初恋
第十九話 手紙の返事(直美編)
翌日、昨日の二人の様子を目撃してしまった直美は、考え過ぎて睡眠時間がほとんど取れていない。授業中幾度となく欠伸が出そうになるが、根性で飲み込む。
普段からくしゃみと咳もなるだけ出ないようにはしているが、生理現象の向きが強いので口元を隠して行為に至ることはしばしばある。ただし、欠伸の場合は自己管理の部分が入ってくるので、出来るだけ人様の前でしないようにしていた。
幼少の頃、深雪に耳にタコができるくらい教えられたのが、女性が人様の前で大きく口を開けることのはしたなさ。歩き方と姿勢、口元に注意を払うこと、これらは基本中の基本として徹底的に仕込まれている。
くしゃみや咳は一瞬であり隠せるが、欠伸は隠しても開口時間が長いので動きでバレてしまう。ゆえに欠伸だけは常に気をつけて、飲み込んだり出ないように深呼吸したりしていた。
昼休みになり眠気も一段落し、仲良くなったクラスメイト数人と談笑する。既に頼れる姐御状態になっており、勉強から恋愛関係まで相談を受けることとなっていた。見渡すと修吾はいつの間にか教室から居なくなっており直美は気に掛かる。
(昼休みか放課後のどっちかで、深雪さんとの関係を問い質したいんだけど……)
職員室に用があると嘘をつき談笑を切り上げると、直美は慣れない校舎をゆっくり歩いて回る。
(修吾が友達と話してたり遊んでたりしてたら放課後かな)
都合よく一人で居るところなんて発見出来ないだろうと、半分諦めて覗いた図書室で修吾を見つける。
(居た。しかも都合よく一人)
内心ほくそ笑みながら静かに近づく。途中で修吾も気付いたようにこちらを見るが、あまり興味がないようで無表情だ。しばらくするとぶっきらぼうに一言放つ。
「何か用か?」
(私のことなんて気にならないってわけね。昨日、自己紹介したときには名前聞いて驚いたくせに)
ちょっとイラっときた直美は読んでいる本を無理矢理取り上げる。
「ちょ、おい」
当然の反応をする修吾を無表情で見つめる。
「わかった、外で話そう。本を返してくれ」
意図を汲み取ってくれたのか本を返すと、修吾は素直に直美の後を着いてくる。
(本当に忘れてたらショックだし、一応最初は他人行儀で行ってみよ)
階段の踊り場まで来ると直美は話し掛ける。
「お久しぶりです。私のこと覚えていますか?」
(さあ、何て答える)
挑戦的な視線を向ける。
「すまない。誰か分からない」
「そうですか。私も貴方があの泣き虫で有名だった加藤修吾とは思えません」
「そうか、じゃあ勘違いだったということで。じゃあ」
(コイツ、私と話すの面倒臭いんだな? よ~し、ちょっと意地悪してやろ)
「白井深雪さん。覚えていますか?」
「いや、覚えてない」
(この嘘つきさんめ、ぬけぬけと……)
「昨日、大宮駅の休憩所で貴方と深雪さんが話しているのを見たんですが」
(どう答えるのかしら?)
