榎本氏
真備は、阿部内親王を連れて、農民の生活を見せたり、田畑を共に歩くことはあっても、北方の園姫とは、邸の庭を共に歩くことさえなかった。阿部内親王が、漢書や礼記に関する知識を深めて学ぶ意欲を高めても、園姫の学習意欲が高まることはなく、唐の国から帰国後の園姫は、玄昉と遊ぶことによって、琴の稽古さえしなくなっていった。それに引き換え、阿部内親王は、琴を弾く腕前も上げて行った。夫・吉備真備の思いを得ることができず、園姫が玄昉と遊び暮らす日常によって得たものがあった。七三八年、園姫の長女・由利子が誕生した。七四〇年になると、藤原家南家の藤原仲麻呂が勢力を伸ばすようになってきていた。この七四〇年には、園姫は長子を得た。真備の長子はその後、成人するつれ。吉備泉、と呼ばれるようになった。ところが、七四五年になると、女君との噂が多かった玄昉は、ついに左遷され、七四六年には亡くなった。玄昉が亡くなった時、由利子は八歳、泉は六歳であった。真備はこの、玄昉と北方・園姫との間にできた六歳の男子を、いっそ寺にでも預けてしまおうかと思ったが、考え直して、自ら漢書の手ほどきをした。それは、旧友・玄昉の子供とされているまだ六歳の泉がどのような能力なのかを見極めるべきだと考えたからであった。玄昉が亡くなった知らせを受けた日の夜、吉備家の寝所で、玄昉の喪に服して嫌がる真備の妻・園姫の身体の中央部分を、真備の節の太い両手がいつまでも這った。しかも、真備は北方・園姫の背後から、
「泉は実に利発だ。男子が僅か六歳で、あれだけ早く漢文を覚えられた例はない。流石は貴女の子。貴女の子は、私の子でもあるのだ。良い子を産んでくれた貴女が、私には限りなく愛おしい。」
などと声をかけた。二人の殿方に自身は好かれていると己惚れる園姫には、この時の夫の言葉が、その後の園姫の生涯では、暫くの間気持ちの支えとなったと思われた。現に、この当時の園姫は、
(真備さんのこの言葉があるから、私は生きられる。)
と真剣に考えていた。それが、園姫がその後も真備の子女たちを五人も次々と生み続けていく原動力となった。しかし、真備にしてみれば、真剣に園姫のことを大切に思っていたわけではなく、園姫が只々、藤原房前の娘だったが故に、無理矢理にでも組み伏せておく必要があったからである。自分を心底思っているわけではない夫の吉備真備が、北方であり、何にも増して愛おしむべき存在であった筈の自分にとって、残忍な運命を用意していることなど、この時の園姫には、知る由もなかった。
七三五年の真備の帰国以来、真備の養育により、阿部内親王は玄昉が亡くなった頃には、かなりの学才を身に付けておいでになった。また同時に、園姫の子女二人が玄昉によるものであることも、全てお見通しであった。でありながら、ある日、吉備真備をご自身のお側にお呼びになった。
「真備さんももう、お二人のお子さんの父君なのですね。」
「…。」
「でも、皮肉なことに、ご友人の玄昉さんは、亡くなられましたね。玄昉さんは確か、北方とも唐の国でご一緒だったのでしたね。
真備殿。私はもう貴方と十年は、一緒に勉強してきました。お蔭で私自身が、様々なことにも通じるようになりました。どうでしょう?真備殿は、今後ご家庭を大切にされた方が良いのではありませんか?これからは、北方とのお時間を大切になさい。北斗七星と南斗六星が、真備さんの寿命を延ばそうとしているそうです。今後、真備さんがお作りになるお子さんたちにとっても、幸先の良いこととなりましょう。」
真備にとっては、いちいちと突き刺さる阿部内親王のお言葉であった。園姫は自分の妻でありながら、玄昉という僧侶の言葉に乗せられて、他人と交わった女君である。そのような女君を、どうして自分の妻として認めることができようか?
