初恋
第二十七話 新入社員

「それでは今年入った新入社員を紹介する」
 真新しいリクルートスーツを着て緊張した面持ちの三人が社長の横に並ぶ。
「左から、営業担当の山田利正君、事務担当の三浦智子さん、同じく事務担当の結城沙織さん。皆、力を合わせて頑張ってほしい。じゃあ一人ずつ挨拶をしてもらおうか」
 社長の言葉に従い各々が挨拶を済ます中、早速同僚たちの査定が入る。
「今年の女子社員は二人か。でもなかなかレベル高くないっすか?」
「さあな」
 修吾は興味無い様子で後輩の小林純二に返事をする。この建設会社に入社してから早二十年が経過した修吾だが、それでもまだ三十代半ばと油の乗った働き盛り真っ只中にいた。
 入社当初は現場で働いていた修吾も、複数の資格を意欲的に取得し、今や設計や営業等幅広い職務を任されるようになっている。
「さっそくお昼誘っちゃいませんか? 親睦会もかねて」
「好きにすればいいだろ。俺は得意先回りがあるからパス。じゃあな」
 修吾は営業カバンを携えるとさっさと会社を後にした――――


――夕方、修吾が帰社するとちょうど入口で純二と鉢合わせになった。背後には入社したての三人の姿が見える。
「あ、先輩お疲れ様です」
「お疲れ。どうしたんだずらずらと?」
「新入社員歓迎会、今からするそうです。社長のおたっしですよ。僕と新入でセッティング任されたんで今から向かうとこなんす」
「そうか」
「先輩も仕事終わらせたら来て下さいよ? これは社長命令っすから」
「分かってるよ。じゃ、また後でな」
「おいっす」
 元気に挨拶する純二に続き、三人も丁寧にお辞儀をして会社を後にする。事務所に戻ると、皆歓迎会を待ち望んでいるかのように、いそいそと帰り支度をしていた。中学校からの先輩で部長でもある峰岸雄三も、支度をしながら修吾を気にかける。
「おう加藤、帰ったか。今から歓迎会するからおまえも早く準備しろ」
「すいません。急ぎ発注書作らないといけないので、それを済ませてから向かいます」
 歓迎会に向かう上司たちを見送ると、修吾はデスクに向かう。こと仕事に関しては一切手抜きせず、誰よりも完璧にこなすことを旨としていた。
 発注書を完成させ取引先にメールを送信すると、大きく伸びをしながら時計に目をやる。
「九時か、もうお開きってところだな。仕方ない顔だけでも出すか……」
 電源を切り身支度を整えていると入り口のドアの開く音がする。
(ん? 誰か帰ってきたのか?)
 訝しながら入り口を見ると一人の女性が立っている。相手も気付いたようでお辞儀をした。
(あれは確か)
「君、新入社員の娘だったよな?」
「はい、結城です」
「結城さん、どうかしたのか?」
「はい、加藤さんがあまりにも来ないので、私が帰宅ついでに様子を見るように言付かって参りました」
「なるほど、歓迎会は済んだわけか。悪かったね、行けなくて」
「いえ。では、お先に失礼致します」
「ああ、お疲れ様」
 沙織は型にハマった挨拶を交わし事務所を後にする。
(礼儀正しいんだが、どうも愛想がないな……)
 修吾は溜め息を吐きながら上着に袖を通した――――


――翌日、出勤早々だらけた声で純二が絡んで来る。
「先輩~、なんで昨日来なかったんすか~」
「残業だ」
「相変わらず仕事熱心すね」
「で、歓迎会は楽しかったか?」
「はい、そりゃもう盛り上がりました。俺、智子ちゃん気に入っちゃいましたよ。イケイケで可愛くって。あ、でもクールな沙織ちゃんも捨て難い。う~む、悩む……」
「悩む前に、おまえは節操っという言葉を覚えた方がいいな」
 修吾は苦笑いしながら書類に目を通す。そこへ突然、背後から雄三の声がし緊張しながら振り向く。話によると、今年の新入社員教育係に抜擢とのこと。もちろん修吾に断る理由もなく、指示通りすぐさま沙織のデスクに向かった。
「今日から君の教育係になる加藤だ。よろしく」
「こちらこそ宜しくお願い致します」
 沙織はちゃんと座席から立ち上がり頭をさげる。
「じゃあ、伝票の製作くらいからいこうか」
「お願いします」
 沙織は修吾の教えを完璧に覚え、一回でこなしている。過去数年でも、ここまで素早く作業する者はほとんどおらず、あまりの手際の良さにたまらず修吾は尋ねた。
「君、事務初めて?」
「いえ、高校と専学の頃バイトで数年ほど」
「そうか、どおりで飲み込みが早い」
「恐縮です」
(恐縮、ねぇ……)
「君、二十歳だったかな?」
「はい、今年の十二月で二十歳になります」
「二十歳の割にはしっかりしてると思ってな」
「恐縮です」
「ふむ……」
 修吾はディスプレイを見ながら少し考えてから切り出す。
「結城さん」
「はい」
「その他人行儀な話し方、なんとかならないか?」
「他人行儀、ですか」
「取引先や来客相手なら一向に構わないが、俺や社内の同僚に対してその話し方は逆に失礼に当たる。すぐ直した方が良い」
 修吾の厳しい言葉に沙織は少し動揺しているが、しっかり顔を見て反論する。
「お言葉ですが、私は入社したての新人です。言葉使いも含め緒先輩方に敬意を払うのは当然と考えます」
「誰も敬意を払うなとは言ってない。形式張った話し方をやめろと言っているんだ」
 ヒートアップする修吾の声に回りの社員も静かになる。
「わかりました。前向きに善処します」
「言ったそばからそれか? おまえ、俺をなめてんのか?」
 キレ始めた修吾を見て純二が慌てて間に入る。
「ちょっ、先輩! タイムタイム! 相手は新人ですよ?」
「だからなんだ? なおさら教育が必要だろ?」
「いや、手が飛びそうな勢いだったので……」
「必要なら手も出すぞ。俺は女だろうが関係ない。社会に出れば皆平等な社会人だ。出来ないヤツに指導するのは先輩の役目だ」
 威圧的なオーラに純二も黙って引っ込むしかない。しかし、それを見ていた雄三が助け船を出してくる。
「加藤、おまえの言うことももっともだ。しかし、結城の意見も的外れでもない。厳しいだけでは最近の子は育たないのは知ってるだろう? その辺をもうちょっと察してやってくれないか?」
 部長でもあり先輩でもある雄三には、流石の修吾も頭は上がらない。
「わかりました。では私よりも若者の気持ちを理解できる、小林に教育係を譲るという訳にはいきませんか? この役目は私には力不足かと」
「わかった……、ではそうしよう」
 修吾は溜め息混じりの雄三に頭を下げる。
「引き受けたばかりで申し訳ありません。しかし、私には外回りが性に合ってますよ。小林、後は頼むぞ」
「は、はい」
 純二は急に振られた役に緊張しており、当事者である沙織は変わらず冷静な表情で修吾を見つめていた――――


