榎本氏
節紫姫も、小竹の上も、幼少の頃から、五節の舞を覚えてきており、雅楽自体には慣れていたが、琴以外の楽器は、太鼓のような細かいものは、あまり深く考える機会を持てなかった。また、節紫姫も、小竹の上も、既に五節の舞そのものは、良家の子女たちを指導したりする立場であったため、改めて考えるようなことではない、という感覚でいたのである。しかし二人は、清原瀧雄殿の講義を聞き、雅楽の中で、太鼓という楽器の役割を生かしていくことを学んだのであった。瀧雄殿の講義が終わると、ご息女の小竹の上よりも、母君の節紫姫の方が興奮していた。
榎本家の寝殿に帰ってくると、節紫姫は英則殿に言った。
「殿、本日の清原瀧雄様のご講義、非常に感銘を受けましてございます。」
「確かにな。素晴らしいご講義であった。」
「私は、明日からも、小竹の上と一緒に、清原様のご講義が聞きとうございます。」
「何を、年甲斐もなく、娘君のようなことを言っている。清原瀧雄氏は、いずれ小竹の上の夫君になられる方だぞ。」
「分かっておりまする。」
「分かっていたら、なぜそのように子供のようなことを言う?あなたらしくもない。」
「私はいくつになろうと、自分のためになることが、したいだけでございます。明日からも、清原様のご講義が聞きとうございます。」
「出仕の方は、どうするのだ?」
「小夏の上に文を書きまする。」
節紫姫は、徳川龍之介氏のご息女であったが、小夏の上は、榎本英樹氏の二番目のご息女であり、仁姫の妹君にあたられる。小夏の上は、節紫姫の大の親友であった。英樹殿の北方・藤姫がお産みになった姫君は全部で五人おいでになったが、仁姫は一の君、小夏の上は二の君で、仁姫と小夏の上には、ほかに三人の妹君がおいでであった。英樹殿の三の君は礼子殿、四の君は智姫殿、五の君は信姫殿であった。英樹殿のご息女たちは皆、橘家へ嫁いでいた。仁姫は七八七年、橘嶋田麻呂殿と結ばれ、小夏の上は七九二年に橘清友殿に縁付いた。礼子殿は七九三年には橘安麻呂殿と夫婦になり、七九六年には、智姫が橘入居殿に縁付き、七九九年には、末娘の信姫が橘清野殿に娶せられた。このうち小夏の上は、七九四年に長子にあたる氏公殿をお産みになり、七九六年には次子・氏人殿を出産されており、七九八年には弟氏殿をご出産の後、七九八年には、後に嵯峨天王の皇后となられた嘉智子様がお生まれになっており、八〇〇年には安子様をお産みになっているように、既に五人ものお子の母君であられた。しかし、同じように橘家へ縁付かれても、妹君の礼子殿と信姫には、お子がおいでにならなかった。大納言・榎本家に嫁いできた藤姫にしても、節紫姫にしても、女君としての大切な部位が豊満で魅力的であった。英樹氏も英則氏も、誠実な殿方であられたが、ご自身たちのところに嫁いで来られた北方の、豊満なご身体を心優しく愛でておられた。お二人とも、北方の二つの豊満な部位を、背中側から回して楽しむのがお好きであったが、北方お二人も、それをよく心得られ、回される度に豊満な部位を自ら張って、豊満な部位が更に大きくなるのを楽しまれた。英樹氏と英則氏は、そこをまた豊満な部位の先にある蕾を指で楽しまれるが、蕾に触れる指に力が入ると、北方お二人は、よく非常に痛みをお覚えになったが、常にその痛さを跳ね返しておいでになった。しかし、礼子殿と信姫は、女君として二つお持ちの部位が、残念ながら非常に大きさが乏しかった。それでも、安麻呂殿と清野殿は、兄君・嶋田麻呂殿の、仁姫に対する例があるので、お子を授かれない北方お二人であっても、別の女君と関わられることは決してなかった。妹君のうち、智姫はお子がおいでになってご多忙のため、宮中で良家の子女に琴の指導をする役割から徐々に離れておられたが、礼子殿と信姫には、宮中で舞や琴を指導する一番重要なお役目があった。ただ、末娘の信姫は、姉君・礼子殿の補佐のようなお立場にあった。中納言・徳川龍之介氏の息女であられた節紫姫は、大納言・榎本英樹氏の息女であった小夏の上と並んで、宮中で良家の子女に舞は琴を指導する最も主要な教え手の一人でいらしたが、ご自身の息女・小竹の上に付き添う必要から、何日間かご公務から離れられるとすれば、礼子殿の補佐役を務められていた信姫を、本指導役に回す必要があった。しかし、ご自身の代わりに信姫を指導役に、という節紫姫に対し、榎本英則氏は反対し、