真備は元来学問にのみ、自身の勢力を傾けていた潔癖な青年であった。自分の妻になる女君は、純真で自分のことのみを考えてくれる人、と常に考えていた。それを、北方が自分以外の殿方と関係を持ったことに耐えられるだろうか、と思った。しかし、園姫は藤原氏北家の姫君であり、もし暗に北方として無視するような振舞に出れば、自身の身に危険が及ぶのは目に見えていた。孝謙天皇が、真備が教えてきた、北斗七星と南斗六星の話を持ち出して来たことは、真備のことを追い詰めてもいた。就寝の時間が来るたびに、園姫の姿を見ることには躊躇いもあった。それでも、その日から真備は、夜、北方・園姫との時間を過ごすようになった。孝謙天皇が、真備がその北方のことで躓き、自身の立場を危うくせず、藤原氏の勢いの増していく中で、今は上手に泳いで行くことをお望みであることが理解できるからであった。気が付けば、真備の両手は毎晩、園姫の身体の中央部分を這うようになっていた。そんなある日、真備は、
「玄昉はこんな風にしていましたか?」
と園姫の耳元で囁いた。園姫は、自分の背中から、自分が最も望んでいた声が心地良く響くのを感じたが、特に言葉では応じなかった。
真備が再び口を開いた。
「北斗七星と南斗六星が、私と貴女の間に生まれる子女の寿命を長くしてくれるそうです。」
「北斗…ですとか、聞いたことないのですが…。」
「古くから、唐の国に伝わる不思議な星たちのことです。北斗七星は黒い服を着た老人、南斗六星は赤い星を来た若者です。この二人が、人々に生まれる子宝の寿命を決めるのです。」
「でも、どうして真備さんと私の間にできる若君や姫君の寿命のことまで、真備さんにお分かりになりますの?その老人や若者が、そう言ったという証拠でもあるのですか?」
「今上天皇が、そう宣ったからです。」
「今の陛下は、真備さんが親代わりをなさったようなものでしょう?どおりで、私には理解できない星たちの話が、陛下と真備さんにはお分かりになる筈ですわね?陛下は、にも真備さんはこうして差し上げましたの?」
園姫は、自分の身体の中心部分に置かれた真備の両手を冷ややかに見下ろして言った。その瞬間真備は、心の中でこうつぶやいた。
(自分の家柄を鼻にかけて、何という嫌な女だ。できれば、こんな女には触れたくはないものだ。)
そして、なおも真備は、園姫のことを知っても、自身の心が楽しめないのに気が付き、自尊心が深く傷つくのを感じた。それでもなお、真備の両手は、園姫の身体の中央部分の回りを動き、真備は園姫のことを深く知った。園姫は物質的に満たされて、大きな満足感の中にあったが、真備は、園姫のことを深く知れば知るほど、自分自身が激しく傷ついていくことを理解した。毎晩が、園姫にとっては天国でも、真備にとっては、地獄であった。
そうしているうちに、七四八年には真備と園姫との間にも、与智麻呂という男子が誕生した。七四九年には、ついに阿部内親王は、孝謙天皇として即位された。翌七五〇年になると、藤原仲麻呂の勢力が増し、吉備真備は再び唐の国へ留学することになった。留学することになった真備を、孝謙天皇は再度ご自身のお側へお呼びになって仰せられた。
「北方も、唐の国へ連れてお行きなさい。」
「泉は実に利発だ。男子が僅か六歳で、あれだけ早く漢文を覚えられた例はない。流石は貴女の子。貴女の子は、私の子でもあるのだ。良い子を産んでくれた貴女が、私には限りなく愛おしい。」
などと声をかけた。二人の殿方に自身は好かれていると己惚れる園姫には、この時の夫の言葉が、その後の園姫の生涯では、暫くの間気持ちの支えとなったと思われた。現に、この当時の園姫は、
(真備さんのこの言葉があるから、私は生きられる。)
と真剣に考えていた。それが、園姫がその後も真備の子女たちを五人も次々と生み続けていく原動力となった。しかし、真備にしてみれば、真剣に園姫のことを大切に思っていたわけではなく、園姫が只々、藤原房前の娘だったが故に、無理矢理にでも組み伏せておく必要があったからである。自分を心底思っているわけではない夫の吉備真備が、北方であり、何にも増して愛おしむべき存在であった筈の自分にとって、残忍な運命を用意していることなど、この時の園姫には、知る由もなかった。
七三五年の真備の帰国以来、真備の養育により、阿部内親王は玄昉が亡くなった頃には、かなりの学才を身に付けておいでになった。また同時に、園姫の子女二人が玄昉によるものであることも、全てお見通しであった。でありながら、ある日、吉備真備をご自身のお側にお呼びになった。
「真備さんももう、お二人のお子さんの父君なのですね。」
「…。」
「でも、皮肉なことに、ご友人の玄昉さんは、亡くなられましたね。玄昉さんは確か、北方とも唐の国でご一緒だったのでしたね。
真備殿。私はもう貴方と十年は、一緒に勉強してきました。お蔭で私自身が、様々なことにも通じるようになりました。どうでしょう?真備殿は、今後ご家庭を大切にされた方が良いのではありませんか?これからは、北方とのお時間を大切になさい。北斗七星と南斗六星が、真備さんの寿命を延ばそうとしているそうです。今後、真備さんがお作りになるお子さんたちにとっても、幸先の良いこととなりましょう。」
真備にとっては、いちいちと突き刺さる阿部内親王のお言葉であった。園姫は自分の妻でありながら、玄昉という僧侶の言葉に乗せられて、他人と交わった女君である。そのような女君を、どうして自分の妻として認めることができようか?
