瀧雄殿を伴い、和歌で小竹の上を試すことにされた。まず、夏野氏が小竹の上に、歌をお送りになった。
竹の籠
似るべきもなし
藤の花
ただ座したるの
竹の小篭か
(祖母君の藤姫様は、とても素敵な方であったが、どうしてこの方は、祖母君に似ておられないのだろう。)
小竹の上は一瞬、何と失礼なと思ったが、
次のように歌をお返しになった。
名にまでと
厳しき言葉
迫りくる
身の置き場だに
困る有様
(名前にこじ付けてまでけなされてしまっては、本当に身の置き場もございません。)
空かさず、瀧雄殿が歌を送られた。
青海波
琴の音にこそ
合わせむと
音かまぬ時
いかにするべき
(あなたの琴の音に合わせて青海波を踊らりたくても、万が一音が合わなかったりしたら、一体どうしたらよいだろう。)
小竹の上には、清原氏の父子揃って、自分に意地悪をしてきているように、受け取れた。それで、今度は次のようにお詠みになった。
日毎の
稽古に励み
弛まぬに
音かまぬなら
死こそあるらめ
(母や叔母について、毎日のように稽古してきた琴です。万が一音がかまない、などということがあるなら、私は死にましょう。)
夏野殿は、容赦なく歌を送って来られた。
藤の花
咲く花の影
響く琴
昔の人の
音色聞きたさ
(藤姫、という美しい雲上人の弾く琴の音に、耳を傾けてみたいと願っているだけです。)
悩みながら小竹の上は、歌をお返しになった。
望むべき
琴の音色に
近づかむ
常に励める
音色直しに
(お望みの、琴の音色を出せますように、精一杯励んでみましょう。)
今度は、瀧雄殿が歌をお送りになった。
青海波
五節の舞と
比べてぞ
どちらの舞の
優れたるかな
(あなたの踊る五節舞と、私の青海波では、どちらの方が、上手であろうか?)
小竹の上は、少し間を置いてからお詠みになった。
我が舞の
至らなさをぞ
知りたるに
如何に比ぶる
他の人の舞
(自分の舞が、下手であることを良く知っておりますのに、どうして他の人の舞となど、比べることができるでしょう。)
ここまで、小竹の上が歌を詠み終えられると、清原夏野氏は仰せになった。
「姫。」
「…。」
「やはり流石だ。良く歌を返して下された。あなたの父君としばし、話がしたいのだが、今はどこにおられるかな?」
「私が、ご案内申し上げます。」
小竹の上は、父君・榎本英則氏の書斎へ、清原夏野氏と瀧雄氏を案内された。
「お父様。清原夏野様とそのご子息をお連れ致しました。お二人は、先程私とは、歌の遣り取りをして下さったばかりでございます。」
「おお、そうか。歌を詠んでくだされたか。」
英則殿は、ご息女にはこう言いつつ、夏野父子の姿が目に入ると、
「これは、これは。わざわざご足労恐れ入ります。」
と仰せになり、夏野父子に、書斎の座る場所を案内された。
八一三年、榎本英則氏と節紫姫殿との間に、今度は三の君がお生まれになった。続いて、八一五年には、お二人は三郎君を授かった。八一七年には四の君が、八一九年には四郎君がお生まれになった。八二一年、節紫姫殿が五の君をお産みになった年、父君の徳川龍之介氏が他界された。息を引き取られる前に、龍之介氏は、次のような辞世の句を、龍一殿に託された。徳川竜之介氏は、享年七〇歳であられた。
限りとて
今わの際に
思いはせ
あの世で碁打つ
己の姿
(今わの際になっても、好きであった碁を打ちたい、できればあの世でもやりたい、と考えている自分です。)
八二二年、榎本英則氏と節紫姫との間にできた太郎君は、十五歳となられ、榎本英一氏、と呼ばれるようになった。英一殿は、父君の英則氏に勧められ、その年の四月の歌会に出席された。非常に美しい姫君が、英一殿に、次のような歌をお送りになった。
藤の花
叶わぬ我は
何となる
どれほど足りぬ
ものとも知れず
(あなたのお祖母様でいらっしゃる藤姫様には、私は到底叶いません。でも、どの程度足りないかを知るには、貴方様に教えて頂く必要があるのです。)
満田亀仁氏のご息女・雪姫殿から送られた歌に対し、英一氏はこうお返しになった。
比べても
至らぬところ
分からねば
あへて知るべき
ことほどもなし
(少し比べてみても分からないのなら、敢えて理解することほどのこともないでしょう。私の祖母である、榎本家のの藤姫に、叶う女君など、この世にはおる筈もありません。)
雪姫は一瞬、
「まあ、何て失礼な殿方なのかしら?」
とお思いになったが、怒っている様子など僅かもお見せにならず、続けて歌をお詠みになった。
分からねば
いかに縁付く
君とこそ
知るべき人の
いかに足りぬを
(藤姫様と私がどう違うのか、分からなければ、あなたに嫁いでいくことなどできません。私は父の命で、あなたの妻になるのですから。ほかには、誰一人として、私は頼りになる殿方らを知りません。)
英一氏は、歌をお返しになった。
足りずとも
誰が藤とぞ
比ぶべき
睦みてからぞ
知れる喜び
(誰があなたのことを、私の祖母などと比べたりするでしょうか?私と一緒になれば、藤姫がどんな人だったかを、理解できるようになるでしょう。)