「ならぬ。良家の子女らに、五節の舞を教えるのは、榎本家の女君の一番重要な役目ぞ。」
と仰せになった。節紫姫は、続けて反論された。
「清原様から、学ぶことを学ばなければ、人を教えることなど、できませぬ。」
「聞き分けのないことを言うでない。」
榎本英則氏は、突然節紫姫のことを抱き上げた。ご自身の体が、宙に浮くと、節紫姫は何も言えなくなってしまった。英則殿は、そのまま、節紫姫を寝所に連れ込み、褥の上に座らせ、ご自分は節紫姫の後ろ側へ回られた。そして、
「あなたは、今日はもう休んだ方が良い。明日はいつも通り、きちんと出仕しなさい。」
と言うと、節紫姫の着ているものを、全てお脱がせになった。そして、露わになった節紫姫の、二つの豊満な部位に、ご自身の両手をあてがい、節紫姫が呼吸をするたびに膨らむ、その部位の感触を楽しんだ後で、続けて豊満な部位の先にある、小さくて固い蕾を、指で触れようとすると、節紫姫は英則殿の指を振り払って言った。
「お止め下さいませ。私は、小竹の上の母にございます。母として、娘と肩を並べとうございます。小夏の上には、四人もの妹君たちがおり、いざという時には、末っ子の信姫が、五節の舞の指導を手伝ってくれまする。殿、小夏の上に、文を書かせて下さいませ。私には、夫婦になられる前に、瀧雄様と小竹の上が、今どんなお気持ちでいらっしゃるかが、良く分かるのでございます。大体私に、瀧雄様の講義を聞くように仰せられたのは、殿の方でございます。」
「それでも、二日も三日もいくものではない。たった一度でよいのだ。ただでさえ、夏野殿が、あなたと私が小竹の上についていっただけで、からかってくるのだ。そう何回も清原家へ行けるものではないだろう。」
「殿と私は夫婦ではございませぬか。夫婦がそろって、娘の行くところへ付き添うことが、なぜからかわれるのですか?これも、ど んなにからかわれても、娘のために良いことをしたと思えば、何も恥ずべきことはありますまい。」
節紫姫は、十二単を纏い直し、書斎へ行き、筆を取った。
「親愛なる、小夏様
このたび、娘・小竹の上の一大事がありまして、付き添う運びとなりました。つきましては、妹君の信姫を、私の代わりにご指導のお役目にお加え下さいますように、お願い申し上げます。
榎本家北方・節紫」
その夜、節紫姫は英則殿と交わることはなかった。英則殿は、先に眠ってしまっていたし、清原瀧雄氏の講義を聞いて興奮している節紫姫には、毎夜の背の君との楽しみが、無意味なことに感じられていたのであった。こうして、小竹の上の二日目は、その両親と共に終了した。
さて翌日、節紫姫の親友・小夏の上から、節紫姫の出した文に対する返事があって、侍女が受け取り、節紫姫に伝えられた。前日の夜、英則殿に衣服を脱がされてから十二単に自分で着替え直していた節紫姫は、小夏の上への文を認め終えて侍女に配達の指示も出し終えたところで、お疲れのため十二単姿のまま書斎でお休みになっていた。昨夜は、背の君と床を共にされていなかったのであった。英則殿は、非常に朝早くお目覚めになり、既にご自身の書斎で執務をお取りになっていたが、節紫姫は、まだ別室の書斎で、机に寄りかかって眠っておいでになった。侍女が小夏の上からの文を、節紫姫に伝えようとして、節紫姫のことを起こした時点で、英則殿は既に節紫姫よりも、一時間以上も早く、起きておられた。昨夜、心地良い思いができなかったことなど、英則殿は、当にお心の内から振り払っておいでになった。
