榎本氏
 真備は、近づいてきた由利子の目をよく見た。よく見ると、瞼は、由利子は一重でも、藤姫は二重である筈であった。北方・園姫は、こういう二人の娘の相違さえも、理解できずに、簡単に二人を入れ替えられる、と考えたのかと思うと、真備は失望した。しかし、この日は、園姫と由利子に、
 「二人とも、今日は疲れているところを済まなかった。有難う。今日はもう休みなさい。藤姫の琴の音色は、きっと榎本殿にも喜ばれよう。」
と言い、自分も園姫と共に、夜の寝所に急いで行った。しかし、寝所でいきなり園姫の身体の中央を回し始め、園姫が身動きできない状態へ持って行った。
 「貴女は、由利子と園姫を入れ替えたのか?」
 「…。」
真備が園姫のことを深く知ると、その後長い時間園姫は目覚めなかった。真備は翌朝、兎に角榎本英樹氏を訪ねた。
 「榎本殿。朝早くから本当に申し訳ない。実は、我が家で不手際があって、藤姫は今法隆寺にいるのだ。済まぬが、我が娘を連れ戻してはくれまいか?」
 「何ですと?」
 「藤姫が嫁入り前に、姉にどうしても会いたい、と申しまして、法隆寺に行ったのですが、母と逸れてしまったようなのです。藤姫は、いずれは貴方様の妻になる立場です。法隆寺で貴方様に会えば、素直にこちらに帰ってくるでしょう。それと、これも誠に申し訳ないが、藤姫を連れ戻したら、暫くは貴殿の邸で預かっては頂けまいか?」
 「いや。それは…。」
 「いや。お頼み申す。」
 榎本英樹氏が、法隆寺から藤姫を連れ戻す間に、真備は自身の寝所に春友の局を伴っていた。園姫と由利子が同席していた。真備は、春友の局の身に付けているものを取り、局の身体の中央にあるものを回し続けていた。
 「園姫。私の北方でありながら、自分の娘を入れ替えようとするなど、貴女は自分のやっていることが分かっておるのか。藤姫は、榎本殿が連れ戻す。由利子はこれより、宇治に建てる新しい寺で再び修行するものとする。なお、その宇治の寺へは、園子と由利子で歩いていくのだ。牛車を使用することは許さぬ。また、寺が建つまでは、この邸の侍女たちの仕事を手伝うこと。そなたたち二人の寺が建つまで、そして宇治に建つ寺へそなたたちが辿り着くまで、私はこの春友の局と、毎日こうやって楽しんでいる。」
 「…。」
 真備は、話の間中、ずっと春友の局の身体の中央部分を回し続けて楽しんだ。夫が、自分以外の女君を、着るものを身に付けさせない形で近付けている姿に、園姫は心身共に精気を失っていった。しかし真備には、今は眼中に、妻・園姫の姿などはなく、唯ひたすら侍女頭の身体の中央の柔らかさや硬さを楽しむことしか考えてはいなかった。春友の局は、園姫の侍女たちを指図する立場であったとはいえ、身分は低く、一侍女に過ぎなかった。真備は、園姫の目に何が写ろうと、お構いなしにまた言った。
 「園姫。そこにいるなら、よく見よ。この春友の美しさを。唐の国には、この春友の十倍くらい美しい女君が多くいるぞ。今度唐の国へ行ったら、そうした女君達を百人くらい連れ帰って、一度にこういう寝所に並べて、一人ずつこうして回して行ってやろうかな。」
 「…。」
園姫は、夫・真備が、自分以外の女君の、身体の柔らかさや白い美しさに酔っている姿を目の前にしながら、娘の由利子と共に、十二単を身に付けたまま眠ってしまった。園姫が、この日の眠りに就く前に、最後の両目をよく見開いた時、春友の局が身に付けていた十二単の上半身の部分が、春友の局の腰の辺りから床に向かって下がっていた。春友の局は、全体的に白い美しさを放ち、顔も頬のあたりが少し桃色に光って、輝夜姫以上に美しく輝いて見えた。園姫は、妬ましさが自身の全身を襲うのを感じた。夫・真備は自分ではなく、白く輝く異常な美しさを放つ一侍女の身体の中央辺りを回し続ける中で、時折その回す手に力を込めて、更に楽しんでいた。真備は、そのようにして、春友の局の身体の中央の硬さをも、最高に味わおうとしている風でもあった。春友の局は、白い美しさを、真備の手の隙間から、なおも続けて反射させていた。
(夫・真備は、自分ではなくこの女の妖艶さに満足しているのだ。)
園姫はそう考えると、口惜しさが込み上げたが、その夜は疲労も襲ってきて、眠ってしまう以外になす術はなかった。真備が、春友の局の身体の中央部分を回し続ける行為は、かって、真備が園姫に対してしていた行為であった。夫は、以前は私に夢中であったのに、と園姫は考え続けていた。と、朝五時頃に目覚めると、由利子は気が付いて、
「お母様。先に戻っております。」
