初恋
第二話 予兆

 マンションのエントランスで、深雪と修吾はエレベーターを待つ。公園からここまでの間、修吾は繋いだ手をずっと強く握っており相当心細かったに違いない。外は既に日が落ち夕闇に包まれ始めている。
(六時前くらいか。美里さん心配してるだろうな)
 降りてくるエレベーター表示を見ながらふと視線を修吾に向けると、いつからかじっーと深雪を見ている。視線を返すように微笑むと修吾もニコッとする。
(やっぱりこれくらいの子は素直で可愛い)
 心温まるのを感じながら深雪は修吾を見つめていると、お待ちかねのエレベーターが到着する。中には人影が見え、深雪は邪魔にならないように一歩下がって待つ。扉が開くと、そこに露出度高くきらびやかに着飾った女性が現れ、その見覚えのある綺麗な顔に深雪はハッとする。
「あら、深雪ちゃん。お久しぶり」
「ご無沙汰してます」
(相変わらず若々しくて綺麗なひと。しゅう君を産んだ人には見えない)
「あ、修吾と一緒だったの? いつもありがとう深雪ちゃん」
「いえ」
「あ、そうだ。ちょうどよかった。悪いんだけど、私これから急にパート入っちゃってね。この子の面倒みててくんないかな?」
「えっ?」
「ご飯は用意してるし、日付回る前までには帰れると思うから、寝かしつけるまででいいんだけど、だめかな?」
「う~ん」
(この派手な服装にバーキンのバッグって、絶対パートとは思えないんだけど……)
 唐突な願いに深雪は戸惑う。しかし、手を強く繋ぎ澄んだ瞳でじっーと見つめる修吾を見て断ることなどもちろんできない。
「わかりました。鍵は閉めたあとポストに入れておけばいいですか?」
「さっすが深雪ちゃん話が分かる。今度ケーキ奢るから、よろしくね」
 ウインクする美里に深雪は苦笑いする。
「修吾、お姉ちゃんの言うことをちゃんと聞くのよ!」
「うん」
「じゃ、悪いけどよろしくね」
 にこやかに手を振りながらエントランスを後にする美里を修吾も元気に手を振って見送る。
「じゃあ、帰ってお姉ちゃんとご飯食べよっか?」
「うん!」
 満面の笑顔で返事をする修吾の頭を深雪も笑顔で撫でる。修吾の鍵を借り玄関に入ると、まずアニメや特撮のポスターが目に入る。同じマンションで全く同じ間取りをしているが、やはり自宅とは勝手が異なり雰囲気も全然違う。キッチンに向かいテーブルに目をやると、お皿に作ったばかりの焼きそばがラップされていた。
(焼きそばだけか。ちょっと可哀相だよね)
 考え込む深雪の横顔を修吾はずっと手を握ったまま見つめている。
「ね、しゅう君、今日はお姉ちゃんの家で食べる?」
「食べる!」
 元気よく答える修吾を見て深雪は決心し焼きそばの皿を携えた――――

――「あら! しゅう君、いらっしゃ~い。メロン食べる? メロン! ん、アンタ居たの?」
 修吾を連れてリビングに入った深雪は、扱いの差に顔がひきつく。男子供のいない家庭ゆえか、修吾への甘えっぷりは半端ではない。
「居たよ、て言うか私が連れてきたからしゅう君がココに居るんでしょ?」
「どうでもいいから早く着替えてらっしゃい。お母さんはしゅう君と仲良くお話しするんだから。ねぇ~しゅう君」
 普段絶対見せないような雪絵の笑顔に、深雪は呆れながら自室に向かう。部屋着に着替え足早にリビングに戻ると、修吾と雪絵は横に並んで座り既にご飯を食べている。
「ちょっと、お母さん! 着替えるまで待ってくれててもいいでしょ?」
「ん? しゅう君がお腹空いてるのに、アンタの着替えで待たせるわけにはいかないでしょ? ねぇ~しゅう君。コロッケおいしい?」
「すごくおいしいー」
 修吾はほっぺにソースをつけながら喜んでいる。
「よかった! どんどん食べちゃってね。ほら、アンタも早く食べなさい」
「はいはい……」
 深雪は修吾の前に座ると焼きそばのラップを開けてから箸に手をのばす。
「で、早速だけど、今日のしゅう君の予定はどうなってるの? もちろんお泊りよね? もちろんお母さんと一緒の部屋よね?」
 まだ一口も箸を付けない間に、雪絵は無茶な問い掛けをしてくる。
「違うよ。ご飯食べたら家に帰す。お風呂入れて寝かしつけたらすぐ帰ってくる。帰る前に電話するけど、それまでは家の鍵閉めてていいよ」
 深雪は焼きそばに箸をのばしつつ淡々と答える。
「なによそれ。後生だからお風呂はお母さんに入れさせて?」
「ダメ」
「深雪のケチ」
 即答しもくもくとご飯を食べる深雪を、雪絵は口をとんがらせて非難する。ご飯を食べ終えた後、三人はリビングでアニメを見ながら御馳走のメロンにフォークを刺す。修吾はテレビ画面に映るポケモンに熱中している。雪絵の熱望により、修吾の座り位置は雪絵の膝の上だ。
「お母さん、しゅう君以上に楽しんでるでしょ? この状況」
「当たり前でしょ? 男前と一緒に食後のひと時を過ごせるんだから。アンタも早くいい男連れてきなさいよ? あ、ちなみにイケメン限定ね」
 雪絵は修吾を抱っこしながら独自の趣味を語る。
「中学生の娘に言うセリフじゃないってば。そう言えばお父さんは? 遅くない?」
「知らない。ほっとけば。今はしゅう君とのひと時が大事」
(大丈夫なんだろうか、うちの家庭)
 にべにもない雪絵の言葉に、深雪は真剣に家庭のことを考えていた。――――

――一時間後、アニメを見終えると欝陶しいくらい引き留める雪絵を振り切り、修吾の自宅へ避難した。すばやくお風呂の準備を調えると、修吾をいざないお風呂に入ろうとする。
 普段入らない人間と一緒なためか、修吾はパンツ一丁で走り回り、深雪は苦笑するしかない。お風呂上がりも相変わらず元気に走り回るやんちゃな修吾に、深雪はほとほと疲れ果てる。
 どうにか布団に寝かせつけ、寝息を確認すると深雪は携帯電話を取り出し、リダイヤルボタンを押す。雪絵との話を手短に済ますと、すやすや眠る修吾の頭を撫で、起こさないよう静かに部屋を後にする。起こしてしまうと再びチビゴジラの暴走如き惨状に見舞われることは想像に難くない。
 玄関先でふと下駄箱に置いてあるチラシに目をやると、パンフレットに書かれてある京都旅行の文字が目にはいる。おもむろにパンフレットを手に取ると、期間限定の秋の味覚三昧コースに丸い印が着いていた。
(期間がもう迫ってるみたいだけど、しゅう君と行くのかな? ちょっと羨ましいな)
 溜め息を吐きパンフレットを置くと、ドアに貼ってあるウルトラマンのカレンダーが嫌でも目に入る。日付に目をやると、明後日からの三日間がハートマークで括られている。そしてハートの下には知らない男の名前と京都という文字が見て取れた。
(これってパンフの京都旅行かな? でもしゅう君の名前じゃないし。まさか、しゅう君置いて旅行なんて、まさかね……)
 一抹の不安はよぎるが、振り切って深雪は玄関を後にした。
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