「親愛なる友・節紫姫様
ご多忙中、文をありがとうございました。
文を頂きましたご用件、承知致しました。
どうか、ご安心くださいませ。ご息女・小竹の上様のご多幸をお祈り申し上げております。
橘家北方・小夏」
榎本家の寝殿に帰ってくると、節紫姫は英則殿に言った。
「殿、本日の清原瀧雄様のご講義、非常に感銘を受けましてございます。」
「確かにな。素晴らしいご講義であった。」
「私は、明日からも、小竹の上と一緒に、清原様のご講義が聞きとうございます。」
「何を、年甲斐もなく、娘君のようなことを言っている。清原瀧雄氏は、いずれ小竹の上の夫君になられる方だぞ。」
「分かっておりまする。」
「分かっていたら、なぜそのように子供のようなことを言う?あなたらしくもない。」
「私はいくつになろうと、自分のためになることが、したいだけでございます。明日からも、清原様のご講義が聞きとうございます。」
「出仕の方は、どうするのだ?」
「小夏の上に文を書きまする。」
節紫姫は、徳川龍之介氏のご息女であったが、小夏の上は、榎本英樹氏の二番目のご息女であり、仁姫の妹君にあたられる。小夏の上は、節紫姫の大の親友であった。英樹殿の北方・藤姫がお産みになった姫君は全部で五人おいでになったが、仁姫は一の君、小夏の上は二の君で、仁姫と小夏の上には、ほかに三人の妹君がおいでであった。英樹殿の三の君は礼子殿、四の君は智姫殿、五の君は信姫殿であった。英樹殿のご息女たちは皆、橘家へ嫁いでいた。仁姫は七八七年、橘嶋田麻呂殿と結ばれ、小夏の上は七九二年に橘清友殿に縁付いた。礼子殿は七九三年には橘安麻呂殿と夫婦になり、七九六年には、智姫が橘入居殿に縁付き、七九九年には、末娘の信姫が橘清野殿に娶せられた。このうち小夏の上は、七九四年に長子にあたる氏公殿をお産みになり、七九六年には次子・氏人殿を出産されており、七九八年には弟氏殿をご出産の後、七九八年には、後に嵯峨天王の皇后となられた嘉智子様がお生まれになっており、八〇〇年には安子様をお産みになっているように、既に五人ものお子の母君であられた。しかし、同じように橘家へ縁付かれても、妹君の礼子殿と信姫には、お子がおいでにならなかった。大納言・榎本家に嫁いできた藤姫にしても、節紫姫にしても、女君としての大切な部位が豊満で魅力的であった。英樹氏も英則氏も、誠実な殿方であられたが、ご自身たちのところに嫁いで来られた北方の、豊満なご身体を心優しく愛でておられた。お二人とも、北方の二つの豊満な部位を、背中側から回して楽しむのがお好きであったが、北方お二人も、それをよく心得られ、回される度に豊満な部位を自ら張って、豊満な部位が更に大きくなるのを楽しまれた。英樹氏と英則氏は、そこをまた豊満な部位の先にある蕾を指で楽しまれるが、蕾に触れる指に力が入ると、北方お二人は、よく非常に痛みをお覚えになったが、常にその痛さを跳ね返しておいでになった。しかし、礼子殿と信姫は、女君として二つお持ちの部位が、残念ながら非常に大きさが乏しかった。それでも、安麻呂殿と清野殿は、兄君・嶋田麻呂殿の、仁姫に対する例があるので、お子を授かれない北方お二人であっても、別の女君と関わられることは決してなかった。妹君のうち、智姫はお子がおいでになってご多忙のため、宮中で良家の子女に琴の指導をする役割から徐々に離れておられたが、礼子殿と信姫には、宮中で舞や琴を指導する一番重要なお役目があった。ただ、末娘の信姫は、姉君・礼子殿の補佐のようなお立場にあった。中納言・徳川龍之介氏の息女であられた節紫姫は、大納言・榎本英樹氏の息女であった小夏の上と並んで、宮中で良家の子女に舞は琴を指導する最も主要な教え手の一人でいらしたが、ご自身の息女・小竹の上に付き添う必要から、何日間かご公務から離れられるとすれば、礼子殿の補佐役を務められていた信姫を、本指導役に回す必要があった。しかし、ご自身の代わりに信姫を指導役に、という節紫姫に対し、榎本英則氏は反対し、