――夜、九時前になる頃、営業から帰社するとまだ事務所に明かりが付いている。
「こんな時間まで真面目に仕事してるヤツなんかいたかな?」
 修吾は首をかしげながら事務所に入る。
「お疲れ様です」
 入るなり沙織が挨拶をする。中には沙織しか居ないようだ。
「お疲れ。まだ仕事か?」
「はい」
 ディスプレイを見ると随分先の書類整理をしている。
「これ、今日じゃなくても大丈夫だろ。もう切り上げて帰れよ」
「わかりました」
 沙織はデータを保存すると素直にパソコンを終了させる。逆に修吾はパソコンの電源ボタンを押す。
「これから仕事ですか?」
「ああ、すぐ済むからおまえはもう帰れ」
「私はおまえではありません」
 沙織の言葉に修吾は再びカチンとくる。
「昼間も思ったが、俺にケンカうってるのか?」
「いえ、私はちゃんと名前で呼んで頂きたいだけです。親しき中にも礼儀あり、と言いますよ」
「俺はおまえの話し方に慇懃無礼という言葉を送るよ」
 修吾の言葉を受け沙織は黙って立っていたが、しばらくするとプイっと背を向け給湯室に向かう。
(なんなんだアイツ……)
 その姿に修吾はイライラしながらも書類を作り始める。しばらくすると、盆にお茶を携えた沙織が現れ目の前に差し出す。
「お茶をどうぞ」
「ああ……」
 修吾は受け取ると一口だけ口をつける。
(ん? これは)
 お茶を飲んで、いつもと違う感じに気付き、修吾は驚き訊ねる。
「このお茶、給湯室にあったヤツか?」
「はい」
「おまえ……、いや結城はお茶の心得があるのか?」
「わかりますか?」
「飲みくち、香り、市販のお茶も出し方、入れ方で大きく変わる。これはいいお茶だ」
 小学生の頃、深雪より教わり飲まされた記憶が甦る。
「恐縮で……、いえ、ありがとうございます……」
 沙織は少し嬉しそうに微笑む。
「加藤先輩こそ、お茶のことにお詳しいみたいですね」
「いや、ガキの頃教えて貰ったことの受け売りだ。俺自身お茶なんて入れたことはない。ただ、今飲んだお茶がいつもと違うのはすぐ分かったのさ。久しぶりだ、こんなまともなお茶」
 予想もしてなかった修吾のリラックスした様子に沙織もホッとする。
「評価頂き光栄です。あっ、また他人行儀でしたね……」
「結城の家、しつけが厳しかったのか?」
「いえ、そうでもないですよ。母は奔放で明く父も優しい人なんで」
「じゃあその言葉遣いは?」
「茶道と事務バイトの影響が大きいです。前のバイトでは厳しく言葉遣いを習いましたから」
「そうか、なら昼間は悪いこと言ったな。結城が悪い訳でもないのに」
「いえ、慇懃無礼はその通りだと思いますし反省しています。まだ他人行儀は抜けませんが、努力して直します」
「ああ、頑張れよ」
「はい」
「じゃあ、もう帰りな。ご両親が心配するだろうからな」
 背を向けキーボードに向かおうとした刹那、沙織からとんでもないお願いが飛び出す。 
「はい、ですから今晩は先輩に送って頂こうかと考えています」
「おい」
「それとも、遅い時間に未成年の女性を一人、お返しになるおつもりですか?」
(まさか、最初からコレが狙いだったんではあるまいな)
「おまえ、結構ちゃっかりしてるな……」
「誉め言葉と受け取っておきます」
「分かった。じゃあ、仕事すぐ終わらすから待ってろ」
「ありがとうございます」
 丁寧にお辞儀をする沙織に、なんともむず痒い感じを背に抱きながら修吾は書類を作っていた。
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