と言ったが、園姫がふと目の前の後継を見ると、真備と春友の局が、隣り合って褥の上に寝ていた。二人は、お互いに深く知りすぎていた。春友の局は、何と既に真備の子を身籠っていた。しかしこの時点では、本人にはまだ自覚がなく、真備にも分かってはいなかった。真備と春友の局は、七六九年四月六日の朝五時、自分たちの間に宿った新しい何かの存在についてはまだ知る由もなく、夢見心地で、束帯や十二単が捨てられた状態で呑気に寝入っていた。園姫は侍女に命じて、武官を一人呼んでこさせ、寝所に無造作に捨てられてある、春友の局の十二単をそっと持って行かせた。透かさず園姫は、真備のことを起こそうとして言った。
 「殿。藤原永手様がお呼びとのことでございます。」
 「朝っぱらから、永手が私を呼んでおる、と申すのか?」
 「はい。すぐに藤原家の邸へ来るように、とのことでございます。」
 「誠か?」
 口は動かしつつ、真備は身に付けるべき物を身に付けて、一先ず朝食の席に着くべく、園姫と共に寝所を出て行った。まだ眠っている春友の局は、十二単を園姫に奪われた姿のままであった。無防備に眠っている春友の局の姿を上から見下ろしていた園姫は、夫・真備に身体の中央部分を回されている時に、正座をした体勢を維持していた、春友の局の姿勢の良さと美しさが脳裏にちらついた。園姫にとっては、できれば思い出したくもない光景ではあったが、どうしても自分の脳裏から消し去ることのできない光景でもあった。しかし、現に今、園姫の目の前に広がっている一侍女の無防備な光景は、逆にこの上もなく憐れにさえ見えた。園姫は兎に角今は、吉備真備の北方として、夫に朝食を取らせる必要があった。園姫は、春友の局の十二単を奪い去ったまま、無防備な体制の自分の侍女を、寝ているまま捨て置いた。そして、真備と共に朝食の席に着くと、しゃあしゃあとして言った。
 「殿。永手様が、お呼びと申しましたのは、嘘でございます。」
 「何っ!」
 「申し訳ございません。」
 「貴女は、自分の娘を入れ替えた上に、夫である私に平気で嘘がつけるのか?」
 「殿は、まだまだ春友と一緒に夢を見ていたかったご様子ですね。」
 「それはそうだ。あんなに美しい女君が目の前にいるのだ。何もしない男がどこにいるであろうか?」
 「殿は、ご自分の妻や、公衆の面前で、妻以外の女君と遊んでいる様子を見せたのですよ。よく恥ずかしくないですこと。私は藤原房前の娘、永手は私の弟です。恥知らずなことをあまり続けていると、永手が黙ってはおりますまいぞ。殿は、島流しにでもなりたいのですか?」
 「貴女は本当に戯けだな。私は春友と遊んでいるのではない。愛しい真備家の侍女を、自分の大切な妻として愛おしんでいるのだ。それに、今の藤原氏に私に重罰を科せる力などないわ。」
 「まあ…。」

 一方、春友の局は、真備と園姫が言い争っている時に、やっと目覚めた。昨夜、眠りについた時は、真備に愛おしまれた甘美な夢見る素敵な楽園の中にいた筈であったものを、目覚めた途端、激しい頭痛と吐き気に襲われ、しかも自身の十二単が奪われている最悪な状況であることが、春友の局のことを、楽園から地獄絵図の方へ移動させていた。自身の身体の中央部分が、露わになったみっともないとしか言いようのない醜態であることの屈辱感を嫌というほど味わった春友の局であったが、園姫の傍仕えの侍女たちを束ねる立場から、性格がきつく、厳しすぎる指導から、部下の侍女たちからは敬遠されていたため、このようにいざ困ったことが出て来た時に、誰も助けてくれる者がおらず、誰よりも憐れであった。十二単も園姫に奪われてしまった春友の局は、自身の身体の恥ずべき部分を、何一つ覆うことさえできない有様で、寝所の上になす術もなく座っているしかなかった。寝た上にかける布団さえ、園姫は意地悪で持ち去った様子であった。春友の局は、あられもない姿のまま、恥ずかしそうにしているだけで、何もすることがなかった。つい昨日までは日常的に出勤し、多くの侍女たちに仕事上の指示を与えて来た春友の局の誇りは、一夜のうちに打ちのめされてしまった。真備に、身体の中央部分を回されて甘美な気持ちが昂り、異性に思いを掛けられた、生まれて初めての喜びを味わった気持ちにもなっていたところが、一瞬のうちに淡い夢さえ砕かれたのでもあった。と、沈み続けている春友の局が、毎朝自分の出勤と共に同じ部屋にいてくれる筈なのに、今日に限って不在であることに気付いた侍女がいた。鶴竹の君、という春友の局の侍女のうちの一人であったが、鶴竹の君は、もしや、と思って、昨夜、真備と春友の局が床を共にしたと思われる部屋を見に行った。部屋に入るなり、鶴竹の君の目の前には、決して見たくはない光景が広がった。
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