しばらく黙っていた修吾は、ため息を一つついて観念する。
「覚えてるよ。一年三組、おてんばの直美だろ。喧嘩の強かった」
「やっぱり覚えているんじゃない。泣き虫修吾」
「つーか、全く面影ないな。名前以外に思い出す要素ね~よ」
「そのセリフそのままお返しするわ。貴方こそ、どこのゴリラの群れからはぐれたのかしら?」
「ヒドイ言いようだな。ま、旭山動物園から脱走したってことにしとくわ」
(相変わらず、変なヤツ)
「八年ぶりね。元気だった?」
「ご覧の通り」
「ゴリラね」
「うるさいウホッ」
「アハハッ、賢いゴリラさんね」
「つーかオマエこそなんでこんな時期に転入なんだよ」
(また、ちょっと意地悪してやろ)
「う~ん、家庭の事情、ってヤツかな……」
斜め下に俯く直美を見て修吾は焦っている。
「すまん、悪いこと聞いたか?」
「ううん、単純に所沢に引っ越して来ただけだよ。新築の家建てたの」
(はい、引っ掛かった~)
「くっ、心配して損した」
「相変わらず優しいのね。私の身の上心配してくれた?」
「もう未来永劫しねぇよ」
(ホント、変わってないんだ……)
「良かった。修吾、変わってなくて」
「ん?」
「八年以上も経って、しかも複雑な家庭事情だってことも知ってたから、修吾グレて別人のようになってるんじゃないかって心配してたの」
「俺は、大丈夫だよ。そんなに弱くないからな。直美の方こそなんだよ。初っ端からクラスのアイドルみたいになってるじゃねぇか。キャラ設定間違えてないか?」
「あら心外ね? 私だっていつまでもおてんばの子供じゃないのよ。来年には結婚も出来る年齢になるんだし」
(結婚、誰かさんと……)
「あのさ、深雪さんとはずっと交流あったのか?」
「ええ、たくさんお世話になったわ。引っ越しする前にもちゃんと挨拶に行ったし。だから昨日修吾と会ってるのを見てびっくりしちゃった。修吾の方こそ深雪さんとよく会ってたの?」
「いや、昨日は偶然会ったんだ七年ぶりに」
「えっ!? そうなの?」
「だから昨日は、八年ぶりに直美と再会して、七年ぶりに深雪さんとも再会したってことになるな」
(偶然だったんだ)
「奇跡ね」
「全くだ」
(あっ、そういえば手紙)
「一つ、修吾に文句言いたいんだけどいいかしら?」
「遠慮なくどうぞ」
「手紙の返事、いつ返してくれるのかしら? 八年くらい待ってるんですけど」
「き、記憶にない」
(コイツ、嘘つくのめちゃめちゃ下手!)
「ほぅ、都合の良い頭ですこと。それともゴリラになって記憶力が落ちたのかしら? 今この場で頭を叩き回したら思い出してくれるのかしら?」
ニコニコしながら直美は指をポキポキと鳴らし、修吾との距離を縮める。
「ちょ、ちょっと待った! 一つ聞いていいか?」
「なに?」
「空手はまだやってる?」
「二段ですけど何か?」
(ホントはもうしてないけど)
「すいませんでした。いや、ホント、マジで」
「仕方ないわね。で、手紙自体は読んだ覚えある?」
「ああ、暇つぶしにタクシーで開けた記憶あるから多分読んだ」
「暇つぶし? 多分?」
(家に着いたら読めと言ったのに!)
「いや、すごーく気になって堪らず開けたんだ! 言い間違えた」
「……内容は覚えてる?」
沈黙の長さと視線の動きで全てを悟る。
(ダメだコイツ……)
「もういいよ。覚えてないならそれでもいいし。手紙の存在自体を忘れてたから、返事出さなかったって思いたいし」
「思いたい?」
(しまった!)
「手紙の内容、何て書いてあったんだ? 今、口頭で答えられることなら答えるぞ」
「もういいって……」
「ダメだ、俺の方が気になってしょうがない」
(ここで言えるわけないじゃん! お嫁さんにもらってくれなんて!)
「なんだよ? 早く言えよ」
「あの、それはその……」
(恥ずかし過ぎる、ってあれは!)
雄大の視線を感じた直美は、修吾の脇をサッと走り抜け、背後から掛かる修吾の言葉を無視してその場から距離を置く。
(ヤバかった、修吾にあんな近くに寄られたら緊張して何も言えない。それに階段の下に居たのって確かクラスメイトの谷口。お喋り好きで人の噂とかに目がなさそうだし、気をつけないと)
ドキドキしている胸の鼓動を感じながら、直美は教室へと向かった。