初恋
第三十一話 二つの記念日
冬季休暇に入った二十七日、修吾は複雑な気持ちでいた。慰安旅行の帰り、気持ちがないとはっきり分かっているのに、沙織は誕生日を祝ってほしいと言った。
そして、昨夜の電話ではとうとう待ち合わせの場所まで指定してきたのだ。約束はできないと念を押しても、沙織は待つと言い一方的に電話を切る。
約束はできないと言ったものの、全く気にならないというのも嘘になる。期待して待っているであろう沙織のことを考えると、放置するのは良心が痛む。
(仕方ない、顔くらいは出してやるか……)
修吾はしぶしぶ身支度を済ますと愛車の鍵を握った。
本来、この寒い時期は暖房の効いた部屋で映画鑑賞するのが通例となっており、外に出歩くことはほとんどない。普段のペースを乱され、一人でぶつぶつ文句を言いながら目的地付近に到着する。
待ち合わせ場所の公園には、既に沙織が待機しており修吾の車を見つけるやいなや、小走りで駆け寄ってきた。ウインドウを下げると沙織を笑顔で話し掛けてくる。
「先輩、やっぱり来てくれたんですね!」
今日の沙織は真っ白な総レースのブラウスに紺のレーシィジャケット、オレンジのミニプリーツと、いつもよりも増してお嬢様に見える。
「真冬の公園待ち合わせをすっぽかす訳にもいかないからな。ホント、こういうの今回で最後にしてくれよ」
「はい。あの、助手席いいですか?」
「ああ」
助手席に座ってからしばらく二人は沈黙する。
(なんか、気まずいな……)
隣に視線を移すと沙織も修吾を見つめ笑顔を作る。
「あ~、どこか行きたいとこあるか?」
修吾は顔をそむけながら話題を探す。
(何意識してんだ俺)
「先輩と一緒なら、ずっとここでも……」
(答えになってねえし)
「じゃあ、そうだな。映画でも観るか?」
「はい、喜んで」
「了解」
目的地が決まり内心ホッとしながらも、修吾は行きつけの映画館へとハンドルを切った――――
――三時間後。沙織の選んだ映画は話題の恋愛モノだった。親友の彼氏を好きになり、想いを隠しながら友達を演じるというストーリーらしいが、最後はハッピーエンドで終わっていた。
「優さんの想いって、素敵でしたね」
映画館横の喫茶店でイチゴケーキをつつきながら沙織は話す。
「親友の女の子を大事にしつつ、自分の想いも少しずつ伝える。どうしても言えない言葉を彼に分かってもらいたくて、でも親友越しからしか彼を見れなくて……、伝えられない辛さがよく表されていましたよね」
「まあな」
修吾はにべにもない返事をしコーヒーに手を伸ばす。
「そんな優さんの視線に気付く紗也の気持ちも複雑で、すごく葛藤してて、結局最後は彼を取られた。ラストシーンの手を握ったところ、あの手は優さんだったし。私もあんなふうに告白されたいかも」
沙織はわざと修吾に視線を送る。
「おまえ、勘違いしてるぞ?」
「えっ?」
「最後に映っていた手だけのシーンな、あれは優と紗也の手だ」
「えっ!?」
「優の想いは叶っていない。紗也は徹が自分を選んでくれて、それを知った優が落ち込むのを感じて手を握ったんだよ。これからも変わらず友達だと言わんばかりにな」
「でも、そんなセリフ出てませんでしたよ」
「ノートと指輪だよ」
修吾はストーリー内で使われていた伏線を細かく解説する。
「深いですね。そこまで気付けませんでした。先輩さすがです」
「ま、パンフにそれっぽい伏線写真が載ってたからな」
修吾はミニサイズのパンフレットを見せる。
「ええ~、それ反則!」
「いや、おまえ見たいとも言わなかったから」
「見たいに決まってるじゃないですか。全く……」
「悪い悪い」
パンフレットを渡すと食い入るように見る。
「結局、元サヤだった訳ですね」
「紗也だけにな」
沙織はシラっとした顔で修吾を見る。
「ゴメン」
「はい、聞かなかったことにします」
パンフレットを読む沙織を尻目に、使い込んだ腕時計で時間を確認する。
「そろそろ五時か、家まで送ろうか?」
「私、小学生じゃないんですけど? 当然、門限五時じゃないです」
「そういう意味で言った訳じゃない。もういいだろ、ってことだ」
沙織も意味をちゃんと理解しており厳しい顔つきに変わる。
「俺は結城とは付き合えない。正確には誰とも付き合うつもりがないんだ。分かってくれ」
「嫌です」
沙織は俯いたまま即座に答える。
「私、こんなに人を好きになったの初めてなんです。告白したのも初めてですし、先輩のように優しい人と出会ったのも初めてです。私、先輩のこと諦めたら一生後悔すると思う。だから、絶対諦めません」
「おまえは本当に頑固だな」
「頑固です」
「でも、俺も負けないくらい頑固だ。だから俺も意思は曲げん」
「私も曲げるつもりはありません」
「じゃあ、おまえも俺みたいに何十年も片思いしてみるか?」
「それは嫌です」
沙織はきっぱり断る。
「あのな、そういうの、ワガママっていうんだぞ」
「ワガママですよ。でも、先輩の想い人を超えるのに、計算とか駆け引きしても無駄だと思うんです。だったら私は私の想いや気持ちを素直にぶつけるしかない、って思ったんです。ワガママで頑固で迷惑かけてるのも理解してます。だけど、私の想いが貴方に届くまで私は想いを伝え続けたい」
「そういうの、ストーカー気質って言うんじゃないか?」
「それも承知してます。だから、先輩が心底私のことを迷惑がっていると感じたら諦めます。でも、まだこうやって会ってくれているうちは、私は私に素直でいたい。でないときっと後悔するから」
「自分に素直でいたい、か……」
(そういや、直美にも言われた記憶があるな。俺は素直になれずにここまで来たんだろうな……)
沙織は力強く真っすぐな眼差しで修吾を見つめている。その表情からは真剣な想いが溢れ出している。
(こいつも本気、なんだな……)
「俺は、初恋の相手を忘れない。想いも同じく共にある。熱は冷めてしまっているが、これからも無くなることはないと思う。そんな俺が恋人だなんてありえないだろ?」
「ありえます!」
沙織は真顔で力強く即答する。
「ゆ、結城?」
「先輩、私も含め皆初恋の相手は特別で、一生忘れることなんてないんです。先輩のさっきのセリフ、当たり前すぎですよ。初恋の相手を心に留めながらも、新しい出会いに触れ前に進む。それが恋、じゃないですか?」
力強いそのセリフに修吾は言い返せない。
「私、そんな純粋な心を持つ先輩に惚れたんです。初恋の方への想いがあっても構いません。ずっと忘れることなく心に留めてもらってもいい。だから、今度は私を貴方の心に留めていただけませんか?」
沙織の言葉に、修吾の心は今までにない感覚に囚わられる。
(ずっとダメだと思っていた。誰かの想いを持ったまま他の誰かを好きになることを。誰かの想いを持ったまま、好きになれるとも考えなかった。そんなことは相手に失礼なんじゃないかって。でも、違うのか。俺は間違っていたのか……)
修吾はしばらく目を閉じて考えていたが、覚悟を決めるとゆっくり目を開ける。
「結城」
「はい」
「今夜、何が食べたい? 今日は記念日が二つになりそうだ」
修吾のはにかみ照れ隠したセリフに、沙織の目には涙が溢れていた。