オオカミ専務との秘めごと
ほらほら仕事してと、佐奈の思考を専務から切り離し、私も書きかけのお仕事ノートに目を向ける。
専務とはちらっと目が合っただけだし、あの場で声をかけられなかったし、そもそも私の名前を知らないのだ。
新聞屋が営業部の神崎菜緒だとわからないよう祈るしかない。
ネガティブな気分を無理矢理にポジティブな方向に向け、午後の仕事を片付けた。
定時のチャイムが鳴り、帰る準備を整えて営業部から出る。
すでに社内は“専務注意報”から“専務警報”にグレードアップしている。
今度ばったり会ったら、もうおしまいだ。
いつものようにバッグを胸に抱きしめて、他の社員の間に隠れるように立ち、一階まで下りる。
いつもはみんなと一緒にエレベーターから降りるが、今日は開ボタンを押して全員が降りてからゆっくり周りを確認して出ることにする。
人のいなくなった受付のあたりから観葉植物の陰まで見て、エントランスへ向かった。
機械にIDカードをかざしながら、これがいつまで続くんだろうと思う。
一歩外に出ると風がビューッと吹いて、寒さに身を縮めた。
「おい」
後ろから聞こえてきたそれで、ドクンと心臓が脈打った。
──この声は・・・。
丁度一週間前の朝がありありとよみがえって足がすくみそうになる。
けど、呼ばれたのは自分でないと決め、動きにくい脚を励まし、できうる限りの速足で駅を目指す。