初恋
第二十五話 ズルい女(直美編)

 卒業式前日。「明日から長い春休みだ!」と勘違いし騒ぐ雄大に辟易しながら直美は横目で修吾を見る。深雪から距離を取るように言われてからの修吾はずっと元気がない。
 クリスマスとバレンタインに軽い感じで逆告白するも、全く心に届いていない様子で取り付く島もない。一方、雄大の方はクリスマスとバレンタインにわざわざプレゼントをせびりに来て、みぞおちを真剣に殴られていた。
 放課後、教室を後にする修吾を見ていると、携帯電話を取って見るなり急いで廊下に飛び出て行く。
(何かあったのかしら?)
 鞄を携え直美は気になって後をつける。遠くから見ると修吾の表情に笑顔が戻っている。
(あの笑顔、きっと相手は深雪さんだ)
 複雑な気持ちになりながら修吾に近づくと、ちょうど通話を終わらせた修吾がこちらに気付く。
(分かってるけど聞くしかないか……)
「もしかして深雪さん?」
「うん、元気そうだった」
「なんて言ってた?」
「あっ、それは……」
(ここまで来たら絶対聞き出す!)
「私に隠し事するの? この、ワ・タ・シ・に」
「分かった、話すよ」
「当然よ」
「明後日、卒業祝いも兼ねてデートしようって誘われたんだ」
(デート。何よ半年間ほったらかしといて、あっさりもとさやじゃない……)
「そ、そうなんだ。もちろん行くんでしょ?」
「ああ」
「だよね。それはいいとして、今まで連絡して来なかった理由は聞いたの?」
「そのとき聞くつもりだ。今日は忙しいと言ってたから聞かなかった」
(どんな理由だろうと、修吾は許すんでしょうけど)
「そっか。うん、良かったじゃん。もとさやってヤツ?」
「そうなるのか?」
(そうよ馬鹿修吾)
「じゃないの? ま、私には関係ない話だしもう帰るわ。デートの内容は言わなくていいけど、連絡取らなかった理由だけは気になるから教えてよ? じゃあ、また明日」
 半ば強引に話を打ち切ると、急いで下駄箱に向かう。
(悔しい、悔しい、悔しい! どんなに想ってても、どんなに近くにいても、離れた二人の間にすら入れなかった!)
 流れる涙を我慢出来ず、直美は顔を見られないように下を向いたまま早足で校舎を後にする。
(早く家に帰りたい!)
 直美はその一心で涙も拭かず歩き続ける。周りの人も景色も声も全く目に入らない。そのとき背後から突然肩を捕まれ反射的に回し蹴りを放ってしまう。手加減無くヒットした蹴り技に、相手は脇腹を押さえて屈み込んでいる。
「た、谷口?」
「何度も名前……、呼んだんだけどな。痛っつ……」
 いつもは冗談ばかり言ってひょうきんな雄大も、本気の蹴りをくらってはひとたまりもなく苦悶し動けない。
「ご、こめん!」
 焦りながら肩を貸して立ち上がらせると、前に雄大と話した公園に連れて行く。冷水で絞ったハンカチを雄大の脇腹に当てると激しく喚く。
「ごめんなさい。私の見立てでも最低アバラ骨三本ヒビ入ってる……」
「いや、いきなり背後から手を掛けた俺が悪いんだし」
 雄大の笑顔に言葉も出ない。落ち込む直美に雄大は話し掛ける。
「それにしても川合さん、ホントに強いね。空手何段?」
「二段」
「中学生で二段って凄くない?」
「たぶん」
「そっか、じゃあ川合さんと付き合う男は浮気なんて出来ないね」
 冗談めかして笑う雄大だが直美はクスッともしない。
「何があった? 川合さんが泣きながら帰宅するなんてよっぽどだ」
「……貴方に話す理由はない」
「確かに、俺は二人の間に入れるほど関係深くないし」
(修吾とのやりとりを見ていたのか、推察しての発言ね……)
「聞かなくても貴方なら分かるでしょ。私がフラれたことくらい」
「うん」
「フラれた女をあざ笑いに来た? それとも弱っている今の私なら落とせるとか思ってる?」
 自嘲気味に言う直美を雄大は真剣な眼差しで見つめる。雄大が自分を心配して追いかけてきたことはその表情からしてとっくに理解している。
「ごめん……」
 謝り目の前で立ち尽くす直美を見て雄大はベンチから立ち上がると、黙って正面から抱きしめる。
「殴りたかったら殴っていいよ。前にも言ったけど、俺と川合さんは似てる。他人の心が自分のことのように取って分かる。傷ついた深い理由までは分からないけど、傷ついた痛みは理解できる。言いたくなければそれでいい。でも、しばらくはこうして居たい。君の心がこうしてほしいと叫んでるような気がするから」
 抱きしめたまま優しく言う雄大に、直美の目からは自然と涙が溢れる。直美は唇を噛むと振り絞るように言う。
「今だけ、ズルい女になっていい?」
「いいよ」
 返事を聞くと直美は雄大を強く抱きしめて大声で泣く。
(こんな辛い気持ちになるんなら好きになるんじゃなかった……こんなことになるくらいならもっと早く友達だけの関係にすべきだった。辛い、心が割れそうなくらい辛い……辛いよ、修吾……)
 雄大は黙ったまま、腕の中で泣きじゃくる直美をずっと優しく抱きしめていた――――


――翌日、卒業式。校門の前で雄大は直美を待つ。修吾と直美の中に自分が入れないことは十分理解している。しばらくすると涙目で頬を拭いながら直美が歩いてくる。
「やあ、元気?」
「うん、貴方こそアバラ大丈夫?」
「大丈夫、とはさすがに言えないかな。全治一ヶ月。春休み全滅」
 雄大は笑いながら言う。直美もつられて笑う。
「また、修吾に告白した?」
「うん、卒業記念にね。結果は昨日の段階で出てたのにね」
「そっか」
 雄大は敢えて深く聞かない。見つめ合っていると直美の方から口を開く。
「高校は別々ね」
「うん、残念だ」
「私、ここに転入してきて貴方と知り合えたことが、一番の収穫だった気がする」
 その言葉に雄大は意外そうな顔をする。
「私も含めて、貴方の存在で修吾もだいぶ助かったと思う」
「でも、俺とは付き合ってくれないんでしょ?」
「うん、修吾のこと好きだもの」
「ズルい女」
「昨日、それでも良いって言ったでしょ?」
「まぁ、そうなんだけどさ……」
 雄大はちょっと不満げな表情でそっぽを向く。直美はその横顔に近づくと頬にキスをする。突然の事態に雄大はあたふたする。
「えっ? あれ? 何で? えっ! キス! 痛っ……」
 雄大は変な動きをしてアバラを傷めている。
「アバラ折った件のお詫びと、昨日胸を貸してくれたお礼だから、勘違いしないでね?」
 雄大はうずくまったまま親指を立てる。
(面白い人。でも優しくていい人。私の心の中にいつの間にかこの人がいた。今はまだ修吾のことが忘れられないけど、この初恋が終わる頃にはきっと……)
 直美はアバラを押さえて苦しむ雄大を笑顔で見つめていた。
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