八二二年、満田亀造氏のご念願通り、榎本英一氏と雪姫は、夫婦となられた。初夜の日、雪姫が言われた。
「藤姫お祖母様にお会いしたかったですわ。」
「私も実は、お祖母様にお会いしたことはないのだ。友人たちによると、お祖母様、という立場の人は、結構いろいろなものを残してくれるものらしい。」
「私の実のお祖母様も、結構残して下さいましたけど、藤姫様はどなたがお話になっても、素敵な方だとおっしゃいますもの。」
「藤姫お祖母様は、兎に角榎本家には、十人ものお子を残して下さったんだ。それと、榎本家にはもともと、千葉氏と畠山氏という優れた家臣がいたしね。満田家の茨木氏と大庭氏も優秀だけどね。今の千葉氏と畠山氏は、私とは同じ三代目だから、千葉氏の方が今は女君が多いそうだから、あなたの世話をしてくれるよ。千葉氏は、藤姫お祖母様のお世話をする代だったから、お祖母様のことを、よく知っているかもしれないな。時間があったら、聞いて見ても良いと思うよ。」
「明日にでもお会いできたら、早速聞いてみますわ。」
この翌日、雪姫は千葉氏の侍女に、藤姫のことを聞いて見ることにした。すると、千葉氏の侍女の一人が、言った。
「貴方様は、藤姫様に生き写しでいらっしゃいます。」
侍女のこの言葉に衝撃を受けた雪姫は、その夜、榎本英一氏と同じ寝所の褥の上にいても、何だか放心状態であった。英一氏は、雪姫のことが心配になって言われた。
「どうしたの?」
「若狭に、藤姫お祖母様に生き写しだって、
言われたわ。」
「そうか。」
この日は、英一氏は雪姫の気持ちを、それ程真剣には考えていなかった。あまり気が載らなさそうな自分の妻のことを、英一氏は無理矢理組み伏せた。やがて、甘い快感がお二人を包んだ。次第に、それが毎夜繰り返されるお二人の日課となっていった。
榎本英一氏と満田家の雪姫が夫婦となられたのは、八二二年のことであったが、同年、榎本英則氏と節紫姫殿との間に設けられていた一の君も、既に十七歳となっていた。八二〇年に、一の君が十五歳となられた折りに、小竹の上と名付けられていた。時に、八三二年頃から八三七年頃まで、右大臣をお勤めになることになる、清原夏野氏が、非常に榎本家の姫君に興味をお持ちであった。ある日、徳川家主催の歌会に、夏野殿は、ご子息の瀧雄殿を伴い、和歌で小竹の上を試すことにされた。まず、夏野氏が小竹の上に、歌をお送りになった。
竹の籠
似るべきもなし
藤の花
ただ座したるの
竹の小篭か
(祖母君の藤姫様は、とても素敵な方であったが、どうしてこの方は、祖母君に似ておられないのだろう。)
小竹の上は一瞬、何と失礼なと思ったが、
次のように歌をお返しになった。
名にまでと
厳しき言葉
迫りくる
身の置き場だに
困る有様
(名前にこじ付けてまでけなされてしまっては、本当に身の置き場もございません。)
空かさず、瀧雄殿が歌を送られた。
青海波
琴の音にこそ
合わせむと
音かまぬ時
いかにするべき
(あなたの琴の音に合わせて青海波を踊らりたくても、万が一音が合わなかったりしたら、一体どうしたらよいだろう。)
小竹の上には、清原氏の父子揃って、自分に意地悪をしてきているように、受け取れた。それで、今度は次のようにお詠みになった。
日毎の
稽古に励み
弛まぬに
音かまぬなら
死こそあるらめ
(母や叔母について、毎日のように稽古してきた琴です。万が一音がかまない、などということがあるなら、私は死にましょう。)
夏野殿は、容赦なく歌を送って来られた。
藤の花
咲く花の影
響く琴
昔の人の
音色聞きたさ
(藤姫、という美しい雲上人の弾く琴の音に、耳を傾けてみたいと願っているだけです。)
悩みながら小竹の上は、歌をお返しになった。
望むべき
琴の音色に
近づかむ
常に励める
音色直しに
(お望みの、琴の音色を出せますように、精一杯励んでみましょう。)
今度は、瀧雄殿が歌をお送りになった。
青海波
五節の舞と
比べてぞ
どちらの舞の
優れたるかな
(あなたの踊る五節舞と、私の青海波では、どちらの方が、上手であろうか?)
小竹の上は、少し間を置いてからお詠みになった。
我が舞の
至らなさをぞ
知りたるに
如何に比ぶる
他の人の舞
(自分の舞が、下手であることを良く知っておりますのに、どうして他の人の舞となど、比べることができるでしょう。)
ここまで、小竹の上が歌を詠み終えられると、清原夏野氏は仰せになった。
「姫。」
「…。」
「やはり流石だ。良く歌を返して下された。あなたの父君としばし、話がしたいのだが、今はどこにおられるかな?」
「私が、ご案内申し上げます。」
小竹の上は、父君・榎本英則氏の書斎へ、清原夏野氏と瀧雄氏を案内された。
「お父様。清原夏野様とそのご子息をお連れ致しました。お二人は、先程私とは、歌の遣り取りをして下さったばかりでございます。」
「おお、そうか。歌を詠んでくだされたか。」
英則殿は、ご息女にはこう言いつつ、夏野父子の姿が目に入ると、
「これは、これは。わざわざご足労恐れ入ります。」
と仰せになり、夏野父子に、書斎の座る場所を案内された。