「ならぬ。良家の子女らに、五節の舞を教えるのは、榎本家の女君の一番重要な役目ぞ。」
と仰せになった。節紫姫は、続けて反論された。
「清原様から、学ぶことを学ばなければ、人を教えることなど、できませぬ。」
「聞き分けのないことを言うでない。」
榎本英則氏は、突然節紫姫のことを抱き上げた。ご自身の体が、宙に浮くと、節紫姫は何も言えなくなってしまった。英則殿は、そのまま、節紫姫を寝所に連れ込み、褥の上に座らせ、ご自分は節紫姫の後ろ側へ回られた。そして、
「あなたは、今日はもう休んだ方が良い。明日はいつも通り、きちんと出仕しなさい。」
と言うと、節紫姫の着ているものを、全てお脱がせになった。そして、露わになった節紫姫の、二つの豊満な部位に、ご自身の両手をあてがい、節紫姫が呼吸をするたびに膨らむ、その部位の感触を楽しんだ後で、続けて豊満な部位の先にある、小さくて固い蕾を、指で触れようとすると、節紫姫は英則殿の指を振り払って言った。
「お止め下さいませ。私は、小竹の上の母にございます。母として、娘と肩を並べとうございます。小夏の上には、四人もの妹君たちがおり、いざという時には、末っ子の信姫が、五節の舞の指導を手伝ってくれまする。殿、小夏の上に、文を書かせて下さいませ。私には、夫婦になられる前に、瀧雄様と小竹の上が、今どんなお気持ちでいらっしゃるかが、良く分かるのでございます。大体私に、瀧雄様の講義を聞くように仰せられたのは、殿の方でございます。」
「それでも、二日も三日もいくものではない。たった一度でよいのだ。ただでさえ、夏野殿が、あなたと私が小竹の上についていっただけで、からかってくるのだ。そう何回も清原家へ行けるものではないだろう。」
「殿と私は夫婦ではございませぬか。夫婦がそろって、娘の行くところへ付き添うことが、なぜからかわれるのですか?これも、ど んなにからかわれても、娘のために良いことをしたと思えば、何も恥ずべきことはありますまい。」
節紫姫は、十二単を纏い直し、書斎へ行き、筆を取った。
「親愛なる、小夏様
このたび、娘・小竹の上の一大事がありまして、付き添う運びとなりました。つきましては、妹君の信姫を、私の代わりにご指導のお役目にお加え下さいますように、お願い申し上げます。
榎本家北方・節紫」
その夜、節紫姫は英則殿と交わることはなかった。英則殿は、先に眠ってしまっていたし、清原瀧雄氏の講義を聞いて興奮している節紫姫には、毎夜の背の君との楽しみが、無意味なことに感じられていたのであった。こうして、小竹の上の二日目は、その両親と共に終了した。
さて翌日、節紫姫の親友・小夏の上から、節紫姫の出した文に対する返事があって、侍女が受け取り、節紫姫に伝えられた。前日の夜、英則殿に衣服を脱がされてから十二単に自分で着替え直していた節紫姫は、小夏の上への文を認め終えて侍女に配達の指示も出し終えたところで、お疲れのため十二単姿のまま書斎でお休みになっていた。昨夜は、背の君と床を共にされていなかったのであった。英則殿は、非常に朝早くお目覚めになり、既にご自身の書斎で執務をお取りになっていたが、節紫姫は、まだ別室の書斎で、机に寄りかかって眠っておいでになった。侍女が小夏の上からの文を、節紫姫に伝えようとして、節紫姫のことを起こした時点で、英則殿は既に節紫姫よりも、一時間以上も早く、起きておられた。昨夜、心地良い思いができなかったことなど、英則殿は、当にお心の内から振り払っておいでになった。
「親愛なる友・節紫姫様
ご多忙中、文をありがとうございました。
文を頂きましたご用件、承知致しました。
どうか、ご安心くださいませ。ご息女・小竹の上様のご多幸をお祈り申し上げております。
橘家北方・小夏」