真備は元来学問にのみ、自身の勢力を傾けていた潔癖な青年であった。自分の妻になる女君は、純真で自分のことのみを考えてくれる人、と常に考えていた。それを、北方が自分以外の殿方と関係を持ったことに耐えられるだろうか、と思った。しかし、園姫は藤原氏北家の姫君であり、もし暗に北方として無視するような振舞に出れば、自身の身に危険が及ぶのは目に見えていた。孝謙天皇が、真備が教えてきた、北斗七星と南斗六星の話を持ち出して来たことは、真備のことを追い詰めてもいた。就寝の時間が来るたびに、園姫の姿を見ることには躊躇いもあった。それでも、その日から真備は、夜、北方・園姫との時間を過ごすようになった。孝謙天皇が、真備がその北方のことで躓き、自身の立場を危うくせず、藤原氏の勢いの増していく中で、今は上手に泳いで行くことをお望みであることが理解できるからであった。気が付けば、真備の両手は毎晩、園姫の身体の中央部分を這うようになっていた。そんなある日、真備は、
「玄昉はこんな風にしていましたか?」
と園姫の耳元で囁いた。園姫は、自分の背中から、自分が最も望んでいた声が心地良く響くのを感じたが、特に言葉では応じなかった。
真備が再び口を開いた。
「北斗七星と南斗六星が、私と貴女の間に生まれる子女の寿命を長くしてくれるそうです。」
「北斗…ですとか、聞いたことないのですが…。」
「古くから、唐の国に伝わる不思議な星たちのことです。北斗七星は黒い服を着た老人、南斗六星は赤い星を来た若者です。この二人が、人々に生まれる子宝の寿命を決めるのです。」
「でも、どうして真備さんと私の間にできる若君や姫君の寿命のことまで、真備さんにお分かりになりますの?その老人や若者が、そう言ったという証拠でもあるのですか?」
「今上天皇が、そう宣ったからです。」
「今の陛下は、真備さんが親代わりをなさったようなものでしょう?どおりで、私には理解できない星たちの話が、陛下と真備さんにはお分かりになる筈ですわね?陛下は、にも真備さんはこうして差し上げましたの?」
園姫は、自分の身体の中心部分に置かれた真備の両手を冷ややかに見下ろして言った。その瞬間真備は、心の中でこうつぶやいた。
(自分の家柄を鼻にかけて、何という嫌な女だ。できれば、こんな女には触れたくはないものだ。)
そして、なおも真備は、園姫のことを知っても、自身の心が楽しめないのに気が付き、自尊心が深く傷つくのを感じた。それでもなお、真備の両手は、園姫の身体の中央部分の回りを動き、真備は園姫のことを深く知った。園姫は物質的に満たされて、大きな満足感の中にあったが、真備は、園姫のことを深く知れば知るほど、自分自身が激しく傷ついていくことを理解した。毎晩が、園姫にとっては天国でも、真備にとっては、地獄であった。
そうしているうちに、七四八年には真備と園姫との間にも、与智麻呂という男子が誕生した。七四九年には、ついに阿部内親王は、孝謙天皇として即位された。翌七五〇年になると、藤原仲麻呂の勢力が増し、吉備真備は再び唐の国へ留学することになった。留学することになった真備を、孝謙天皇は再度ご自身のお側へお呼びになって仰せられた。
「北方も、唐の国へ連れてお行きなさい。」